期待を裏切られた厨房の下働き
エレン主体のお話です。
「はあ、もう嫌になる」
盥がまた一つ増えた。これは絶対に王宮内の洗濯物がここに集まっているということで間違いがない。洗濯機の無いこの世界、普通に洗濯しなくてすむなら楽だよねと目にしょっぱいものが滲む。空を見上げれば、今日も絶好の青空。これだけたくさんの洗濯物も一斉に翻って綺麗に乾くだろうなあ。壮観だろうなあ。あははとエセル自身もかわいた笑いをこぼす。
「どうした?」
エセルがやさぐれていると性懲りもなくアルが来たようだ。
「また盥が一つ増えたんだよね。もう、嫌になった。やめようかな」
「いや、早まるな」
アルが慌てたように言う。エセルは小首を横に傾げ、なんで彼が慌てているのか理解できずにいた。
「やめるなんて頼むから言わないでくれ」
「なんでアルがそんなことを言うの?」
素朴な疑問である。ただの従僕でしかないアルが一下女が辞めようが辞めまいが関係ないはず?そんな疑問を浮かべながらアルをじっと見る。
「いや、その、あの、そう、そうだ、その王太子を探すのが面倒なときにここでお前と話すのが楽しいからいなくなると困る」
「はあ?」
途端に三白眼になるエセル。目を眇めて、彼を見つめているとタジタジとアルが後ずさりする。なので、彼女はまるで逃がさないとでもいうように間合いを詰めるように一歩ずつ歩み寄る。
「お、お前と話していると楽しいからだ」
やけくそ気味にアルが言い放つとエセルはきょとんとした顔になる。言ったアル自身も自分の言葉に呆然とした。そのまま二人ともじっと互いを見つめあいフリーズした。傍から見れば恋人同士の見つめあいにも見えたらしく、このことでアルは見張っていた影たちから揶揄われる羽目になるのは後の話。
先に動いたのはエセルで盛大に溜息を吐くと、その場に座り込んだ。
「アルは楽しいかもしれないけれど、こっちは面白くない。もともとは料理魔法を使いたくて王宮に雇われたのに、ずっと洗濯魔法ばかりで嫌になる」
エセルの本音ダダ漏れである。アルもその横に座り、エセルの顔を盗み見る。
彼女の素性が知れないが、ここは彼女の希望を少し叶えておくべきだと瞬時に頭を働かせる。
「なら、洗濯魔法を使った後は厨房の下働きをすればいい。洗濯魔法はエレン以外に使える者がいないから仕方ないがその後の仕事は他の下女でもできる。厨房の下女の仕事ができるように伝えておくが、お前、大丈夫なのか?洗濯魔法でかなりの魔力を使っているだろう。休まずに働くことができるのか?厨房の仕事は体力がいると聞いたが」
「大丈夫だよ。洗濯魔法ではそんなに魔力を使わないし」
エレンはうれしそうに笑う。そんなに厨房の仕事がしたかったのかと思うとアルは複雑な気持ちになる。彼女の仕事をどんどん増やしていったのは彼のせいだ。彼女の魔力値を探ろうとしたのだが、どんなに洗濯魔法を使わせても、エレンはケロッとした顔をしていた。まさか、魔力がそれほど必要とされていないとは思わなかったのだ。そこでまたアルは考える。
「じゃ、厨房の方に話しておくから、ここが終わったらそっちに行くように」
それだけ言うと、アルは厨房の方に顔を出す。彼は顔見知りの料理人を呼び出して、下女のエレンにここの手伝いをさせることにしたと告げる。下手に機嫌を損ねて逃げられでもしたら困るからだ。エレンが望みどおりにご機嫌取りをしておこうと決めたのである。
「初めまして、エレンと言います。午後からはこちらで仕事をするように言いつけられましたのでよろしくお願いします」
と張り切って綺麗に背筋が見えるようにきっちりと四十五度のお辞儀をした。これで好感度は上がったはずだとニマニマしていると、ドンと目の前に芋の入った籠が置かれた。
「これ剥いといて」
渡されたナイフと芋が大量に入った籠。ふふ、下働きってこういうことかとどこかに意識を飛ばしそうになる。他の下女がしているように厨房の外の椅子に座り、ナイフで芋を剥き始める。おい。包丁はどうしたと突っ込んでいいかと心の内で毒づきながら、周りの下女たちと黙々と手を動かす。
ちまちまと芋を剥くのもかったるくなり、手早くパパッと剥けたらいいのになあと思っていたら、またぴろろ~~ンというあの懐かしい音楽が頭に響く。時短魔法を覚えましたって、時短?ああ、時間短縮魔法ねと理解する。
では早速使ってみましょうかとナイフを手に取り、時短魔法を使うとあら不思議、芋があっという間に剥けていく。これはまた便利な魔法を覚えたものだとどや顔で剥けた芋の籠を厨房に運ぶとまたドンと今度はニンジンが入った籠を渡される。こ、これはまたデジャブが~~と叫びたくなる。
下女仲間が呆然とした顔でエセルを見ている。「あ、先輩お久しぶりですね」と騎士団の洗濯場で最初にエセルの指導をしてくれた彼女に微笑む。ギギギと壊れた人形みたいに彼女が動き、「反則だ」とか何とかぶつぶつ呟いていたけれど、まあいいや、こうして下積みをしていれば、いつか厨房に立てる日も来るかもしれないと遠い目をしながら、また椅子に座り、時短魔法を使いつつニンジンを剥く。
やっぱりデジャブだった。次の日からどんどん野菜の皮むきの籠がエセルの前に積み重なっていく。皮むき仕事は最終的にエセル一人の仕事になる。他の下女たちは、厨房から消えた。そう消えたのだ。下女の仕事は野菜の皮むきしか任されてなかったらしい。それで、エセル以外の下女は他の場所に異動になった。またやさぐれていい?ねえ、いい?とエセルは心の内で舌打ちをする。
「また、お前は派手にやったそうだな」
ナイフを握り、時短魔法で黙々と野菜の皮むきをするエセルの隣で、したり顔のアルが椅子に腰かけている。
「ちょっと、また仕事さぼり、暇なら付き合いなさいよ」
と強引にナイフを渡し、アルを皮むき仲間に引き込む。
実にアルは不器用な手つきで分厚く芋の皮を剥く。
「下手くそ」
実は腹いせだったのだ。即、突っ込んでやる。
「こんな仕事したことないからな。お前みたいに料理魔法を覚えているわけでもないし、それになんだ、その早さは。異常だぞ」
アルも負けていない。
「ふふん、時短魔法を覚えたからね」
「はあ?」
アルの目が大きく見開き、また口をポカンと開ける。デジャブ?洗濯魔法の時もこうだった気がする。
「うん?時短魔法って何か問題があるの?」
アルがやっとフリーズ状態から回復したのか、頭を抱え込んだ。
「お前、反則すぎ。まさか、時短魔法って料理魔法から派生して覚える方法もあるのか。一体お前の属性は何なんだ」
「え、無属性ですが、何か?」
エセルの言葉に脱力したように項垂れるアル。
「お前、それを本気で言っているのか?」
「ええ、だって、生活魔法って無属性じゃないですか?属性なんてあるわけがない」
えへんと威張るようにエセルが言うとアルが彼女の頭をベシッと叩いた。
「馬鹿か、時短魔法を覚えるのは風属性が必要なんだ。風魔法を極めていくと時短魔法が覚えられる。それが常識だ」
「へえ、そうなんですか?まあ、何かの手違いかもしれませんね。だって覚えちゃったものは仕方ないじゃないですか」
と乾いた笑い声で誤魔化すエセル。笑って誤魔化せとはよく言ったもんだと心の内では思う。実際問題、何でと聞かれても彼女が説明できるはずがない。覚えられたのは幸運だったと思うしかない。開き直るエセルの態度に何か思うところがあるのか、アルはよろよろとした足取りで、去って行った。
午前中は洗濯物を洗濯魔法で選択し、午後からは野菜を時短魔法で皮むきする日々。
これって都合よく扱き使われているのではないかとこうした状態が一カ月もたつとさすがのエセルも気づく。
またやさぐれてやろうかと思いつつも、当たり前のようにやってくるアルを相手に愚痴をこぼす。
「洗濯と皮むきって何気にこれって扱き使われているよね。なんか人の何倍も仕事を押し付けられている気がするのに、賃金は同じって馬鹿にしていると思わない」
そう、賃金の上乗せを要求しようとエセルは思ったのだ。いつかは料理人になって自分の店を持つ。その目的のために王宮の下女になった。王都住まいの通いの下女が多い中、地方から出てきた者のためにある下女用の十人部屋に住み、プライバシーの無い生活も我慢している。下手にうち(公爵家)に戻って家出がばれるのも問題だから、これは諦めている。
食事は下女用の賄い食で三食付き。王宮というだけあり、兵士や従僕、下僕、下女などの最下級の食堂でもそれなりにおいしいものが出る。量も好きなように選べるところは気に入っている。残すのはもったいないからね。「もったいなお化けが出るぞお」って、前世のおばあちゃんによく言われた。そもそも男と女では食事の量が違うし、兵士と下働きでも食事の量は違うから、これは合理的だと思う。たまにこの食堂でアルと出会い、一緒に食事をするときもある。
服は下女用の制服が支給されているので、問題ない。休みの日は王都で布を買ってきて、裁縫関係の下女仲間から裁縫室を借り、ミシンで裁縫魔法を使い手軽に簡単に作ったワンピース数枚で過ごす。そのワンピースを見て、下女仲間たちから服を作ってくれと持ち掛けられて、布を持って来ればと手間賃なしの材料だけで希望の服を裁縫魔法でいろいろと作ってやったら、何故か、代わりに王都で流行のアクセサリーとか小物とかお菓子とかをもらったのでそれですんでいる。
なので、衣食住に今は何の問題もないために、貰った給金は全部貯金に回してある。なんてお気楽な下女生活。
って話じゃない!!
「これは労働者の改善要求よ」
「はあ?なんだそれは」
あ、またやった。こっちの世界にはたぶん労働者を守るっていう法律はない。つまり前世の勉強で習った労働組合なんてあるわけがない。ハンガーストライキとかデモとかそんなことをしたら、当たり前のように罪人扱いだ。
「ナ、ナンデモアリマセンワ、ホホホ」
棒読みになってしまったのは仕方がない。アルはじっとエセルを穴が開くほどに見つめていたが、頭を振る。半分諦めたような顔だ。そうそう、人間は諦めが肝心さとエセルはにやつく。
「賃金を上げてほしいのか?何か必要な物があるのか?」
「いや、別に、必要って物はないけれども、ただ、貯金がしたいから」
「貯金?」
「あ、ううん、お金を貯めているの」
慌てて言い変える。銀行っていう制度がないから貯金という言葉もあるわけがない。
「金が必要なのか」
「うん、ちょっとね」
ここは誤魔化しておく。下手な言い訳をすれば、絶対にドツボにはまる。意外とアルは聡い。流石は王太子の従僕をしていることだけはある。
それにしても、王宮は意外とブラック企業だったという事実にガッカリしているエセルがいた。
いつも拙い文章を読んでくださいましてありがとうございます。