疑惑のウサ耳
あれからの道行きは平穏そのものだったが、俺の心中はそうでもなかった。
思い出すきっかけにと始まったしりとりも、単語と意味が結びつかないものが多くて気持ち悪さが募るばかりだ。
聞きなじみがない横文字がちらほらあったが、罪人は同じ時代から来ているわけではないのだろうか?
「それを調べる基準がないから、何とも言えないね。けど、新しく来た罪人は現代人って扱いになるんじゃないかな。目新しい知識は大抵新人さんがもたらすってのがお約束だし」
あーちゃん曰く、罪人によって偶発的にもたらされた知識が地獄を発展させているらしい。これまで出会った人種が特殊過ぎて、いまいち文化レベルが想像出来ないが。
「お兄さん?」
「すまん、考えごとしてた」
「そうですか。色々わからないことだらけですからね」
そう、わからないことだらけだ。
せめて自分の頭の中から何が引き出せるかぐらいは知っておきたいのだが、何が必要なのかが上手く浮かばない。
肝心のあーちゃんも、一から十まで知識を披露するつもりはないらしく返答もまちまちだ。
再び熟考。何を考えればいいのかを、ずっと考えている。
そんな俺を見かねてか、マコが唐突に話を切り出す。
「そういえば、この先お兄さんのことはなんて呼びましょう? お兄さんのままでいいんでしょうか?」
「マコは名前は覚えてたんだよな」
「何となくですけど」
本名かどうかは怪しい感じ。
生前の記憶なんてあった所でどうにかなる状況ではないのだが、今は少しでも記憶があるマコが羨ましい。
それにしても名前か。
この際決めておいてもいいかもしれない。思い出す気配はなさそうだし。
「ちゃっちゃと決めようぜ」
「名前は大切なんですよ! もっと真剣に考えましょう!」
叱られた。全然怖くないが真剣さは汲んであげるべきだろう。
「ゼロなんてどう? すべて無し。ここから始まるゼローー!」
文脈を無視していきなり横文字をぶっ込んできやがった。
ブレないウサ耳だ。
「外国なお名前ですね」
「どこの国だよ。却下」
「じゃあ……シロ!」
「犬か!」
「記憶が真っ白だからシロ。わかりやすさって大切だと思うんだ」
一見悪意しか感じられないが、シロという響きは悪くない。覚えがないものに良し悪しを感じるのも不思議だが、しっくりきた。
そもそも自分に名付けるなんてこと自体難易度が高いのだ。変に凝って事故るぐらいなら感性に従うくらいでいいのかもしれない。
気楽に気楽に。
自分に言い聞かせる。
「それでいい」
「じゃあ、シロ君よろしくぅ!」
「改めてよろしくお願いしますね。シロさん」
何が嬉しいのか少女二人はキャッキャと笑いあっている。あんなことがあったのにマコはあーちゃんにも変わらず笑顔で接している。意外にタフな子だ。
乱入者たちに出鼻をくじかれたが、俺たちは変わらず町へ向かう途中だ。もっとも、ずっと森の中にいるので、行き先はあーちゃん任せ。
時折空を見上げては、ちょくちょく進路を変えているので、もはやどちらの方角に向かっているのかも定かではない。
ウサ耳の後を追ってどこともしれない世界を進む。
そんな童話があった気がして気が滅入る。
「町ってどんなとこでしょうね? コンビニとかあるんでしょうか?」
「コンビニかはわかんないけど、町には色々あったと思うよ」
町って言うくらいだからそれなりに人がいるのだろう。治安については不安しかない。
「さっきは無法地帯って言ってたよな」
「ここらの統治者が不在だからね。だけど、住んでる人たちはそれなりに協力しあってるよ。さっきみたいなのもいるけど」
「ここって本当に地獄なのか? どういう場所なのかどんどんわからなくなってくるんだが」
宗教観によって多少の差異はあるが、地獄とは悪行をなした者たちが苦しむ場所だ。少なくとも、罪人たちが町を作って文化を発展させるようなイメージはない。
「地獄は地獄さ。罪人がその罪を償う場所であり、それが出来なきゃ永遠にここの住人。果ては……アレみたいになる」
あーちゃんが指さした先には、赤色でブヨブヨとした、スライムとしか形容できない物体がいた。生物特有の質感はあるが、見ようによってはぬいぐるみだ。
スライムはこちらに気付くと慌てて茂みの奥に消えていく。マコはその後ろ姿を目を輝かせて追っていた。
「あの可愛いの何ですか!」
「だから、あれもキミと同じ罪人だって。混ざりモノの果ての果て」
「……え」
「人の形を忘れちゃうと最悪ああなるからね。身体は大事にしなよー」
マコの表情が一気に曇っていく。
刺激的な情報を雑談に混ぜてくるのはやめて欲しい。俺は小動物を甘やかす要領でマコの頭をぐりぐり撫でてやる。
元気出せわんこ!
「うぁぁ」
「危険さえなければ大丈夫なんだろ? 町に行けば安全だろうし」
「そ、そうですよね!」
しかし、歩けど歩けど町は見あたらない。
そもそも、森の中の道なき道だ。自分たちがどれぐらい進んだのかすらいまいち把握出来ない。
あーちゃんは変わらずだが、マコは口数が減ってきていた。
「そろそろ一服しないか?」
「ここじゃ疲労や空腹で死にはしないよ」
「その辺は死後って感じするけど、死ななきゃいいってもんでもないだろ」
「そうですね。ちょっと、疲れました」
口に出すと同時にマコがへたり込む。
ここまで歩き通しだ無理もない。
俺も一緒に腰を下ろそうとしたが、駄々をこねる奴が一名。
「もう少し! もう少しだからさー!」
「って言っても、どれだけ見渡しても森しかねぇぞ」
「とにかく、この辺はマズいんだよ」
「どうマズいんだよ?」
あーちゃんはチラリと空を見上げる。道中もたびたび空を見上げていたが、空に何かいるのだろうか?
「この辺は天使の縄張りだからね」
「天使?」
「そ、こんな感じの奴だよ」
言うやいなや、あーちゃんの背中に純白の翼が生える。
そして、ウサ耳の上部には天使の輪っかが浮かんでいた。
「うわー、キレイです!」
「輪っかの位置高いな」
あーちゃんは翼を羽ばたかせると、ふわりと浮かんで俺の目の前に。
見下ろしていた視線が同じ位置に。
真っ赤な瞳で俺をのぞき込んでくる。
「奴らは罪人を目の敵にしてるから、こんな姿を見かけたらとにかく逃げてね。それだけは約束して欲しいな」
天使というより堕天使といった風体で、あーちゃんは俺に釘を刺す。
「昔はともかく、今は罪人を見かけるだけで襲いかかってくるサイコパス集団だから。捕まったら確実に死んじゃうからね」
それは言い過ぎだろと思ったが、珍しくちゃかした雰囲気はない。
それにしても、飛行能力があるのは厄介だな。移動、索敵、戦闘どれにしたって飛べることの優位は相当のものだ。
俺が天使の脅威を懸念している横で、あーちゃんは翼を丸々消し去って、すっきりした背中をこれでもかとアピールしていた。露出したエロスなお背中より、変幻自在の身体の方が気になる。
「ふふっ、ボクの身体に興味津々かい?」
「お前の身体はどうなってんだよ」
「そこは乙女の秘密さ」
くねくねしない。
マコはハニワみたいな目でこっちを見ない。なんだよ、その洞穴みたいな深い瞳は。不安になるだろ。
「緊張感が足りないのはたいがいお前のせいだからな」
「ふーい! とにかく、この辺は天使たちの住む天国領に近いからね。うっかり見つかると大変なことになります。特にマコちゃん。天使がふわふわしてても近づかないように!」
天使の翼に大興奮だったマコには念入りに忠告。空を飛ぶ以外に具体的なことは聞いていないのだが、とにかく天使は危険らしい。
もっとも、あーちゃんなら対抗出来そうなので、暖かい視線を送っておく。
「そんな目で見ても天使は無理。あいつらすぐに仲間呼ぶからね。ルールその4かな。天使を見たら逃げる! これ重要だから!」
それにしても、地獄と天国ってそんなに近いのか。その境界付近で罪人生活が始まった俺やマコは、手違いで地獄にきたんじゃないかとすら疑われる。
もしかして、あーちゃんのような奴や天使が罪人を選んでいるんじゃないのか? 俺たちはあーちゃんの手引きで地獄入りが決定したが、最初に会っていたのが天使だったら天国側だったのではないだろうか。
そう仮定すると、あーちゃんがここまで天使を悪し様に言うのも理解出来る。本当に頼るべきは天使で、このウサ耳に付いていくこの状況は非常にまずいんじゃないだろうか?
「どうかしたのかい?」
疑い始めると、あーちゃんの態度がすべて演技のように見えてくる。そもそも、この軽いノリも、笑顔も、何もかもが作り物めいているのははじめからだ。
……よし、逃げよう。
少なくとも天使の実態を確かめないことには、このウサ耳へ芽生えた疑念は払えそうにない。
とりあえず、あーちゃんから距離をとるためにマコには犠牲になってもらう。大丈夫、見捨てるワケじゃない。
俺はあーちゃんから距離を取ると、おもむろにマコを小脇に抱える。
軽いなこいつ。これなら余裕で走れそうだ。
「あーちゃん、マコがおしっこだって」
「私ですかっ!?」
「こらこら、さっきの話聞いてたのかなー?」
あきれ顔のあーちゃんに背を向けて、抵抗するマコを隠す。
声を上げないようにやんわりマコの口をふさぐが、予防接種をいやがるワンコのごとく暴れる。
「なんか暴れてない?」
「限界が近いんだろ。早く行けってさ」
「むー! むーっ!」
羞恥に震えるマコがスゴい目で俺を見上げていた。
これがマコの本気か。
おっと、噛んでくれるなよ。俺たちの安全の為だ。
「そう言うわけでちょっと行ってくる」
「しょうがないなー、あんまり遠くに行かないでね」
いぶかしげな様子だがあーちゃんはあっさり見送ってくれた。
俺たちが逃げ出すとは思ってなさそうだ。その態度に少しだけ罪悪感を感じながら、俺は茂みの中へ駆けだした。