105話「生贄は誰だ」
怪物が来る。梓はすぐに、冬城を取り押さえるのをやめて、立ち上がった。梓の押さえつける力から解放された冬城が、にやりと僅かに口元を緩ませる。
現れる全ての怪物から、この部屋に居る全員を守り切れるか、正直、自信が無い。部屋の作りはごくごく単純なもので、コンクリートで固められた、土間のような立方体の部屋だ。へこみや出っ張りは見当たらず、広さも、机の上に置かれている二本のロウソクで、十分照らせる程度の広さに収まっている。
部屋が狭ければ、相対的に、梓の矢による射程が目減りするということであり、怪物の大鎌で獲物を捉えられる範囲が絞られるということだ。怪物は少ない動きで部屋の中の対象人物の首を切ることができ、梓の方は部屋の狭さによって弓の射程による優位性が少なくなってしまう。
その上、怪物の狙いが誰になるのかも分からない。恐らく、冬城が狙うのは梓だろう。しかし、怪物の生け贄は誰なのだろうか。
恐らく、一番確率が低いのは駿一だ。駿一とかかわりが深いティムと冬城が喧嘩友達だという事以外では、接点は無さそうだ。
瑞輝の方は、駿一よりもずっと、生け贄にされる確率が高い。瑞輝も、駿一と同様にティムとはかかわりが深いらしい。そして、ティムとの接点のおかげなのか、冬城にも時々おちょくられたり、庇われたりといったことをされていたらしい。冬城との縁の深さという意味では、普通程度に会話する人よりも、場合によっては深くなっているだろう。
では、梓自身はどうなのか。駿一や瑞輝のようにクラスメートではないどころか、梓は別の学校に通っている。冬城との関係が深いかといえば、違うだろう。それなのに駿一と梓が同程度に生贄にされる確率が高いと思う理由は、ついさきほどの会話だ。冬城は十中八九、誰かと呪いの話をしたいはずだ。更に言えば、今までやったことも包み隠さずに誰かに話したい。そういう欲求は強烈だろう。現に、さきほどの会話では、冬城は梓に、相当重要な事まで話してくれた。呪いについて詳しく、しかも冬城の犯した罪のことも知っている、唯一、恐らく、家族よりも打ち解けられる存在となったのが梓だ。そして、梓の方も、冬城を救いたいという気持ちを無くすことは不可能だろう。梓はその事を、自分自身で痛感している。そのため、梓と瑞輝、どちらが生贄にされるのかは、全く予測が出来ない。
瑞輝はこれまでの生活の中で、毎日顔を突き合わせる高校で、冬城との縁を培っているので、時々でも冬城と交流があったのならば、梓と冬城のように、知り合ったばかりの関係よりは、縁が深くなっているだろう。しかし、梓と冬城の関係もまた、オンリーワンの関係になってしまった。更に、冬城の個人的かつ内面的な思い入れも加味すると、駿一も含めて、誰が生け贄の対象になるのか、その可能性を完全に絞りきることは不可能だ。
呪いの対象人物と、生け贄にされる人物が同じでいいかどうかを調べておけば、一つの判断基準にはなっただろうが……今となって後悔しても、もう遅い。それに、ついさっき、梓との縁が構築された事を、呪いの主であり、今まで呪いを一番の趣味としてきた冬城が勘付いていないわけがないだろう。呪いの対象人物と生贄を同じに出来なかったとしても、意識的に梓以外の人物にターゲットを合わせるくらいの駆け引きはしてくるだろう。
「――インスタントな人間関係でも、生け贄としては十分なんだ。たかだか一週間程度の付き合いでもな」
「――邪魔者を生け贄にして消せる。その時は、家族の愛情よりも、呪いに対しての欲求が勝ったんだ。そして……私は父さんを殺した。いや……父さんを生け贄にして、どこの誰かも分からない他人を殺した」
梓がさきほどの会話を思い出す。冬城は、この呪いを使いこなしている。生贄になり得る人物でも、邪魔者とあれば、生け贄にもターゲットにも出来るし、インスタントな人間関係でも、強力な縁が発生してしまえば生贄に出来ると、冬城自身の口が証明している。また、自分の気持ちをある程度コントロールすることで、呪いの本来の性質を歪められるし、過去にそれを成功させていることを、半ば自慢のように語っている。もしかすると、梓の思いもよらないくらいに呪いを強力に曲解したような、イレギュラーな使い方をしてくる可能性だってあるだろう。そうなった時に、梓は咄嗟に対応できるのだろうか。
……もっとも、一回の呪いで相手にしなければならない怪物は四体も居るのだ。一体はターゲットを呪い殺すという本来の目的のために、一体は生贄の首を切るために、一体は呪いに失敗した者を、呪い返しとして罰するために。そして、もう一体も同じく呪い返しとして、今度は本人の首を取るために。駿一と瑞輝が居るとはいえ梓は立て続けに迫る四人の怪物を、破魔の力によって全て浄化しなくてはならない。その単純な戦力差は、どれだけ考えたとしても、今更埋めることはできない。更には呪いが僅かにずれたバリエーションの場合なら、更に多くの怪物を相手にすることになるかもしれないのだ。勿論、逆に相手にする怪物が少なくなる可能性も無くはないが……。
「どちらにせよ、骨が折れそうです……」
梓が周りを注意深く見渡す。いつ、どこから怪物が現れるのかを見極め、怪物が現れたら即座に矢を放たなければならない。
蝋燭のオレンジ色の光がコンクリートで出来た灰色の壁と床に反射し、両者の色と光がまだらに混じりあい、奇妙な色合いになって揺らめいている部屋の中で、梓は弓を引き絞る。
そして、何の前触れも無く、突然そこに立っている不吉な存在。所々にヒビが入り、今や羊以外の何物にも見えない巻き角を備えた頭蓋骨。そして、そこに、単に巻き付いているだけに見える、中に胴体の見えないボロボロの紺のマント。手に持ち、早速振り上げている、人の身長ほどはある大鎌。今回の連続殺人事件で人々に恐怖を植え付けた、正真正銘、本物の怪物である。
「……!」
梓は怪物を視界に入れた瞬間、間髪入れずに弓を弾き絞り、怪物に向けて矢を放った。




