表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/28

06話 婚約者のお姉様とその旦那様のお屋敷に行くお話

 

 お父様が自信満々に笑って、私に任せろとおっしゃった翌々日のことです。


「こうして共に出掛けるのはいつぶりかな」


「いつぶりでしょう。一緒にお出掛けするような用事なかなかありませんでしたから」


 馬車に揺られながら、私とお父様は談笑をしていましたが、正直なところ私は気が気ではありませんでした。


 サラーサ・ムンブルク様。

 

 私がお慕いしている王国騎士団教官のヴェルザル・クロスガーデ様のお姉様。

 そして、王国騎士団団長のゴルドー・ムンブルク様の奥様。

 

 あまりにも恐れ多いその方に、私はこれから会いに行こうとしています。


「緊張しているのか?」


「……はい」


 私が深呼吸をして自分を落ち着けようとしているのを見てお父様は笑います。


「こういう時、アラガンやウルデはまるで緊張しないんだよなぁ。きっとあの二人は私に似て、イリシエとリコはルデリアに似たのだろうな」


「ルデリアお母様は緊張しがちな方だったんですか?」


 六年ほど前に病気で亡くなったルデリアお母様は、当時の私から見れば亡くなる直前まで気丈夫で、私はどうしてあれほどに強くあることができるのかと幼心に驚いていたほどです。

 一方で私はといえば、当時はわんわんと泣き喚いてしまい、お兄様たちによく慰めてもらっていたものです。当時は私が十二歳で、三男のウルデお兄様が二十六歳でした。それこそお兄様たちにとって私は子供のようなものだったでしょう。


 そんな回想に耽っていると、馬車が止まります。


「おっ、着いたかな」


 お父様がそう言うと、馬車の扉がちょうど開きました。


「お嬢様、旦那様。到着でございます」


 扉を開けてくれたのは、専属で御者として雇っているクロドナです。

 手も顔も皺だらけのお爺さんで、白い髭を顎にたっぷりと生やしています。

 お父様が若い頃から雇っていらっしゃるそうで、私が生まれる前からのお付き合いになるのだそうです。


 屋敷に専属で雇っているのは彼だけで、それ以外に馬車が入用の時には前日にクロドナに頼んで、他の馬車を呼んでもらうことになっています。

 屋敷に定住しているのが私とお父様だけなので、馬車は一台あれば十分なのです。


「ご苦労様、クロドナ」


「ありがとうございます、クロドナ」


「いえいえ。それでは馬車を停車してお待ちしています。ごゆるりとお過ごしくだされ」


 私とお父様がクロドナに声を掛けると、クロドナはそう返事をして、馬車を走らせていきました。


 その後ろ姿を見送って、改めて私は目の前のお屋敷と対面します。


「屋敷はうちと同じくらいだけど広い庭だろう?」


「はい。とても綺麗です」


 ゴルドー・ムンブルク様とサラーサ・ムンブルク様のお屋敷は、私とお父様が住んでいる屋敷とそれほど変わらない大きさでしたけれど、敷地は幾分か大きいようです。

 花々が咲き誇る広い庭を中央にして、馬車が四台は横に並べそうな円形の通り道があって、その脇に馬車を十台以上は停車させることができそうなほどです。

 

 私とお父様が降ろされた場所は、門のちょうど正反対の位置にあるお屋敷の入口の前で、大きな(ひさし)の向こうにある木製の扉が私たちを出迎えてくれています。


 お父様はその扉の前まで歩いて、扉に備えてある人呼びのための金具をごんごんと鳴らします。


「はい、どちらさまでしょうか」


 すると扉の向こうから年老いた女性の声がします。


「ゴルドー殿の友人のルグルド・ルーデランドだ」


 お父様が答えると、扉はゆっくりと開きます。

 

「お待ちしておりました。ご案内いたします」


 家政婦さんなのでしょうか。

 扉の向こうは大きな広間になっていて、左右には廊下が、正面には左右に分かれいく階段があって、それはちょうど上で合流するような形になっているようです。

 広間に一人立つその女性は、エプロンを身に着けてはいますが、眼鏡越しに見える眼光の鋭さはとても家政婦さんのものとも年老いた女性のものとも思えませんでした。


「シグさん、いつもいつもすまんね」


「仕事ですから」


 お父様の軽口を、その年老いたメイドさんはさらりと返しました。


「シグ様、とおっしゃるのですね。いつも父がお世話になっております」


 私がそう挨拶をすると、シグ様はぎょっとしたようです。


「……本当にお前の娘か」


「失礼なことを言うなぁシグさん」


 シグ様は疑うように私の方をじっと見つめます。


「あの、何か失礼をしてしまいましたか?」


「なんでもありませんとも。……お嬢さんは母君によく似ていらっしゃるようで。軽口が過ぎました。それではご案内します」


 言い終えると、シグ様はくるりと踵を返してすたすたと進んでいきました。

 その後を私とお父様が追いかけるように歩いていきます。

 

 入口のすぐ目の前にある階段を登って二階に上がると、そこもまた左右に廊下が伸びていて、そこを足早に進みます

 ゴルドー様とサラーサ様のお屋敷はものが少なく、花瓶や装飾品の類がほとんどありません。その代わりというのもおかしいですが、窓からは大きな庭が見渡せるようになっていました。

 

 しばらくもしないうちに、とある扉の前で止まります。

 その扉をとんとんと叩いて、シグ様は声を掛けます。


「お客様がいらっしゃいました」


「うむ。ご苦労。入ってもらってくれ」


「かしこまりました」


 シグ様は話を終えるとこちらに向き直ります。


「旦那様がお待ちです」


「どうもな、シグさん」


「ありがとうございました、シグ様」


 お父様と私はそう挨拶をして、お父様を先頭にその部屋の中へと入ります。

 

 部屋の中は談話室になっていて、大きな机を挟んで向かい合うように三つずつ椅子が立ち並んでいます。

 その手前の奥側の席に男性が一人座っていました。


「おお、待っていたぞルグルド。こちらが娘さんか」


 年老いた男性の声ですが、ハリのある元気なお声です。

 その声の主は、笑顔で手を振りながらこちらへと近づいてきます。


「君がリコルットだね?」


「はい、お初にお目に掛かります。ルグルド・ルーデランドの娘、リコルットでございます。失礼ながら、ゴルドー・ムンブルク様でいらっしゃいますか?」


「その通りだ。なるほど、聞いてはいたが若々しくも凛々しい女性のようだね」


 お父様と仲の良いお方だとはうかがっていましたが、実際にお会いするとなるほどと思うような穏やかで明るい方です。けれど、流石は王国騎士団団長の名にふさわしい鍛えられた肉体をお持ちのようで、ヴェルザル様のように引き締まった身体つきをしていらっしゃいます。


「お褒めに預かり光栄です」


「そう謙遜しなくてもいい。……さて、早速だが本題に入ろうか。座ってくれ」


 ゴルドー様が既に座っていらっしゃるので、その向かい側に腰を掛けます。

 

「サラーサ殿はいないのか?」


 お父様が尋ねるとゴルドー様が答えます。


「ああ、サラーサは遅れてくる」


「遅れて? 何か用事でもあったか」


「いや、準備があるそうでな」


「準備?」


 お父様が首を傾げて不思議そうにしています。

私も一緒に不思議に思ってしまいます。

いったいどのような準備なのでしょうか。

 

「……それはひとまず置いておこう。リコルットお嬢さんとヴェルザルの婚約を思いついたのは、実は私だ」


 ゴルドー様はにっこりと笑ってそうおっしゃいました。


「そうだったのですね! その、私自身ヴェルザル様との婚約など考えてもみないことではありましたけれど、このような機会を頂けたこと、心より感謝申し上げます」


「ああ、いいんだ。私もルグルドも、それがきっといいことだと信じてそうしただけだからね。それで、いくつか知ってもらいたいことがある」


「……はい」


 ゴルドー様の雰囲気が厳かなものになって、私はぎゅっと手を握ります。

 

「まず一つは、君も知りたがっているヴェルザル・クロスガーデのこと――その中でも彼が帝国との大戦に参加した時のことだ」


 言いながらゴルドー様は一冊の手帳を懐から取り出しました。

 あまりにもボロボロで、ところどころに血のようなものが滲んでいるのが見えて私は鼓動が早まるのを感じます。


「これは……?」


「ヴェルザルは元々騎士だった男で、当時の大戦では記録係も務めていた。戦場はどころ、誰が死んで、何人殺して、病人が何人で――それを記したものがそれだ。それを、君に読んでもらいたい」


「私が、読んでも良いようなものなのですか?」


「もちろんだ。写しもとられているし、当時のことを知る貴重な資料として扱われているよ。……これはその原本だ」


「ということは、これは」


「そう。ヴェルザルがまさしく当時触れていたそのものだ。……大切に扱って欲しい。それともう一つ」


 ゴルドー様はそう言って懐から書状を取り出しました。


「これは……?」


「紹介状だ。ヴェルザル行きつけの飯屋のものだ」


 私はどんなものが来るのかと身構えていたので、少し拍子抜けしてしまいました。

 飯屋、という言葉にあまりなじみはありませんが、おそらくお料理屋さんなのでしょう。


「飯屋さんの、紹介状ですか……? 紹介状がなければ入れないようなお店なのでしょうか?」


「いや、そんなことはない。極めて一般的な、働く男たちに人気な店だ。これは、働くための紹介状だ」


「働く……? 私が、その飯屋さんで、ですか?」


「そうだ。おそらく、それがあの男に慣れるのに一番手っ取り早い方法だろう。そこの店長とはもう話は通してあるから、これを渡せば問題なく働かせてくれるはずだ」


「……分かりました。謹んで頂戴いたします」


 私がそこで働くことがどういう意味を持つのか、はっきりとは分かりません。

 けれど、こうして紹介してくださっている以上考えがあってのことであることに違いありません。


 私はその書状と手帳を受け取りました。

 するとゴルドー様はどこか安心したようにため息をつきます。


「私からは、その二つだ。……あとはサラーサに聞いてくれ」


 ゴルドー様がそう言って視線を扉の方に移すと、近づいてくる足音が私にも聞こえました。

 そして扉を叩く音がします。


「どうぞ。お二人ともお待ちかねだよ」


 ゴルドー様がそう返事をすると、扉が開きます。




「お待たせしましたね」




 ――その声を聞いた時、私は思い出しました。

 ヴェルザル様の声を初めて聴いた時のことを。

 それから起きたあの時の出来事を。


 似ているわけでもないはずなのに、私は本能的に何か近いものを感じ取っていました。


 扉の向こうから現れたのは、少し背の高い年老いた女性です。

 ゴルドー様よりもいくらか歳を取っているその人の声はしわがれていましたが、まるで槍を向けられたと錯覚するような、ぞっとしてしまうような声色でした。

 白髪を後ろに短く結んだその女性は、きっと戦場にいたことがあるのだろうと私は直感しました。


「私が、サラーサ・ムンブルクです」


 そう言ってサラーサ様は、その雰囲気とは似つかわしくないほどに穏やかな微笑を浮かべるのでした。




※登場人物の紹介をします。

 読まなくても大丈夫ですが、ご確認程度にどうぞ!


《ゴルドー・ムンブルク》

現王国騎士団団長。

ルグルド(リコの父)とは戦場を共にした仲。

それ以来食事を共にしたり、互いに頼りあったりするように。


《サラーサ・ムンブルク》

ゴルドーの妻にしてヴェルザルの姉。

ゴルドーとは戦場で出会った。詳しくはいずれ。


《クロドナ》

ルグルドお抱えの馬車の御者。

白髪白髭のお爺さん。

ルグルドとはとても長い付き合い。


《シグ》

ムンブルク家に使える老メイド。

白髪のお婆さん。

眼鏡越しでも分かるほどの眼光の鋭さをしているが、戦場にいたことはない。



※恐ろしく白髪率が高いですがご容赦ください。

 ちなみに白髪の皆様の年齢の目安は以下の通りです。

シグ、クロドナ(不詳)>>>>サラーサ(61)>>ゴルドー(56)、ルグルド(56)>ヴェルザル(53)です 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ