01話 縁談を断られていた頃のお話
ヴェルザル様との婚約式よりも半年ほど前のお話です。
春の訪れが待ち遠しい冬の日で、私は身も心を冷え込んでいました。
「申し訳ありませんが、この縁談はなかったことにさせて頂きたい」
四人が椅子に座って縁談が始まるなりそう口にされたのは、私の縁談のお相手のムルド・スナクリザ様です。
浅黒い肌と、服の上からは分かり辛いですが鍛えられた身体は健康的で、金色の短髪がとても爽やかな方でいらっしゃいます。
「お、おい! ムルド!」
ムルド様をたしなめるのは、ムルド様のお父上のコルラ様です。
親子だと一目で分かるほどに似ていらっしゃって、五十は過ぎているはずですが、その全身から活発さを漲らせています。
「父上! ここは譲れません!」
ムルド様は、コルラ様の言葉にそう反論します。
「……どうしてだろう。理由を教えてもらえませんかな」
私と並んで椅子に腰かけている私のお父様は、対面に座るムルド様にそう尋ねました。
私のお父様、ルグルド・ルーデランドは娘の私が言うのもおかしな話ですが、穏やかな人となりです。
白い髪に白い髭、顔にある皺も、細くて線のように見えるその目も、対話をする相手を安心させてくれるようです。
そのせいか、お父様は他の人に何かと高圧的に対応されることの多い方です。
「はっきり言いますがね、お宅の娘さんは女性としての魅力があまりにもなさすぎる! 長い人生の伴侶とするにはあまりにも貧層だ!……というのはもっとも私の好みの問題であって大変申し訳ないとは思うのですが、それでも言っておかねばらない! 彼女を愛している、と嘘を囁くのは容易ですが私はそんなことはしたくはないのです。わだかまりを残して余生を過ごすなど、私は御免こうむる」
ムルド様も例外ではなかったようで、そうお父様にまくし立てます。
……それにしてもこうまで女性としての魅力を否定されてしまうと悲しいものがあります。豊満とは呼べない身体つきなのは間違いないのですが、それにしても正直なお方です。
「ムルドお前……」
コルラ様はがっくりと項垂れてしまいました。
「……そうか。すまなかったね、ムルド君」
お父様が静かに、いつもの穏やかな雰囲気とは違う剣呑なものを漂わせながらそう答えると、ムルド様は少したじろいだ様子で、息をのみます。
「……申し訳ありませんでした、ムルド様」
私も父にならってそう謝ると、ムルド様はいそいそと立ち上がりました。
「そ、そういうわけだ! 決してお嬢さんの人格を否定するだとかそういったつもりはないが、縁談はなかったことにさせて頂きたい! 失礼!」
そう言い残すと、ムルド様は談話室から去っていきました。
「ルグルド、リコルットお嬢さん、すまない。息子が失礼なことを」
その背中を見送ってから、コルラ様はそう言って申し訳なさそうに顔をしかめます。
「若い頃のお前そっくりじゃないか、コルラ」
そう言ってお父様は笑います。
「ううむ、あんなところまで似てしまうとは思わなかった」
コルラ様、否定はされないのですね。
さぞかし奥様は魅惑の身体付きをしていらっしゃるのでしょう。
「まあ気にしないでくれ。ただ、口の聞き方には気をつけろとは伝えてほしいね。いくらなんでもあれはひどい」
「ああ、もちろんだ。本当にすまなかった」
そう言い残してコルラ様も部屋を出て行かれました。
静かになった談話室はさきほどよりもずっと冷え込んでいるような気がします。
取り残された私とお父様は、テーブルの上のティーカップを揃って取り、そして飲み干して、テーブルに置きます。
「また駄目だったねぇ」
「また駄目でした……」
私とお父様は同時にそう口にして、私たちは顔を見合わせて苦笑しました。
「これで三回目だね、縁談を一方的に断られてしまうのは。誰も彼も信頼できる人物ではあるのだが、どうにも個性が強いようだなぁ」
個性が強い、で済まされると毎回完膚なきまでに否定され続ける私としては辛いものがあります。……お仕事では信頼できても、女性の好みについてまでは保証できないのは仕方のないことだとは思うのですが。
「どうにも私には男を見る目というものがないようだ。本当にすまない」
「気になさらないでください、お父様。今までの婚約者の方々は立派な方たちです。ひとえに私の力不足が原因ですから……」
そう、私が悪いのです。
彼らの女性の好みのツボを絶望的なまでに外してしまう私が悪いのです。
そのようなわけで、私、リコルット・ルーデランドはこれにて通算三度目の縁談をその場で、一目みるなりお断りされてしまいました。
一人目の縁談相手だったマグナ・サーゴラス様曰く。
「いくらなんでも野暮がすぎる。私は農民の娘と見紛うような娘と結婚するつもりはない。それに高貴な服というものに価値を見いだせない女性と余生を共にすることなど私には耐えがたい。仮にも貴族の娘であれば着飾ってみてはいかがか」
二人目の婚約相手だったミケロ・シェルド様曰く。
「我が強すぎる。目に活気に溢れすぎている。行動力に漲り過ぎている。それらは私の家内となるには不要のものである。家内というものは夫に黙ってつき従うものである。積極性などは不要。家事も育児もする必要はない。そんなものは家政婦に任せればよい。この思想を真に受け入れてもらえぬというのであれば、夫婦となることはできない」
そしてつい先程までお話していた三人目の婚約相手だったムルド・スナクリザ様曰く。
「はっきり言いますがね、お宅の娘さんは女性としての魅力があまりにもなさすぎる! 長い人生の伴侶とするにはあまりにも貧層だ!」
などというありさまです。
六年前に亡くなられたルデリアお母様に顔向けできない惨憺たる結果です。
どうしてこんなことになってしまったのか、と嘆かずにはいられません。
◇◇◇
――私が縁談を断られ続ける日々の始まりのきっかけは、私が年頃の娘だというのに色恋とまるで無縁なことを父が嘆いたことでした。
その日は秋が終わり、冬になってきたのだなというほどに冷え込んだ日でした。
お父様と私と、長兄のアラガンお兄様の三人で食卓を囲んでいる時のことです。
「どうしたらよいのだろうなぁ、ルデリア」
今は亡きお母様の名前を呟いてお父様はため息をもらします。
「……いっそ領地経営を任せてみた方が早いのではないでしょうか。リコなら色恋よりもそちらの方がずっと得意でしょう」
そう呟くのは、長兄のアラガンお兄様、三十六歳。
その人となりは、真面目さを人型にした、とまで言われるほどだそうで、自分にも他人にもとても厳しいお方です。
その性格がお顔にも表れているようで、気難しそうな顔をしていらっしゃいますが、本当はとてもお優しい方です。
現在では、お父様から侯爵位に当たる領地を任されていて、事実上の侯爵として忙しく働かれています。
この日は領地経営についてお父様にお話を伺う用事でこの屋敷を訪れて、折角だからと食事を一緒にすることになったのでした。
「それはいくらなんでも無理があるんじゃないかなぁ。領地を経営するにしてもまずは結婚してからでないと」
お父様はそう言って、ううむと唸りながら首を捻ります。
それに対してアラガンお兄様が答えます。
「リコはまだ若いですから結婚の心配は早過ぎるとは思いますが、出会いがないのは事実でしょう。とにかく一度舞踏会でも何でも出向けばよいのでは?」
アラガンお兄様の提案にまたお父様が首を捻ります。
「舞踏会にいくような縁があればそもそもこんなことにはなっていないだろうなぁ。それに着ていく服もないだろうし、一緒に行くお友達もいるまい。仮に行くことになったとして、そんなところにリコ一人で送り込むのはあまりにも……」
「一人で行けば良いではありませんか。服もそれらしいものを買えばいい」
「そんなことがリコにひょいひょいできればよかったのだがなぁ」
アラガンお兄様は、いかなる状況であっても恥じず躊躇わず立派に行動できる方です。
時に衝突を招くことも派手な勘違いをすることもありますが、その真っ直ぐな行動と信念は必ず結果を出し、何よりご自分に妥協を許さずに邁進されます。その結果として多くの人の信頼を獲得されました。
「たしかにリコには難しいか。無理なことを言った」
申し訳なさそうに私を見るアラガンお兄様に私はそっと首を縦に振ります。
「いえ、私が臆病なのがいけないのです。申し訳ありません」
「謝るな、責めているわけではない。難しいのであれば仕方がないな。……そうすると、父上が縁談を取り結ぶしかないのではないか?」
「縁談、か」
お父様はうんうんと頷いてからぽんと手を叩きました。
「うむ。それもそうだな。仮にも侯爵の娘なのだから、興味のある人物もいるだろう。その中で良い縁に恵まれれば良いのだが。とにかく、私に任せなさい」
「は、はい。お父様」
お父様の突発的な行動や考えはこのときに限ったことではありませんが、いつも以上に私は目が回るような思いでした。
◇◇◇
――思えば、自信満々に笑うお父様を見た時から嫌な予感はしていたのです。
それがまさかここまで見事に的中するとは思いませんでしたけれども。
「どうしたらいいんだろうなぁ、ルデリア」
縁談を断られ続けて私よりも悲しそうにしているお父様は、今は亡きお母様の名前を呼んでしょんぼりされるのでした。
※世界観の説明や登場人物の解説をあとがきでします。
読まなくても大丈夫ですが、読むとより楽しんでもらえると思います!
《この物語における爵位、爵地について》
世界の歴史にはさまざまな爵位のルールやシステムがありますが、この物語では国から与えられた領地に対応した爵位が送られるという仕組みになっています。なので、功績を重ねた貴族の元にはいくつかの領地が送られることになるので、複数の爵位を持っている場合があります。その時には、一番上の爵位を名乗ります。
爵位が移動するには爵位を持つものの死亡による譲渡、あるいは国王に許可をとった上での譲渡の二つのルートがあります。
ルグルド(父親)は早くアラガン(長兄)に侯爵位を譲ってしまいたいのですが、実績がなければ国王からの許可も得られないということで、アラガンにひとまず領地を任せて実績を積ませようとしています。アラガンは後々のことも考えて、ルグルドが健在のうちに領地経営のノウハウを学ぼうと頑張っています。