第5話 リツナ旧市街
腰のベルトに剣を差し、僕は北へと移動する。もちろん移動手段は徒歩。寝起きのような気怠さを感じながらの移動は地味に辛い。
目的地の旧市街は、街の北に小一時間程度歩いた大木の聳える丘を越えた先。この旧市街は名の通り、昔のリツナの街が存在した場所のことだ。現在の位置に街が移動したのは、過去に起こった疫病の蔓延や怪物や魔物の襲撃、ある事件による地盤の崩壊などの度重なる不幸が原因だそうだ。
ちなみに、現リツナの街は、未だに拡大中で、至る所に奴隷を使役した建設現場がある。街中を少し歩けば、カンカンという音が聞こえるし、彼らの姿も目に入る。住民はそれを見て見ぬフリをしたり嘲笑ったりするのだから、僕は街というものが嫌いだ。
彼ら奴隷は、いくら頑張ってもそこには住めないというのに働かずにはいられない。そうしなければ、確実に死ぬから。世界そのものが、僕ら貧民を虐げている。
「ーー最高だなぁ」
街道を行き交う荷馬車に轢かれないよう気をつけながら、僕は小さく口元を緩めた。復讐とは直接関係なくても、寄り道やつまみ食いぐらいはしていいのかも、なんて考えがおかしくなったのだ。
(奴隷を解放して、復讐を助長する、か)
それも場合によっては良いかもしれない。理由なんて特に必要ない。気に食わないから、それで十分だ。僕の行動原理は、それでいいのだ。復讐を遂げるのは、私怨でしかないのだから。大義だけならそこには存在する。
ただ、こう気まぐれになったのはいつからだろう。このよくわからない感情は、あの心の底で凍って姿を見せない感情とは明らかに違う。復讐相手に対する怒りや、殺した化け物に対する怒りとも違う別の複雑で奇々な感情。自身でも把握出来ないソレは、好奇心とかその類だろうか。
生前なら、自分のことはそれなりにわかっていたつもりだったが、まるで己が他人のようでよくわからない。それが少しだけ不安を煽るもんだから、僕はとっても面倒な人間なのだ。
(まぁ、こんなことに悩んでる時点で……)
今の僕が歩むこの道は、物語で語られない部分なのかもしれない。物語が始まるずっと前の。そう、始まって数文字程度に収まるくらいの。語りの英雄たちは金には困らないし、こんな朝っぱらから廃墟に入って、金稼ぎなんてしたりしない。いちいち悩まないし、正義感丸出しで、復讐なんてしない。
「あー、嫌になる……!」
はぁ、とため息を一つ吐いて、東の空を眺める。季節で言えば、あの赤い花が咲く頃。肌寒さが強くなったのは、冬が間近だからか。出来ることなら、昼前に辿り着き、夕方より早く帰りたい。また外で待つのはごめんだ。
ー
それから少しも経たない内に〝この先、リツナ〟と掠れた文字の看板が目に入った。草原の途中に突き刺さる傾いた看板が、時の経過を物語っている。
「よし、行くか」
丘を駆け上がる。駆け出した僕は、妙に気持ちが浮ついていて、復讐をする人間とは思えない程にワクワクしていた。村を出て、金を稼ぐために戦う。憧れの親友になれたような気分なのかもしれない。その親友が今、どこで、なにをしているかは僕にはわからないが。
それに、カイルが言っていたのだ。『旧市街は、稼げる』と。『旧市街は、冒険みたいだ』と。なら、おとぎ話の冒険者のようになりたい。そう思うのは必然だった。
おとぎ話の世界がすぐ側で僕を待っているのだ。だから、駆け出さずにはいられない。それに、この丘の上には僕の見たいものがある。
「ーーあった。これが……」
頂上に到達した僕が真っ先に向かうのは、丘に聳える大木の根元。正確にはその根元に建てられた大きな石碑の前だ。これが僕の見たかったもの。今の僕に似合うもの。
視線の先に建てられた特殊な石碑は、旧市街を見下ろすように鎮座している。その石碑には、大きな魔光石が埋め込まれていて、大木の陰の中、刻々と変化する柔らかい光を放っていた。
もちろん石碑を盗みに来たわけではない。これは街の名前にもなっているある人物が建てた石碑だ。だから、見たかったのだ。
「リツナ・ハイエ……」
石碑に刻まれた文字の最後に記された名前。この石碑は彼女の複雑な気持ちを形にしたみたいで妙に親近感を覚えた。形は違えど、彼女も僕と同じで、家族同然の存在を奪われた人間。そう言った点では僕と同じだと思ったからここに来たのだが、
「ーー残念。違うみたいだね」
僕の声は、葉の擦れる音に掻き消えて、僕がここに一人でいるということを実感させた。石碑に刻まれた彼女の言葉は、僕とは違う。
(心に平穏を、か)
少なくとも彼女は悲しみ、怒りを鎮めたことがわかる。似通った部分はあっても、僕と彼女は違う。それだけ確かめられただけで儲けものかもしれない。
(殺された人間は……選べないさ)
リツナ旧市街の人間は不幸で死んだ。子供たちは、なにに殺されたのだろうか。
「はぁ……。最高だ、本当に」
独り言に独り言を重ね続ける僕は、大木の脇を通り抜け丘を駆け下りる。仲間なら、あの少女がいる。この世界だ。復讐を誓う者が、他にもいるかもしれない。
丘から見える旧市街は、まさに廃墟といった感じだった。自然が繁栄し、文明が淘汰され、あちこち崩落して虚空が覗いている。
遠くからでも見える煙や建物の瓦礫。建物に絡まる蔦。木が生え、根を張り、花もちらほら風に揺れている。南西部には怪物が繁殖し、大穴を挟んで北東部は悪党どもの根城になっている危険な場所。まさにおとぎ話や英雄譚で、勇者たちが旅するような光景がそこには広がっているのだ。
(カイルの言った通りだ……!)
「あは、はは!! 行くぞ! 金稼ぎだ!!」
大きく口を開け、息を吸い、吐き出して、大声を出す。その行為に別に意味がなくても、それが空元気で虚しくて滑稽で無様で恥ずかしくても、そうしたくなったのだ。さっきの気持ちが吹き飛ばせるのなら、それで良かった。
肌を突き刺す空気の重み。漂う埃やカビの匂い。建物に絡まる蔦の質感や影の具合を目に焼き付け、全身を通して伝わってくる感覚を味わう。
(大丈夫。僕は必ずやり遂げるさ)
己にそう言い聞かせ、僕は旧市街に足を踏み入れた。
◆◇◆◇
それからしばらく経ったのち、僕はある場所に辿り着いた。初めての旧市街でも僕は迷うことなく、その場所へと向かい、瓦礫の隅に横たわるようにして隠れている。ここは〝狩場〟とカイルが呼んでいた場所。二年も前に出て行った彼の言葉を僕は今でも覚えていた。
「おっ……来た来た」
そして、崩れて日の光の降り注ぐ建物の中に、二匹の魔物が入って来た。見た目をざっくり説明すると、黒い体毛に白い斑点模様のツノの生えた獣。つがいなのか、寄り添って支え合う魔物どもは、肋骨が浮き出ていて、見るからに弱っている。
もちろん隠れている僕に気付かない奴らは、嬉々として、用意された死骸を貪り始めた。
「流石カイルだ……。言った通りじゃないか」
似たような台詞を吐き、僕は側に置いた剣を拾い上げ、右に構える。左手には、石ころ。カイルの言う〝狩場〟は比較的弱った化け物どもが流れ着く場所。
とは言っても、弱ったくらいで人に殺されるほど魔物は優しくない。だが、僕には〝あの少女〟から授かった力がある。
「つがいであろうが、殺せば肉塊になって、売れば金になるしな」
(ーー始めますか)
僕は小さく息を吐き、石を奥へと投げつける。石ころが壁にぶつかり、大きな音を立て、木の板の隙間に滑り落ちてゆく。
音に警戒心を跳ね上げる魔物どもは、雌が勢い良く跳びのき、雄は音に向かって走り、壁に体当たり。あらかじめ、脆くしておいた床が崩落し、獣の姿が搔き消える。
「ーーよし!!」
もう一匹が罠と気付いた時には、僕は獣に肉薄している。鋭く光る剣。叫ぶ獣。突き刺さす感触。噴き出す鮮血。肉の千切れる軽快な音。獣の断末魔。
(ボロくて切れないなら突き刺して捻り切ればいい。殺すのに剣技も技術も必要ない……!)
魔物の首を捻り切り、まだビクビク動く胴体を踏みつける。ギシギシと床を鳴らす身体が、魂を手放して動かなくなるのに数刻も掛からなかった。
「ははっ、上手くいったぞ!」
崩れかけの建物に射し込む日を浴びながら、死骸から金になる部分を剥ぎ取る。羽織っていた外套は、袋の代わりに利用し、剥ぎ取り、引き千切った部分をそれに詰めた。
卑怯でも、臆病でも関係ない。ドブを啜るように、僕は汚く稼ぐのだ。