05話 決意するお話
不審な二人組から助けてくださったヴェルザル様を置いて、私はウルデお兄様のもとまで駆けて行きました。
それから、ウルデお兄様は混乱している私を宥めてくださって、私は一人先に馬車でお屋敷帰ることになりました。
屋敷に戻って私は騎士団兵舎に残ったウルデお兄様と外出中のお父様の帰りを掃除や料理をしてお待ちしていました。
けれど、どうしてもヴェルザル様への不義理と恥知らずな行いをしてしまったその記憶が私を苛みました。
「リコ、戻ったぞ。……少し、話をしようか」
「お帰りなさいませ、ウルデお兄様」
少し元気のないウルデお兄様を出迎えて、私はウルデお兄様と一緒に談話室へと足を運びます。
「まず今回の事件の顛末から話そう」
ウルデお兄様はそう話を切り出しました。
「どうやらあの二人組は騎士の振りをして人攫いをしようと企んでいたらしい。人攫い自体は初犯らしいが、他にも余罪があるようだ。当分は檻の中だろう。騎士団の服は似たようなものを手製で作ったんだと言っている」
そこまで一息に話して、ウルデお兄様は苦々しく表情を歪めます。
「本当にすまなかった。やはり俺が一緒にいるべきだった」
「いえ、お兄様は何も悪くありません。私が一人で大丈夫だと言ったのですから」
ウルデお兄様の言伝がなければ、私はきっとあの二人に連れていかれていたことでしょ
う。それに、あのような暴漢の出現を予測して備えろというのは困難極まる話です。
それこそ大貴族の令嬢ならまだしも、我が家は爵位こそ高いですが、それほど裕福なわけでもありません。常に身辺を警護させるようなことは無理でしょうし、賊もわざわざ私たちを狙ったりはしません。
「そういえば、あの二人組は、私が貴族だと知っていたのでしょうか?」
「いや、貴族じゃなくてただの町娘だろうと思ったから自分たちの手で誘拐してもなんとかなるだろうと思ったらしい」
「そうですか」
そんなことを聞いてどうなるわけでもありませんが、やはり私は町娘のように見えていたようです。
「ところで、ヴェルザル教官のことなんだが」
「……はい」
私はそのお名前を聞いて胸が痛みます。
「妹だということは伏せて知り合いだと伝えたら謝って置いてほしいと言われてしまってな」
「謝る……? どなたが、どなたに謝るのですか?」
「ヴェルザル様が、お前にだ」
「どうしてそんな」
「騎士団の兵舎全体を管理することは教官としての務めではないはずだが、怖い思いをさせてしまったことを気に病んでいらっしゃるようだ。……ヴェルザル教官が武器を振るう瞬間など、しばらくは脳裏に焼き付いて離れないそれはもう恐ろしいものだからな。それがたとえ騎士を目指す者であってもそうなのだから、お嬢さんにとってはさぞかし怖かっただろうと」
「……お優しい方なのですね、ヴェルザル様は」
私がぽつりと呟くとウルデお兄様は慌てて言いました。
「いや、本当に怖い方なのだ」
「そんなお兄様まで」
「誤解をしているようだから言っておくが、ヴェルザル教官からにじみ出るあの覇気に怯えないものなどいない。ヴェルザル教官は先の帝国との大戦を最前線で闘い続けたお方だ。当然、多くの人を殺めているし、多くの友人を失っている。あの覇気は、俺には想像もできない凄絶な環境で生き続けて勝ち続けた教官が背負ってきた業そのものだと言ってもいい」
ウルデお兄様の話は、本当なのでしょう。
英雄、戦鬼、王国の救世主――様々な二つ名で呼ばれるあの方は、それだけ多くの人の生き死に関わってきたのでしょう。
けれど、だからと言って、それが理由で、あの方が一方的に怖がられ続けてきたのだとしたら、あまりにも悲しいことです。
「……だからと言って、私があの方に無礼な態度を取ることが許される道理などありません」
「ぬぅ。リコはなかなか強情だ」
ウルデお兄様はあきれたように苦笑いをします。
「リコ。あの方を怖がることを、悪いことだと思う必要はない。……だが、あの人は本当に良い人なのだ」
「……はい。私も直接お会いして、改めてそう感じました」
「少し勝手なことを言うぞ」
「? はい、お兄様」
ウルデお兄様がそんな前置きをされるのは珍しいので、私はつい身構えてしまいます。
「あの方は、はっきり言ってしまうが名声に釣り合うだけの資産や身分をお持ちではない。だから、町娘はあまりにも高い名声に、貴族の令嬢はその資産の少なさに抵抗を感じるのだろう。中にはあの方の人格と名声を好んで婚約を取り付ける貴族もいるが、上手くいった試しなどない。……どうしてかは分かるだろう」
ウルデお兄様は、まるで自分のことのように悔しそうにおっしゃいます。
「ヴェルザル教官は、幸せになるべきなのだ。……そうでなければ、何のために戦争を終わらせるために尽力したのか分からないではないか! 戦争を終わらせるために背負った業があの方の幸せを阻むなど、俺は認めたくはない」
「お兄様……」
「それこそ、俺が女に生まれていればあの方の幸せを支えて差し上げたかったが、俺が女だったらという仮定は無意味だからな。想像するだに恐ろしい」
「ふふ、きっと芯の強い女性になられたと思います」
「そうかもしれんな」
ふんと笑ってからお兄様は私の目を真剣に見ます。
私はびくりとしてしまって、視線をそらしてしまいます。
「俺はな、リコ。お前ならあの方を幸せにできるんじゃないかと思っていた。リコと教官ならば、良い夫婦になれるのではないかと」
「ですが私は」
「俺は、今でもそう思っている」
「……!」
私は驚いて、顔を上げます。
「さっきも言ったが、あの方を怖がるのは仕方のないことだ。刃物を見て身が竦むようなものだ。自然のことだ。それを乗り越えて、という言い方はヴェルザル教官に失礼だとは思うが、もしもあの方と共に幸せになりたいという気持ちがあるのならば、考えてみてはくれないか。無論、協力はする」
「お、お兄様」
まるで自分のことのように、ウルデお兄様は真剣に私に向かって言いました。
「せめて遠くからあの方を見るところから始めて徐々に慣れていければ、とも思ったんだがなぁ……」
それからお兄様はそんなことを言って、がっくりと項垂れてため息をつきました。
「……ふふ。その言い方は少しヴェルザル様に失礼ではありませんか?」
「ん? ああ、確かにそうだな。いかんいかん」
私はウルデお兄様とお話しているうちに随分と肩の力が抜けたようで、気が楽になってきました。
もちろん、罪悪感が抜けきったわけではありません。
けれど、それ以上にあの方を愛しいと思う気持ちが心のどこかに生まれた、そんな気がいたしました。
「お兄様」
「む、どうした」
「私、もっともっとヴェルザル様のことを知りたいです」
「!! それはつまり……」
「あの方が素晴らしい方で、私がずっと憧れてきたその人で、今日それを改めてこの身をもって知ることができました。私の胸の中にある気持ちは純粋な好意とは言えないかもしれません。けれど私はあの方を、ヴェルザル様のことを微力ながらも支えたいと思う気持ちがたしかにあります」
「……! そ、そうか! そうかそうか!」
ウルデお兄様はまるでご自分がプロポーズを受けてもらえたかのように、声をあげて喜んでいらっしゃいます。
「そのためにも、この身を研鑽したいと思います」
「研鑽……? 具体的には何をするつもりなんだ?」
「たくさんあります。ヴェルザル様の好みのお食事、色、花など色々なことを知らなければなりません。それにヴェルザル様の放つあの覇気……? というものにも慣れなければきっとヴェルザル様とお話する機会があってもヴェルザル様に遠慮をさせてしまうだけですから。婚約がどうなるにしても、きちんとお話ができるようにしておきたいのです」
私がそうぺらぺらと喋るとウルデお兄様は少し困惑しながらも頷いてくださいます。
「な、なるほど! ううむ、しかしどれもこれも難しそうだな……」
「そう、ですね」
私とウルデお兄様がどうしたものかと首を捻っていると、談話室の扉が勢いよく開かれました。
「話は聞かせてもらったぞ!」
「父上!」
「お父様」
そこには感極まって涙まで流しているお父様がいらっしゃいました。
「リコ。その願い、私が叶えてみせよう」
「お、お父様……? いったいいつから聞いていらっしゃったのですか?」
「少し前だよ。そんなことはいいんだリコ!」
お父様は随分と気分が高揚しているようです。
「ヴェルザル殿の姉君を紹介しよう! 彼女に頼れば、ヴェルザル殿のことならきっとなんでも分かるだろう! はーっはっはっは!」
お父様はついに笑い出してしまいました。
自信満々なお父様を見ると、つい不安になってしまいます。
「ヴェルザル様のお姉様……」
いったいどんな方なのでしょうか。
「たしか、団長の奥方だったはずだ。たしか名は……」
「サラーサ・ムンブルク。それがヴェルザル殿の姉君のお名前だ」
悩んでいたウルデお兄様に代わって得意げにお父様はそうおっしゃいました。
「サラーサ様……」
英雄と呼ばれたヴェルザル様のお姉様で、現王国騎士団団長のゴルドー・ムンブルク様の奥様。
いったいどんな方なのでしょうか。
私はそんな不安と緊張と、ほんの少しの好奇心を胸に抱くのでした。
※作中の設定などの解説をします。
読まなくても大丈夫です。
《王国と帝国》
情報量を減らすために、ただの王国と帝国にしました。
王国と帝国しか物語中に登場させない予定なので、この作品では帝国が敵だと漠然と思ってもらえれば大丈夫です。
王国がリコたちが暮らす国で、帝国が王国の東側にある大きな国です。
かつて戦争をしていた間柄ですが、今は休戦状態にあります。
けれど、完全に和解したわけでもないので、国境線近くはピリピリしています。
貿易なども認められてはいますが、国境線近くは色々と物騒なので頻繁には行われていません。
ウルデ(三男)がいたのはその辺りなので、他の任地に比べるとずっと疲労が溜まっています。