理性の矛先
それは蒸し暑い日のことだった。
風に揺られた看板が赤錆びた鉄柵にぶつかり、甲高く音を響かせている。見上げた太陽は白く、コバルトブルーの空は見渡す限り澄んでいる。雲は見えない。鳥や羽虫、飛行機、とにかく空を飛ぶもの、空を漂うものは何ひとつ存在しない。
胸に抱いた感情は寂しさか、それとも哀愁か。感慨ではないと思う。
汗が頬を伝う。塩分の濃い汗はどこかねっとりとしていて、吐息は小刻みに切れる。薄っすらと肌を透かすシャツを脱ぎ捨ててしまいたい。それもありかなと本気で思い、それはあんまりだろうと思い直す。そんな理性の矛先が、僕がこれから行おうとしていることに向いてはくれないものかと期待してみるが、そんなことは起こらない。
鉄柵を掴む。屋上の端、鉄柵が直角を成しているところに足を置き、ぐっと体を持ち上げる。体感重力が倍に膨れ上がり、瞼の裏でチカチカと光が弾ける。今更ながら恐怖が込み上げてくる。前に進むことは恐ろしく、かといって引き返すことも躊躇われ、どっちつかずに揺れる。
足を動かす。前でもなく背後でもなく、横に。綱渡りするように鉄柵の上を歩き、倒れた方が僕の未来だ。一歩、二歩と進み、三歩目を踏み出そうとしたとき、風に攫われた。