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逃走

「漏れないです! 漏れないですから!」

「漏れるって! 漏れるから!」

「いやー! いやー!」

「大人しくしてろ! 落とすだろ!」


 会話だけだと完全に人攫いのそれだ。

 しかし、あーちゃんが油断している今が好機。多少無理してでも距離を稼がせてもらう。


 俺は騒ぐマコを無視して、軽快に森を駆け抜ける。

 マコを抱えた時も感じたが、俺の身体は思った以上に性能が良かった。

 地面に張り巡らされた木の根を軽々と踏み越え、暴れるマコにバランスを崩すこともなくスピードは上がっていく。

 息は上がることなく、景色は瞬く間に移り変わっていく。


「ははっ、なんだこれ」


 この身体が自分のモノとは思えない。

 唐突に現れた谷間さえ、今の俺には大した障害ではなかった。


「跳ぶぞ、マコ!」

「いーーーやーーーー!」


 叫ぶマコを無視して跳躍。

 なんとか谷間を飛び越えたものの、勢いがつきすぎて着地に失敗した。


 小脇に抱えたマコをとっさに胸に抱え、二人して盛大に転がっていく。

 マコは目を回していたが怪我はなさそうだ。


「まだ行けるな」


 立ち上がって再びマコを抱え直そうとした所で、その手が打ち払われる。

 痛くはない。ただ、拒絶の意志を感じる一撃だ。


「わけを」

「は?」

「わけを説明して下さい」


 怒ってはいなかったが、その表情は子供をたしなめる大人のようで、俺の高揚感はあっさり抜けていく。

 さっきまで庇護対象だった少女が、今は俺を諭す母親に見えた。


「何をそんなに焦っているんですか?」

「焦る? 俺が?」


 俺は冷静だ。

 記憶も名前も思い出せなくても、思考力は十分だ。ここがどんな場所で、何が危険で誰が敵なのか、ずっと考え続けていた。

 だから、危険からは距離を取ろうとしたし、マコのことだって見捨てたりしなかった。


 確かに説明もせず連れてきたのは強引だったが、こんな風に責められるいわれはない。


「不安ですか?」

「焦ってもないし、不安でもない。……いいかマコ、あーちゃんは怪しい。お前もそう思うだろ?」


 疑念はなくとも、罪人の命を軽々しく扱った彼女に不信感はあるはずだ。案の定、マコは静かにうなずく。

 けれど、続く言葉は俺の期待したものではなかった。


「けど、逃げ出す前に聞いてみるべきでした。あーちゃんはいつだって答えてくれましたよ」

「あなたは俺たちの味方ですか、ってか? ばからしい。正直に答える訳ないだろ」

「それはシロさんの勝手な想像です。冷静だったら、それを聞いた上で相手が信用出来る人なのか判断することが出来たはずです」


 こいつは誰だ?

 俺のマコに対する印象は無邪気で引っ込み思案な少女だ。花はないがトゲもない。肉食動物に怯えるだけの小動物。そんな奴が俺を批判している。


 慣れたせいで舐められているのだろうか? 格下に扱ったつもりはなかったが、俺の中では守られるだけの存在だった。

 軽くにらみつければ、目をそらして怯えるいつものマコに戻るはずだ。


 目元に力を込めてマコを見下ろす。

 小さな身体がビクリと震えた。


 ……本来の予定に戻らないといけない。


 どこかで天使を見つけて実態を把握する。俺の見立て通りなら地獄からおさらば出来るかもしれない。もし、あーちゃんの言う通りだったとしても、さっきの身体能力があれば逃げることは可能だ。まずは自分の目で確かめることが肝心だ。そうだ、自力で町も見つけてあーちゃんの正体も探ろう。あれだけ派手な出で立ちだきっと誰かが知っている。きっと、上手くいくはずだ。

 俺は今後のプランを練っていく。考え続けている。都合のいい妄想じみた予定。どこにも保証のないそれを必死に。


 俺から目をそらさないマコの視線から逃れるために。

 必死に考えるフリを続けていた。


「罪を忘れてしまったシロさんを本当は少し羨ましく思っていました。でも、罪の記憶があるから私は他のすべてを忘れたとしても、私は私なんだって実感出来ます」

「だから……何だよ?」

「自分がわからないってきっとすごく怖いですよね。シロさんは私よりずっと大きいから、怖いものなんか無いって勝手に決めつけてました」


 俺には何もない。

 そのくせ思考は止まらない。回し続けてないと何かが破綻する気がした。赤子のように無知だったら良かった。どうせ真っ白ならさっき見かけたスライムみたいに地べたをだらだらと這いずっていたかった。

 それが出来ないなら必死になるしかなかった。

 俺は焦っていた。不安から逃れるために、見えない脅威と戦い続けるしか道がなかった。


 そんな俺の不安にマコは気付いたのだ。

 この子だって怖くてわからないことだらけだったはずなのに、マコは俺のことを見ていてくれた。


「大丈夫です。ちっちゃくて頼りないかもしれませんけど、シロさんが不安な時はずっとそばに居ますよ」


 自分を襲ってきた相手を気遣い、容易く人を殺せる相手と笑いあい、そして、自分勝手な俺を許して手を伸ばす少女。


 格下は俺か。

 死ぬほど格好悪くて死にたくなる。

 だから俺は、差し出された手を素直に握り返していた。

 余裕のあるフリは今更だ。


「戻りましょうか」

「あぁ」


 気まずい空気を感じているのは俺だけだろうか。

 どうにも気恥ずかしいのだが、それよりも重大な問題がひとつ。


「どうやって戻りましょう?」


 さっき飛び越えた谷間が、少し、いやかなりの距離だ。深さもなかなかのものだ。地面が遠い。

 さっきの俺すごいな。今はがんばっても越えられる気がしない。


「迂回するしかないな。あーちゃんと合流できるかわかんねぇけど、なるべく戻る方向で」

「はい!」


 元気いいな。この前向きさを見習っていきたい。


「けど、その前に少し休んでいくか」

「そうですね、休憩の途中でした」


 悩み疲れて一休み。

 休憩を切り上げての逃避行だったので、マコもずいぶんお疲れだ。


 あれから手は繋ぎっぱなしなのだが、癒やし効果が高いのでそのままにしておく。人肌の安心感がすごい。


 このままあーちゃんが探してくれるのを待ってみようか。本当に勝手な話だが下手に動くより早く解決しそうだ。

 さっそく発想が緩くなってきた気がするが、もしばらくはこのままでいいか。


「シロさんお話があります」


 マコの手がぎゅっとなる。

 大事な話だろうか。


「おしっこ?」

「違います!」


 飲まず食わずだからな。出るモノもないか。


「悪い悪い。で、話って?」

「ずっとあーちゃんが一緒だったので言う機会がなかったのですが、シロさんは目が覚める前のことって覚えてますか?」


 目が覚める直前からが俺の記憶のすべてだ。

 そういえば、その時点でマコはあーちゃんと一緒だったな。


「覚えてたら苦労はないんだけどな。それはそれとして、マコとあーちゃんはいつから一緒に?」

「一緒というか、目が覚めた時に最初にお会いしたのがあーちゃんでした。シロさんが目を覚ます少し前です」


 てっきりあーちゃんとマコの二人が俺を見つけたと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。


「私が目を覚ました時、すぐ隣にあーちゃんと眠ってるシロさんが居て、私は何がなんだか分からなくてパニックだったんですけど、あーちゃんが後で説明してあげるから少し静かにしてねって。すごく穏やかな声だったのでそれで落ち着いて」


 一番騒がしく話すあーちゃんからは想像もつかない。


「シロさんが目を覚ます前のあーちゃんは、大人のお姉さんってイメージでしたよ。シロさんもあーちゃんのひざの上でぐっすりでした」


 大人びたあーちゃんに膝枕されてた?

 ますます状況が分からなくなってきたな。


「本当に少しでしたけど、その時にここがどこで私がどうなったかを教えてもらいました。その間、あーちゃんはずっとシロさんのことを見てて、だから、二人はこ、恋人同士なのかと」


 手汗がスゴい。

 別の意味で恥ずかしくなってきた。


「シロさんが起きた後は、その、様子が変わってしまいましたし、シロさんもあーちゃんのことはご存じなかったので私の勘違いかと思ってたんですが……」


 あーちゃんが俺を知っていた可能性。

 前世の知り合いなんてものが成立するのだろうか?


「でも、きっとあーちゃんはシロさんを待っていたんだと思います。シロさんは気付いてないかもしれませんけど、シロさんを見てる時のあーちゃんはずっと優しい目をしてます。しゃべり出すと雰囲気が全然変わっちゃいますけど」


 マコが立ち上がる。その手に引かれて俺も腰を上げる。

 休憩は終わったようだ。


「だから、あーちゃんはシロさんを裏切りませんよ」

「そうだといいけど」

「確かめに行きましょう」

「それもそうだな」


 あーちゃんの真意を確かめる。

 心機一転、まずはそれが最初の一歩だ。


 そんな最高のタイミングを見計らったように、俺たちの背後から人の気配がした。

 茂みから姿を表したのはーー


「モヒカン?」


 俺の呼びかけにしなびたモヒカンヘアーが揺れる。


「お前らか! 早くここから」

「しゃべってる余裕、あるのかしら?」


 モヒカンの左足が、声と同時に放たれた斬撃によって切り飛ばされた。

 言葉にならない叫びを上げてモヒカンが倒れ込む。

 飛びださん勢いのマコを一瞬早く押しとどめる。


「駆け寄ってたら、首落としてあげたのに」


 モヒカンの足を切った西洋式の長剣が、茂みの奥から刃先をのぞかせる。そして、髭面の生首を手に声の主が現れた。


 頭上の輪っかに背中の羽。

 まごうことなき天使様のご登場だった。

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