ゴシック少女の馴れ初め
妖怪転生の番外編。
鮮明には覚えてない。でも、凄く大変だったことは嫌でも覚えてる。忘れちゃいけない大事な事。なのに、記憶に靄がかかったみたいに不鮮明。だけど残酷な事に、色だけははっきりと感じ取れた。
黒より冥い、氷より冷たく、全てを凍えさせる。そんな絶望は、人々の体を穿つように無情に撃ち付けていた。
敗北と破滅を告げる漆黒の弾丸は、避けようのない量で人々を殺戮していく。
そして記憶は、黒く塗りつぶされた。
――――――――――――――――――――――
ピピピピピピピピピピ!
「んぁ~後百八十秒~・・・」
朝から五月蠅く無機質な機械音をまき散らす目覚まし時計に、抗議しつつ耳を塞ぐように布団にもぐる。
ピピピピピピピピ!
「むぅ~・・・せっかちな男は嫌われるよ~」
ピピィ!?
何故だろう。今目覚まし時計が抗議の声を上げた気がしたわ。
気のせい・・・、とも言い切れないのよね。この魔界じゃ。付喪神なんてその辺を歩いてるくらいだし、妖気にあてられて付喪神化しても何にも不思議じゃない。
「わかったから~。起きるから静かにしてよ~」
シン――――。
「あんた絶対意思持ってるでしょ!?」
何で私の言う通りに静かになるのよこの目覚まし時計は!
はぁっ、こんなのにいちいち驚いてここで暮らせないわよね。もう住み始めて数十年もたつのに、摩訶不思議な現象には事欠かない。いい意味では退屈しないのかもね。
「んー、おはよ。目覚ましちゃん」
ちりんっ♪
物は試しと話しかけてみたら楽しそうにベルを鳴らす目覚まし時計。
確信したわ、こいつは生きている、と。
ある種餌代のかからないペットと思えば可愛いのかもしれない。
ただし電池代はかかるかもしれないけど。
目覚まし時計に目を向けると時刻は八時ちょうどを示している。確か昨日は七時に設定したつもりだったんだけど・・・、寝過ごしたのかしら?
チリリリンチッチッチッチッリンッ♪
人間界でいうところのレベルアップの音ね。なるほど、レベルアップしたから付喪神化したのね。
うんうん―――。
「レベルアップしたのに時間間違えてんじゃないわよばかぁぁ!!」
気まずそうに時計の針を小刻みに揺らす目覚まし時計にデコピンをかまして私は家を出た。
―――――――――――――――――――――
暮らしは質素そのものだった。時折食べるサツマイモが私は好きだった。ただ蒸かしただけで、特別な味付けはしてないけど、素材のそのままの飾らない控えめな甘さが病みつきだった。
主食はお粥にして少ない米を少しでも腹持ちするように、様々な工夫がなされていた。
それでも、いつも量を多く食べれるのは男性陣。女子供は残り物を啜り、肩身の狭い思いをしていた。
でもそれは日本が戦争に勝てるように、男達に少しでも量を多く食べてもらって戦から生きて帰れるようにと、切なくも強い思いを込めて私達は残った少ない食料でもありがたみを感じていた。
そんな暮らしが当たり前だと思ってたし、いつかきっとこの呪縛から全員が解放される日が来るって信じてた。
「ほら、しっかり食わないと育たないぞ?」
父はそう言ってよく私にご飯を分けてくれてた。それが不思議でならなかった。父は戦争の前線で戦うような戦士なのに、栄養を取らなきゃ死んじゃうのに。
他の家じゃこんな事しないはずなのに。
「私はいいから・・・お父さんが食べて?」
「・・・はまたそんな事を。子供が遠慮するものじゃないんだぞ」
「でもっ」そう言いかけたけど、父は聞き入れなかった。それどころか、魚の切り身や豚肉まで私達子供に優先的に食べさせている。そのせいだろう、父は次第に痩せこけていっていた。
エネルギーの消費量と、摂取量の釣り合いが取れてないのは幼子が見ても明らかなほど。
「嫌だ・・・、いやだっ!!」
そんな中、私の二歳年下の弟は悲鳴を上げながら父に抗議した。
「オレ、オレっ!父ちゃんが死んだら悲しいよ!だからオレ達よりもいっぱい食べて、生きて帰って来てくれよ!」
弟は泣き虫で、何かというとすぐに両親か私に泣きついてきた。こんな性格のせいで周りの同い年の男子からはしょっちゅうからかわれ、虐められていた。
それを止めに入るのは決まって私か、私の一個上の兄だった。
周りは弟を弱虫なんて言うけど、私はそうは思わなかった。
今の姿を見てもそうだけど、この子はどこまでも性格が穏やかで優しい。
虐められていた時も、弟はやられてるばっかりでやり返したことはただの一度もない。むしろ、喧嘩なんてできない。嫌いなくせにいつも誰かを庇って、誰かの代わりに虐められていた。芯の強い男の子だよ、こいつは。
「父ちゃんはな、お前たちが死んでしまう事の方がよっぽど悲しいんだ」
菩薩様のようなその穏やかな笑みを見て、私はもちろん兄も弟も、母でさえも何も言えずにいた。
だが悲しいかな、こんな人格者の父親の周りの人間達やお偉いさんからの評価は――――。
――――『非国民』――――。
お国の為にその身の全てを捧げ投げうつのが美徳とされているこの大日本帝国の時代では、奇麗事やくだらない誇りでは飯は食えない。敗ければ全てを失い、死んだも同然になる。
その風潮が人々の道徳観を鈍らせていたのだろうか。
―――――――――――――――――――――――――――――――
「ようお嬢ちゃん。こんな夜中に一人じゃ危険だよ?おじさんがボディーガードしてあげようか?」
下心しか見えないのが逆に清々しい。そう感じる中年オヤジのナンパ。
「いらないから帰ってくれるかしら?」
適当にあしらい夜の街を一人で歩く。
妖怪になってからどれくらいの時間がたったのか。私は本当に生きているのか。それすらあやふやだ。一度死んだらしい私の体は、腐敗する事無く生を維持している。
その代償なのか、私の体は死んだ時から成長が止まったかのように幼いまま。生前の姿を鮮明に覚えているわけじゃないけど、見た目の年齢以外はずいぶんと変わってしまったような気がする。
街を歩いていると店のガラスに私の姿が映る。野暮ったい黒のワンピース一着だけを纏った紅の少女。
髪もぐちゃぐちゃで身だしなみに気を付けているようには見えない。
「可愛くないなぁ・・・」
そんな自分を見てぽつりと零していた。
でも実際、可愛くしたって誰が見るわけでもない。人でない私にはオシャレなんて無縁。
その筈なのに――――。
私はゴシック洋服専門店の客引き用のマネキン人形に目を引かれた。
幼く、怪しい雰囲気を醸すその衣類は私が生きていたころでは見た事もないジャンルのものだった。
(今の私に、似合うかな?)
生前は袴とか、もんぺとか洒落っ気のないような服を着るしかなかったけど。
(でも、スカート丈も短いし・・・私には敷居が高いかな)
結局見ているだけで、買おうとは思わなかった。
――――――――――――――――――――――――――――
目の前で起こっている事が理解できないでいた。
ううん、理解したくなかったんだと思う。頭では理解していても、受け入れがたい凄惨な現実が目を瞑っても耳を塞いでも叩きつけられているからだった。
「こわいよぉぉ!おとーさぁぁん!おかぁさーん!!」
泣き叫ぶ子供達と、それを必死に口を押えて声が外に聞こえないようにする女親達。いくら防空壕の中とは言えこれだけ泣き喚かれては敵兵に自分達の居場所がバレてしまう。そうなれば命はない。
だけど、年端もいかない子供達がこの状況を理解して迫りくる恐怖心を抑えつけるなんてできるわけもない。
私の兄は今戦士として前線に駆り出されてしまっている。
母は弟を庇うように強く抱きしめている。
「お母ちゃん。オレ平気だから姉ちゃんの事を守ってあげてよ」
こんな時でも本当に心の強い子だ。本人だって怖い筈なのに、おくびにもそんな様子は出さない。体は小さいけど、今はまるで弟の方が母を包み込んでいるように見紛うほどしっかりしていた。
(そりゃそうだよね・・・。だって、お母さん腕ふるえてるもん)
少し離れた所にいる私ですらそれが見えるなら、くっついている弟はもっと母の恐怖を感じ取っているはず。だからこそあいつは気丈に振舞って見せてるんだ。
きっと、その場に居る全ての人間が同じ事を考えただろう。
―――神様、どうか私達を守ってください。お願いします―――。
でも、天に祈りは届かなかったみたい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「はぁっ。一体何の皮肉なのよ・・・」
私は美味しくもない殺人鬼の血を啜りながら愚痴る。
決してこれがなきゃ生きていられない訳じゃない。だけど、確実に衰退する。最初は勿論抵抗があった。元人間が人間の生き血を吸うなんて常軌を逸した行動。背徳感や気味の悪さ。何とか口に運んでもすぐに拒絶反応が起こり、吐いた事もあったくらい。
血なんて、あの時に嫌という程目の当たりにしたのに・・・。
「あーあ、嫌になっちゃうわね」
なぜ自分だけが生き残ってしまったのか。って言っても死んだ後に妖怪化してるから生き残ったとは違うけど。
あのまま、家族と共にあの世に逝けてたら。楽だったのに・・・。
「うぅぅ・・・なんで、なのよ・・・どうして・・・・・・」
「どうしたのじゃ?そんな場所で泣いとっても人間の雄にたかられるだけじゃぞ?」
さっきまで人の気配何てまるでなかったのに、その声の主は音もなく私の背後に現れた。
「だ、誰?」
「初対面ではないんじゃがな。ま、覚えておらんのも無理からん事よの」
声は流麗で、とても綺麗なのにどこか喋り方が爺くさい。
「お主、名は何と申すのかの?儂は居狐里じゃ。以後よろしゅうな」
からーんと下駄を鳴らして私の前に姿を現したのは、月夜に輝く九尾の狐だった。
「あ、あなた確か!」
金髪ロングでもみ上げの足を揃えた所謂姫カット。ぴんっと立った狐耳と神楽鈴の様な簪が頭部を飾っている。
そして何より、九尾である証の九つの金色の狐のしっぽが居狐里の後をつけている。
「ふむ、思い出したかの?お主が一時期魔界のサナトリウムに追った時に一度会ったと思うんじゃがな」
視線を上げて居狐里を見つめる。特徴的な切れ長の瞳と、古臭い片眼鏡。そして何故か煙管を吹かすその姿は確かに身に覚えがあるのだけど。
「あれのどこがサナトリウムよ!私は煉獄って聞いたわよ!」
何で地獄の上位互換と呼ばれる場所が集中治療所と同じ扱いなのよ!
「じゃがあれが煉獄に見えたかの?そこまで窮屈にさせていたのなら申し訳ないの」
酷く申し訳なさそうに視線を落としているのでなんか責めにくいわね。まぁ確かにあの場所は別に灼熱地獄だとか針山地獄とかみたいな、罪人を咎めるような場所には見えなかったかな・・・。
「あれも真にお前さんを思ってのことなんじゃ。あやつは不器用で言葉足らずだが、誤解せんでほしいのぅ」
「あいつって、確か何とか管理委員の~っていう長ったらしい組織の?」
「ま、まぁそうじゃな」
少し煮え切らない態度で答える居狐里。何か答えにくい質問だったかしら。
「っと、話がそれてしまったな。本題に戻る前にお前さんの名を伺ってよいか?」
一瞬、思考が停止する。私の名前・・・、何度も思い出そうとした。けど、何故かいつも考えるたびに記憶に鍵がかかった見たいに取り出す事ができない・・・。
「なんで・・・」
いつの間にか自分の中での疑問が声に出ていた。
「名を忘れてしまったのかい?そうさねぇ、その疑問に対する答えなどとうの昔に消失してしまっておるかもな。じゃが、記憶に鍵がかかっておるのなら、それを開けるためのカギがどこかにあるはずじゃろ?」
「ど、どうして考えていた事が!?」
見透かされているような恐怖にも似た感覚が一瞬で全身を走る。
「なに、怖がるでない。儂は多少長く生き過ぎたからの。余計な事まで見えてしまうんじゃ」
居狐里はケタケタと笑った後、煙管の煙を少し吸ってやや間を置いてからゆっくりと空に向かって紫煙を吹き上げた。
「そりゃあ一度死んでしまっていたんじゃ。戦火に自分の大切なものを全て焼き払われていてもおかしいことじゃない。それが記憶であってもな」
座り込んでいる私の隣で居狐里は壁にもたれ掛かっている。彼女が吸っている煙管の煙はたばこ独特の煙たさを何故か感じなかった。
「んむ?おっと済まなんだな。つい癖で吹かしておったが、気分悪くさせてしもうたかの?」
私がずっと煙を見ていたのにすぐ気付いたらしく、慌てて煙管の火を消そうとする。
「ううん、大丈夫。全然煙たくないから」
そう言ったのにまだ居狐里は罪悪感の色を表情に表している。不思議、そんな事気にするなんて。妖怪なのに。人間ですら歩きたばこだのを平気でする輩もいるくらいなのに、何で妖怪の彼女はそんなに気にしているのかしら。
「いやなに、お主にとって煙を見るのは辛いかと思うたんじゃが。平気なのかえ?」
私にとって、煙を見るのが辛い?何で、彼女はそう思うのかしら・・・。なんだか変。
「まだ記憶が混濁しておるな。無理もないじゃろう」
何で、彼女はこんなに私を心配してくれてるの?彼女は何も悪くない。悪いのは―――。
―――あれ?悪いのは誰?
―――だれか悪い人が居たの?
―――誰かのせいで誰かが苦しんだの?
―――そもそも・・・。
――――――どうして私だけが残ってしまったの―――!?
※※※※※※※※※※※※※※※※※
目の前の惨状は悪夢?それとも地獄?
ううん、多分両方だ。でも、悪夢なら『現実』じゃない。地獄なら『この世』じゃない。
おかしいよ・・・、何で実際にはないはずのモノが今目の前に広がってるの?
どうして―――
私は家族を守れないの?!
「お願いよ!子供だけは!子供だけは助けて頂戴!お願い・・・!」
半狂乱で泣き叫び、懇願する母親たちの声は幾重にも重なって鉛空の戦場に響いた。たった一つの願いはその場にいる数多くの母親達の最初で最後の一生のお願い。だからこそ、まるで一人の声の様に全員の声が綺麗に重なった。
でもそれは意味のない行為だと、全員が諦めている。
「$#%&?!*・・・」
相手が話す言葉は英語。私達じゃ何を言っているのか聞き取る事は困難を極めた。
当然相手も私達の日本語が通じる訳もなく、口煩く喚いているようにしか見えない。
今この状況まで追い込まれてもなお、私達は『同じ人間なんだから、完全に良心がないわけがない』そんな甘ったれた薄い希望に縋っていたんだと思う。
目の前にいる兵士は育った土地は違えど、同じ血の通った人間。何も思うところなく喜んで人間を殺すなんて有り得ない。そう信じて疑わなかった。
でも実際はそうではなかった。相手は殺してもいい人間と、直ぐには殺さず生かしておく必要がある人間とを分けていたと思う。
その理論に当てはめるなら私達は前者。
その場にいる誰もが死を覚悟し、それでもなお『自分以外の大切な人だけは助かるように』懇願を続けていた。
「・・・、ねえちゃん」
親達が声を張り上げて敵兵に訴えかけている中、私にだけ聞こえる声で弟が話しかけてきた。
「なに?」
小さく聞き返す。自分でもわかるくらい私の声は冷たく、生気がなかった。だというのに。
「母ちゃんを。皆を頼んだよ」
何の迷いもない声音で弟は言った。あまりに突然すぎてその言葉の意味を直ぐに理解することができなかった。でも、弟を止めなきゃいけない。それだけは理解できていたはずなのに。
私は、声をかける事は出来なかった。
「何やってんだいあんた!?こっちに戻ってきなさい!」
弟が立ち上がって防空壕から出ていこうとしているのを、遅れ気味で母が気付いた。声は最低限度に抑えているけど、その声は私が今まで聞いたどの声よりも喉を引き裂く程の魂の叫びに聞こえた。
「母ちゃん。今までありがとうね。オレ母ちゃんの事、父ちゃんも兄ちゃんも姉ちゃんの事も一番大好きだよ。だから、絶対生き残って、こんな悲しいことは二度としちゃダメだって皆に教えてあげてね」
「っっっっ―――――!!!?」
その後母がなんて言っていたのか覚えていない。聞こえなかったのかもしれない。何もかも全て捨て去り放心している脳には、ただただ弟の声の残響がリピートされるだけだった。
今はただ、靴下にいっぱいの石を詰め込んで勇ましく敵に向かう弟の背中を見守るしかできなかった。
本心じゃ止めたい。死なせたくない。誰かを身代わりにしてまで私は生きたくない。そんな事をするくらいなら私が代わりになって皆を守りたい。
血が滲むほどに拳を固めても、何もできない。
だって、弟の気持ちが死ぬほどわかっちゃうんだもん・・・。もう、止められないじゃない。
あいつも、弟も同じ気持ちなんだ。誰かを犠牲にして生きるくらいなら、自らを犠牲にしてでも誰かを護る。そう決意を決めて行動している小さな英雄には、どんな言葉でも止められない。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」
私は耳を塞いだ。いけない行為だって、分かってはいた。でも、聞えてくるのがあまりにも辛過ぎた。
嫌だ・・・、嫌だよ。私・・・弟のあんな声聞きたくない!いつもみたいに笑っててよ!いつもみたいに泣き言言ってよ!
いつまでも・・・私達の弟でいてよっ―――!!
耳を塞いでいた薄情者の私が外が静かになったの気付いたのは弟が外に出てから二時間後だった。
気が付けば周りには誰もいなかった。
シンッと静まり返った防空壕は私と汚い土だけを置いてけぼりにしている。他の人達はどこ?
そう思うよりも先に、なぜこんなに静かなのかが気になる。
外に出ればきっと全てわかる。
「でも・・・」
怖かった。
外に出たら殺される可能性が高まるけど、怖いのはそんな事じゃない。
あいつは・・・、弟はどうなったのか。それを確かめるのが怖い。生きていてほしいという希望も、冷静な思考が『あの状況で助かっているわけがない』と、ネガティブに追い詰めてくるからだ。
「・・・」
もう何年も時間が流れたように錯覚する。それ程までに私は迷い、足踏みしていた。
何時間経ったろうか。きっとほんの数分かもしれないけど・・・、ようやく私は決心する。
全てを受け入れる覚悟を。
大きく息を吸い、乾いた喉を唾が潤す。
一歩一歩確認するような足取りで外に向かった。
防空壕の外に出たはずなのに、対して中と変わらない。そう思わせるのは空が暗いせいかそれとも。
「焦げ臭い・・・」
鼻につく異様な臭気に思わず息を止める。
匂いを放っているのは足元からだった。空を見ていたからか、意識がはっきりしていなかったせいか足元に転がっているそれを見過ごしていた。
「ひっ!?」
私が今軽く蹴ってしまっていたものの正体に気付き、声を上げてしまう。
先程私達の防空壕に来ていた兵士達の焼死体だ。所持していた手榴弾が暴発したのか、一人の体は見るも無残に焼け爛れており、もう一人の体は殆どバラバラだった。
何が原因でこんな事になったのかの疑問より先に私はもう一つの違和感を覚えた。
―――奇襲してきた兵士は二人だけだった。じゃあ・・・もう一つ転がっている小柄な死体は一体誰・・・?
答えは分っていた。ただ認めたくなかっただけ・・・。
弟の死体だ・・・。
はっきりと確証が持てたのは、その死体の近くに僅かに焼け残った布地の一部と不自然に転がった砂利。
「どう・・・して・・・」
膝を付き弟の亡骸を抱き上げる。焼けた筈の弟の体は冷たかった。
もう二度と弟は笑わない。もう二度と、あの日は帰ってこない。
より一層冷たさを感じながら弟の亡骸を抱きかかえたまま辺りを見回す。
今になって辺りがただ累々と屍を重ねているのに気が付く。
焼け崩れた家の骨組みに潰されもがく人の声も、もう何時間も前のものらしい。
幻聴の様に、残響の様に、悲鳴が私の脳に響いているのに実際は既に誰の声もしていないみたい。
逃げ惑う人々すら、もう見えない。
走り疲れた体は強制的な休みを与えられ地に伏して寝ている。
もう私の家族はどこにもいない。直感的にそう感じたその時―――。
無音だった世界で最後の音を聞いて私はこの世を去った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「ん・・・うぅぅ・・・」
焼け焦げた匂いと喧しい爆発音で意識を取り戻す。
目の前は火の海と化しており、空には非常識な速さで飛び交う航空機が空を支配している。
「いたっ・・・。なに?体中痛い・・・」
ズキズキと鈍い痛みが全身を蝕み、頭がぼーっする。なぜ自分はこんなところにいるのか、なぜこんなに体が痛むのか。思い出そうとしても記憶に靄がかかったように不鮮明で、何も思い出せない。何か大切な事があったはずなのに、それさえも忘却の彼方。
辺りには誰のとも知れない遺骸がいくつも転がっており、地獄にでも来たのかと錯覚する。
生きている人間はいないのかと見渡すも、人っ子一人いない。そんな中でなぜ自分だけが立っているのか。なぜ自分は生きているのか。不思議で仕方ない。
「何なのよ・・・これ」
どうしたらいいか分からずに混乱したまま痛む足を動かす。
歩き始めてややあってから自分が素足である事に気付く。より正確にいうのなら元々靴は履いていた形跡があるのに、殆ど焼けてなくなっていた。
履いていた靴が焼けていたのだから当然のように衣服も焼失してしまっていた。裸も同然の姿である事を今更ながらに自覚するも、何故か恥じらいの気持ちは湧かなかった。寒くて困る事も、誰かに見られる事もないと思っているからなのか・・・。それさえよくわからない。
「あいたっ!うぅー・・・」
地面に四散していたガラス片を踏んでしまい右足の裏を切ってしまう。
どくどくと血が溢れ地面を濡らす。
―――早くどこかで手当てして止血しないと。
助けを求めてもようにも誰もいない。自分で何とかしなきゃいけない。
分かっていても切った足の痛みが酷く、座り込んでしまう。
どれほど深い怪我なのか視線を落として足の裏を確認する。
「・・・あれ?」
一瞬状況が呑み込めず右手で目を擦り、かぶりを振ってから再度見直す。
「見間違いじゃ・・・ない?」
信じられない事に足の傷が急速に回復していた。つい先ほどまで溢れ出ていた血液も既に止まりかかっている。早回し映像でも見ているかのように見る見るうちに傷口が塞がっていき、あっという間に痛みも消えていた。
自分の体に何があったのかと困惑する私。ただでさえ記憶も曖昧なまま地獄絵図広がる焼け野原に放り出されていたのに、その上自分の体も普通じゃなくなっているなんて悪い夢もいいところだ。
行き場を失ったどうしようもない感情を乱暴に押さえつけるようにわしゃわしゃと頭を掻きむしる。
ひとしきり掻いた後一瞬我に返り、両の掌を見やる。両手には白く色素の抜けた糸のような物が数本巻き付いていた。それを見て再び思考が停止する。さっきまでそんなもの巻き付いていなかった。そんな素材の物は一切触ってない。つまり考えられるのは自分の髪の毛が抜けて付いたとしか考えられない。
でも自分の髪の毛が白いというのがにわかには信じられなかった。自分に関する記憶も希薄になっているが、自分が白銀の頭髪だったかと思うとそれも怪しい。
偶然近くに焼け残ったお店があり、そこにはガラスがギリギリ形を保ったまま存在していた。自分の姿を確認しようとお店の近くまで歩き寄り、ガラス窓に移りこむ私の姿を呆然と眺める。
数分まで火傷の痕があった体は今はすっかり完治している。肌は白く、胸は身長には見合わずやや膨らみが確認できた。
そして確認したかった頭髪は・・・。
――――やはり見間違いじゃなく白んでいた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
パチッと目を開くと真っ先に綺麗な星空が視界に映る。夜風が吹く度にキラキラと金色の糸がの様なものがちらつき少し眩しい。
「んむ?目が覚めたかの?」
透き通るような美しい声なのに爺臭い喋りをする女性の声が意識を揺さぶる。
「私は・・・どれくらい意識を失ってた?」
「ほんの数分じゃ。お主には相当長く感じたのかい?」
徐々に意識が戻ってきて、頭に柔らかい感覚を感じる。
どうやら居狐里に膝枕をしてもらっていたらしい。
「えぇ・・・、長く悪夢を見ていた気分よ」
過去のプレイバックを見ていたような感覚は未だに脳裏に焼き付いている。
「すまんの・・・主の記憶、ちと覗かせてもらったぞい」
バツが悪そうに額を掻き居狐里はそう言った。
「別に、構わないわ。大したものでもないし」
酷く胸が焼けつくような感覚を押し殺しながら体を起こそうとする。
「おっと、ふらふらじゃぁないか。無理するものではないぞ?」
思うように動かず、ふらついた体は居狐里に優しく抱き留められた。
妖怪のくせに、何でこんなに他人に対して情けをかけるのか理解できない。
「別にそんな難しい事でもないぞい?妖怪だから誰彼構わず敵対しているようでは互いやっていけんからの」
「心、読めるの?」
「まさか。覚り妖怪でもあるまし、心までは読めんよ」
笑いつつそういう居狐里の表情は柔らかく、温もりのあるものだった。
「それにしても、不思議なこともあるもんじゃの。転生時は白髪だった頭髪が今ではすっかり紅蓮に染まっておるのぅ」
ふわふわと私の頭をなでながら不思議そうに何度も髪を眺める居狐里に私は。
「人の血を求めて彷徨ってたら、まるで血塗りの髪のようになったのよ」
そう言った。実際の理由は分からない。いつからこの色になったのかももう忘れてしまった。
「それは面妖な・・・。ま、些細な事じゃな」
あっけらかんと言い放ち、髪の事は気にしないようにした居狐里は別の話題を振ってきた。
「じゃが名がないというのも少々不便じゃの。それに」
一度言葉を区切り私の身なりを上から下まで見てから。
「もうちっとお洒落に気を使っても罰は当たらんと思うぞい?折角の可愛い容姿もこれじゃあ引き立たんわい」
「ほ、本当に余計なお世話よっ!」
自分でも気にしていた部分を指摘され、つい声を荒げてしまう。
「くくっ♪年寄っていうのは要らぬ世話を焼きたがるものなんじゃ。気にせんでよいぞ」
何が楽しいのか私にはさっぱり分からなかったが、居狐里はケラケラと笑っては楽しそうに話しかけてくる。
「名前については・・・、特別なものになるじゃろうからな。追々考えてもいいじゃろ」
私は何も言ってないのに勝手に話を進めていく居狐里。
「そこで今回は服についてじゃが、儂からお主に一つぷれぜんとを用意しておる」
話についていけないまま呆然としていると居狐里はどこからともなく洋服を取り出した。
それはどこかで見たことがある気がする派手なゴシック調のドレス。
「あ・・・それは・・・」
「お主がここ最近何度か見て負った所謂ごすろりというやつじゃ」
「えっ?・・・えっ?!」
何故彼女が私がそれを見ていて、興味を持っていた事を知っているのか。いつそれを用意したのか。諸々聞きたい事はあったが、混乱していて上手く思考が纏まらない。
「ほれほれ、ちいっと着てみい。似合うはずじゃぞ?」
着てみるかどうか以前に外で試着なんて恥ずかしいと言いたかったが、断れる雰囲気でもなかったのでいそいそと渡された服に着替えてみた。
「ほほう。儂の予想以上に似合っておるの♪」
「これが・・・私?」
またしてもどこから取り出したのか分からない姿見で自分の姿を見ながら、声を漏らした。
自分の今の頭髪とお揃いのルージュのドレス。フリフリのレースがあしらわれたヘッドドレスに同じくレースの付いたニーハイソックス。
それらのポップな服装は今の今まで自分には似合わないと思っていた物だったが故に何とも言えない不思議な気分だったが、悪い気分ではなかった。
「どうじゃ?自分の気持ちに素直になってみるのも悪くないじゃろ?」
「自分の気持ちに素直になる・・・?」
言葉の真意が取れず、オウム返ししてしまう。
「そうじゃ。着てみたいけど、自分には似合わないと思うのはきっとお主の性分じゃろうから致し方ないとは思うが、時にはその『着てみたい』という気持ちに素直に従ってみるのも良いと思うぞ?自分を制限し続けて生きるのは辛いからのぉ」
何気ない言葉なのに、それは私の心を優しく癒してくれている気がした。
「もっと自分に素直になった方が後になって後悔した時も、清々しい気持ちで次に繋げると思うぞ?」
言いつつ居狐里はポンポンと私の頭を軽くたたいてにっと笑って見せた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「おいおい、あんまり大声出すなよ。オジサン達は別に構わないけど、こんな状況見られたら困るのはお嬢ちゃんの方じゃないのかい?」
「ぐひひひっ!わかったら大人しく・・・」
「やっ・・・やだっ!誰か助け・・・て」
まるで時間が硬直したかのように悲鳴を上げていた少女も、気持ちの悪い笑みを浮かべていた中年男達も完全に静止する。
より正確に言うなら一人の中年男が脳天から血を巻き上げて地面に堕ちた瞬間に時は止まったのだ。
「ふふっ・・・♪わかったら大人しく殺られなさい?変態ども」
「うぅっっっぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ??!!」
女子高生を強姦しようとしていた変態は三に居て、内一人は不幸な殺人で死亡。残り二人はもれなくレディーを化け物呼ばわりしながら情けなく逃亡。
私は女の子に適当な上着を羽織らせてあげてから変態達の後を追う。
「ひぃぃぃぃ化け物だぁぁぁぁぁ!!」
間違ってはいないけど、卑劣な性犯罪者にだけは言われたくないわね。
途中で一人が落ちていた空き瓶に躓き転倒する。
「や、やめっ!助けてくれ!」
「えー?申し開きなんて聞いてないわぁ♡」
私は指を揃えて抜き手の要領で男の心臓を右手で貫く。
「がっ!?」
心臓を貫かれた男は喉から声の代わりに汚い血反吐をごぷごぷと吹き出しながらあっさりと絶命する。
「んー、やっぱりロクでもない奴の血は大して美味しくないわね。まっ、『まともな』人の血は吸ったことが無いからわからないけど」
最後の一人の後を追おうと前を見ると騒ぎに気付いて別の人間が来たらしい、誰かに何かを言っている姿が見えた。
「あ、あんた何やってんだ!こっちには化け物が」
「あらぁ?人を化け物扱いなんて失礼しちゃうわ」
最後の一匹を脊髄から爪で切り裂いて始末する。私は態と自分が返り血を浴びるような裂き方をして、迷い込んでしまった人間を怯えさせて逃げさせようとする。
「・・・」
・・・・・・あれ?
おかしいな・・・。こんな血まみれの人ならざる少女を見たら普通さっきの変態達みたいに逃げ出すものだと思ったのだけど。
もしかして私の威圧感、低すぎっ?!
「あ、あら?貴方は怖がらないの?不思議な人間もいたものね」
良いから怖がって逃げなさいよ。別に貴方を殺す理由はないんだから。
「別に、怖くないな。むしろ死ねるならラッキーだ」
あっれー?!何でそうなるのぉ?!死ねるのラッキー違うよね?何かが変・・・。
「じーーーーーーーー」
「な、なんだよ」
もしかして普通の人間とは違うのかしら?確かにちょっと目が濁ってるというか、光が無いというか・・・。
「・・・」
でも、私はその瞳をどこかで見た事があった。どこだっただろうか・・・。
青年は訝し気に私の顔を見ている。ってそりゃそうか、こんなに見つめられたら。
青年の瞳に映りこんでいる私を見て、やっと思い出す。
「ぷふっ♪あははは♪」
「な、何がおかしいんだ!」
「貴方、気に入ったわ!その瞳、妖怪《私達》側の瞳ね」
それはかつての自分と同じ、悲しい瞳をしていた。瞳の奥に眠る光が寂しそうに湛えられているそれはいつかの日の私の目と同じだった。それが何故だか凄くおかしくて、嬉しくて笑ってしまう。
そしてまた、守りたいって思ってしまった。
この機会を逃したら一生後悔すると女の感がそう告げている。だから、私は思った事を素直に告げることにした。
気が付けば私は目の前にいる青年を妖怪になるようにお誘いしていた。
何て言いながら誘ったのか、その時は他の事も考えながらだったからよく覚えていない。
兎に角名前を考えなきゃと、頭をフル回転で考える。そして、ぱっと思いついた名前は。
「私はへルディアよ宜しくね♪」
近くに転がる死体から咄嗟に地獄を連想し、この先彼との関係が上手く行くようにと思いを込めて楽園を捩ってへルディアと名乗った。
「俺は風間光一だ」
これが今の私の大切なパートナー『コウイチ』との出会いだった。
あの時半ば強引にした初めてのキスは今でも昨日の事の様に覚えている。
ネーミングセンスが皆無の私。