04話 婚約相手に出会うお話
ヴェルザル様との婚約が決まったとお父様から知らされた日の翌日のことです。
「今日はいい天気でよかったな、リコ!」
「はい、ウルデお兄様」
私は早朝に屋敷を訪れたウルデお兄様と共に、王国騎士団の兵舎へ向かう馬車に乗っています。
もちろんその目的は、ヴェルザル様のお姿を影からこっそりと見ることです。
「……それにしてもリコ。そうしていると本当に全く侯爵令嬢には見えないな」
ウルデお兄様は馬車の中向かい合って座る私の服装を見てそう言いました。
私も余所行きの服の一着くらいは持っているのですが、それは他の貴族の方のお屋敷を訪れるのになんとか恥ずかしくないぐらいのものです。
けれど、それを着て騎士団の兵舎の近くをうろうろしたのでは目立って仕方ないので、普段の家政婦のような背格好で外出しています。化粧もいっさいしていないので、私を見て貴族のお嬢さんだと思う人はいないでしょう。
「侯爵令嬢に見えては困りますから」
「それもそうだな。ヴェルザル教官もまさか今のリコを見て貴族の令嬢だとは思うまい。……ところで、本当に俺が付き添っていなくて構わないのか?」
ウルデお兄様は心配そうにそう言ってくださいますが、それでは困ります。
「ウルデお兄様と一緒にいたのでは私の素性にもすぐに察しがついてしまうでしょうから」
「うーん、それはそうかもしれんが。……まぁ、騎士団の兵舎の中にいればそうめったなことは起きないと思うが」
ウルデお兄様はどうにも不安なようです。
こういう時のウルデお兄様の勘はよくあたりますから、用心しておきましょう。
「兵舎の中はどのような様子になっているのですか?」
「うむ、説明しよう。ヴェルザル教官がいる兵舎は、騎士訓練生のための兵舎でな。当然、訓練するための運動場や模擬戦闘のための擬似的な家屋などもあるからそれなりに大きい。一応、壁や門に囲われてはいるが、警備が厳重になされているわけではない。騎士訓練生を襲いに来るような愚か者も過去にはいたらしいが、ものの見事に撃退されたそうだ」
「そんなことがあったのですか。どうしてそんなわざわざ騎士訓練生を襲いに?」
仮にも騎士訓練生なのだから、それなりに手ごわい相手のはずです。
それをどうしてわざわざ襲いにくるのでしょうか。
「単純だ。騎士訓練生の中には貴族も大勢いるからな。人質にでもして身代金をせしめるつもりだったんだろう」
「なるほど。大それたことを考える人がいたのですね」
貴族を誘拐して大金をせしめるなんて、この国全体を敵に回すことになりかねない悪行です。もしも上手くいったとしても、この国で安穏と暮らすことは不可能になるでしょう。
「ここ最近ではそんな事件起きてなどいないが、用心するに越したことはない。……本当についていかなくて大丈夫か?」
「……そうまで言われると不安になってきてしまいますけれど、私がリコルット・ルーデランドだと知られてはなりませんから。ヴェルザル様はまだ婚約のことをご存知ないでしょうし、それを私からお話するわけにもいきませんから」
「婚約のことはさておいて、話だけでもしてみればいいのではないか? 見るだけでは分からんこともあるだろうに」
ウルデお兄様は首を傾げてよく分からないと言いたげにしています。
「後々になってそのことが知られてしまえば、婚約相手に身分を偽ってお会いした悪い娘だと思われてしまいますから」
「ほう? するとまさしくこれからリコは悪い娘になるわけだな?」
ウルデお兄様はからかうように言って笑っています。
「……あの。姿だけでも見に行こうと言いだしたのはウルデお兄様なのですよ?」
「む。そういえばそうだったな。しかし、リコも断りはしなかったし、興味があるのだろう? 憧れのヴェルザル教官のお姿、見てみたかったのには違いあるまい」
「そ、それはそうですが」
心中をすばりと言い当てられていたたまれません。
それを知ってか知らずでかは分かりませんが、ウルデお兄様は安心させるように大げさに笑ってみせます。
「ははは。リコが気にするのも分かるが、あの方はそんな細かいことを気にしたりはしない。安心して遠くから眺めるといい」
「は、はい……」
何をどう安心すればいいのか分かりませんが、ともかくそのような結論に至るのでした。
それからしばらくして騎士団の兵舎前に到着して、私とお兄様は共に馬車を降りました。
春は近づいてきていますが、吹く風はひんやりと冷たくて心地よいです。
「ここが、俺が二年間世話になった王国騎士団訓練兵舎だ」
「わぁ……大きいのですね」
左右を見れば古びた壁がずっと伸びていて、その端は見えません。
私たちが立っている門から敷地の中へと大きな道が真っ直ぐに伸びていて、その左側には人が住んでいそうな大きな建物が一棟。右側には人の気配のしない古びた家屋が立ち並んでいます。
そして真っ直ぐに伸びる道の先にはとても広い空間があるようで、おそらくそこが訓練場なのではないかなと思われます。
「おそらく、ヴェルザル教官はこの時間なら訓練場だろう。この道を真っ直ぐ行ったところにある。俺は兵舎の管理人さんにでも挨拶をして、そのままこの辺りをぶらぶらしているから満足するまで眺めたら戻ってくるといい
「はい、ウルデお兄様」
「それではな」
ウルデお兄様はそう言い残して左側の大きな建物へと歩いて行ってしまいました。
「……私も行かなくてはいけませんね」
今更になって緊張してきました。
ヴェルザル様。
どのような方なのでしょうか。
緊張と不安と、お兄様たちが通っていた訓練兵舎に実際に訪れることができた嬉しさとが入り混じってしまって、私は何だか興奮してしまっているようでした。
真っ直ぐな道の脇には木々が立ち並んでいて、新緑の香りがします。
歩いている内に、人の掛け声が聞こえてきました。
そして訓練場の様子が見えてくると、そこには大勢の男性たちが二つの組に分かれて訓練をなさっているようでした。
盾と剣を持ったまま走っている組。
剣の素振りを行っている組。
訓練場はとても広く、ちょうど長方形のような形になっていて敷地は砂です。
そこに私がずかずかと入っていくわけにはいきませんので、訓練場の外から眺めてはみるのですが、どうにも遠くてはっきりとは見えません。
「ヴェルザル様はどちらでしょう……?」
教官をしていらっしゃるのですから、他の訓練生の服とは異なる服装をしているはずです。
私はそう信じてじーっと遠くから訓練場の様子を見つめてみますが、なかなか見つかりません。
「お嬢さん、どなたかお探しかな?」
「もしよければ力になるけど」
私はその声に勢いよく振り返ると、そこには騎士団の制服姿の青年が二人立っていました。
「あの……」
おそらく騎士団の方でしょう。
私は騎士団の制服の種類などには詳しくないのですが、色合いもウルデお兄様が正装として着ていたものによく似ているように思えます。
青を基調とした外套。その下には白いシャツ。そして帽子。
以前、ウルデお兄様が似たような格好をしていたはずです。
それにしてもどう答えたら良いものでしょうか。
ヴェルザル様を探して入るのですが、そう答えてそのままヴェルザル様の下に連れていかれたのでは困ってしまいます。
「どうしました?」
「ご家族にここの訓練生の方でも?」
「え、えっと」
「当分は訓練が続くでしょうから、もしよかったらそれまで居住棟の方で待ちませんか?」
「ここだと座るところもありませんが、居住棟なら待合室もありますから」
青年たちは笑顔を絶やさずにこちらに話しかけてきます。
実際の騎士の方とお話したことはほとんどありませんが、こんなにも気兼ねなく話しかけてくるものなのでしょうか。
それがなんだか妙に思えて、二人をよくよく見てみると、どうにもお二人とも線が細い方で、鍛えられている様子がありません。どなたもウルデお兄様のように鍛え上げているというわけではないのでしょうが、それにしても騎士としてはだらしのない身体つきです。
それに、こんなところに正装姿の騎士訓練生の方がいるのもおかしな話です。今まさに訓練している方々のように、運動に適した格好をしているのが普通のように思えます。
だとすると、目の前のお二人はいったい何者なのでしょうか。
私はそれを尋ねるのが怖くなってしまいました。
「……いえ、私はここで待ちますので」
私がはっきりとそう言うと、一瞬時が止まったのではないかと思う程に場の空気が固まりました。
「そう言わずに。ここで立ちっぱなしでいるのもつらいでしょうし」
「遠慮なさらずに。これも騎士の務めですから」
二人は私を取り囲むように動きます。
「――――っ」
私はその二人のどちらにも背中を見せないように、後ろに二、三歩下がります。
お兄様たちに教わった、いざという時のための備えのための動きです。
できる限り背中を見せず。背中を見せる時には決して相手から届かない位置に。
幼い頃に遊び半分で学んだ動きでしたが、妙なところで役に立ってしまいました。
すると先程までは笑顔だった二人の表情が明らかに陰り、不愉快そうに一瞬顔を歪めます。それからすぐに表情が笑顔に戻りますが、先程までに比べるとどこか違和感のある貼り付けたような笑顔です。
「ま、そう言わずに」
「そう警戒なさらないで」
騎士団の制服に似た格好をして騎士の振りをしているらしい二人の青年はもう私に対する害意を隠す気もないようで、私にじりじりと迫ってきます。
このまま訓練場の方へとどんどん下がっていけば、私に危害を加えずらいはずなので、私はじりじりと後ずさります。
けれど、もしもこの二人が突然に私に飛びかかりでもしてきたら、私は逃げられるでしょうか。
背中に嫌な汗が流れるのを感じながら私とその二人組はにらみ合いを続けます。
そんな時でした。
「失礼ながら訓練場に入られては困りますな」
低く、老いた男性の声ながら思わず身が震えてしまうような威圧感がありました。
その声は二人の青年の背後から聞こえました。
二人の青年はその声に勢いよく振り返ると、後ろから見ても分かる程に動揺していました。
「あ、あんたは……!」
青年の片方が明らかに狼狽した姿を見せます。
「念の為顔を見てからにしようと思ったが必要なかったようだ」
ひゅん、と風を切るような音が二回聞こえたかと思うと、目の前の二人の青年は声も出さずにその場に倒れました。
「え……?」
目の前の光景にまるで理解が追いつきません。
「すまなかったねお嬢さん」
青年二人が倒れた瞬間、その声の主の姿見えました。
――戦鬼。
かつてそう呼ばれたこともあった英雄。
手に持った杖を振るった瞬間のその白髪の男性の表情を見たその時に、私は全身が硬直するような恐怖に囚われ、そして確信しました。
この人が、ヴェルザル・クロスガーデ様だと。
一見すれば真っ白な短い髪の、訓練している他の訓練生の人たちと似たような格好をしていますが、ずっと年上の男性です。
青年二人を杖で叩き伏せた後はこちらからは顔を背けるようにして、杖をついて立っていらっしゃいます。
「あ、ありがとうございました……っ!」
お礼を言いたくてヴェルザル様の方を見ようと顔を上げると、びくりと自分の身体が跳ねてしまいます。
無数の傷のあるそのお顔と、鋭い眼光。
一際大きな頬にある傷は、その傷がついた時の凄絶さを訴えかけるようで身震いがします。
「……改めてすまないね。不愉快な顔を見せてしまったようだ」
「い、いえ!」
私は咄嗟にその言葉を否定しますが、私は怖くてその男性のお顔を見ることができません。
窮地を救ってもらった相手の顔を見ることもできないだなんて、失礼などという言葉では表せないほどの無礼であり、許されない行いです。
それなのに、怖い。
どうしても怖い。
面と向かうことが、できません。
「……お嬢さんが気に病むことはない。大の男でも震え上がるような顔をしている方が悪いのだからね。ともかくこの暴漢は私が責任を持って然るべき処分と処罰を与えられるようにする。お嬢さんは早くお帰りなさい」
そう言うと、その白髪の男性は、制服の内ポケットの中から縄を取り出して青年二人の腕を縛り上げました。
「私のような老骨には男二人を運んで歩くことができないのでね。ここで訓練生たちの自主訓練が終わるのを待つことにするよ。……だから気にせず、お嬢さんは帰りなさい」
その声は、冷静に聞けば純粋な優しさから出ている声のはずなのに、私の身体はみっともなくびくりと跳ねて震えてしまいます。
「も、申し訳ありませんでしたっ。ありがとうございましたっ」
私はそれだけを言い残して、来た道を走ります。
走って、走って、息が切れるのも構わず走ります。
恥ずかしさと、申し訳なさが頭の中をぐちゃぐちゃにしていました。
「リコ! どうしたそんなに慌てて……っ!?」
私を見つけてそう声を掛けてくださるウルデお兄様に私は駆け寄ります。
そしてその胸元に飛び込みます。
「申し訳ありませんお兄様っ……」
「……ヴェルザル教官には会えたのか?」
ウルデお兄様は何かを察してくださったように、私の頭をぽんぽんと撫でます。
「私は卑怯者ですっ、意気地なしですっ、恥知らずですっ……!」
「……そうか」
ウルデお兄様はそれ以上は何も聞かずに、私の頭を撫でてくださるのでした。




