17話 不意の閃きのお話
私とウェンディお姉様が生徒で、お父様とアンリエッタお姉様が先生のお勉強会は私にとって貴重なお話を聞けるすばらしい機会でした。
ただ、そのお話のあまりの重さで、私は寝床についた今もずっと頭の中がぐるぐるとしていました。
「なにか……私にできること……」
悶々としながら、無力感に苛まれながら、私はとにかく考えます。
ヴェルザル様のこと。
これから起きるかもしれない暴動のこと。
帝国のこと。
王国のこと。
私が何かを考えたところで事態が好転するとはとても思えませんでしたが、それでも考えずにはいられませんでした。
もしも、ウルデお兄様の予感が的中して、ヴェルザル様に対する復讐が行われたり、王国内での暴動が起こったりするような事態になった時に、私はそれを黙ってみていることしかできないのでしょうか。
あの時――王国騎士の訓練兵舎でヴェルザル様に助けられたあの時から、私はヴェルザル様のお役に立ちたい一心で頑張ってきました。それでも、それは結局のところ、多少家事ができるようになったというぐらいなもので、私自身がヴェルザル様のお役に立てているわけではないのだと、そう強く感じずにはいられません。
「私に……私だけにできること……」
そんなものがあるでしょうか。
私は侯爵令嬢という名前だけは立派な立場ですが、何ができるわけでもありません。
お兄様たちやお父様とはまるで違いますし、ヴェルザル様とも比べるまでもありません。
「……私の周りはすごい人ばかりだな」
アラガンお兄様、イリシエお兄様、ウルデお兄様、そしてお父様。
アンリエッタお姉様やウェンディお姉様。
ほんの少しお話する機会があっただけですが、王国騎士団団長のゴルドー・ムンブルク様やその奥様のサラーサ・ムンブルク様。
そして、ヴェルザル様。
「私なんか……たまたまヴェルザル様と縁を取り持ってもらえただけで……」
そんな私に何かができるかもしれない、なんて思い上がりなのかもしれない。
ヴェルザル様の苦しみを和らげて、あるいは苦しみを取り除くことは私にはできないのでしょうか。
そもそも何がヴェルザル様を苦しめているのだろう?
それは、おそらく戦争です。
戦争の記憶と、戦争の前兆がヴェルザル様の心を苦しめているのです。
つまり、戦争の前兆がなくなれば、ヴェルザル様の苦しみは和らぐ……はずです。
けれどそれは簡単なことではありません。
「帝国の主戦派の人達が諦めてくださればいいのに……」
戦争の前兆が消えるには、今もなお戦争を求めている人たちが諦めてくださるのを祈るしかありません。
帝国の主戦派の人たちが二度目の戦争を求め続けている限り、ヴェルザル様の苦しみは続いてしまうのでしょう。帝国の主戦派の人たちがどのような人たちなのかは分かりませんが、ヴェルザル様の人生を終わりまで苦しめ続ける権利など、誰にもありはしません。
「諦めることがないのなら、どうすれば……」
それこそ一網打尽に捕まえてしまって、二度と暴動を起こさないと誓ってもらえれば良いのですが……
「一網打尽に、できるでしょうか」
潜伏している人たちも大勢いるそうですし、そんな容易く捕まってくださるとも思えません。仮に捕えることができても、それはほんの一部でしかないはずです。
だとすれば、何ができるのでしょうか。
「……そんなに戦争がしたいんでしょうか」
王国側から宣戦布告するような事態になって喜ぶだなんて、私にはおかしいとしか思えません。王国の人々がたくさん亡くなったように、帝国の方もたくさん亡くなったはずです。それなのに、それを繰り返そうだなんて。
「二度と戦争をしたくないと、思ってはもらえないのでしょうか…………っ!」
そう考えた時、私の頭を稲妻のような考えが駆け抜けました。
二度と戦争をしたくないと、思ってもらえればそれが一番いいです。
けれどそれができないのなら。
『二度と戦争はできない』
そう考えるしかない事態を作りだせばいいのではないでしょうか。
戦争をしたくないと思わせるのではなくて、戦争ができないと思わせる。
「戦争ができないと、そう思ってもらうには…… つまり……」
私はいまだかつてないほどに頭が熱を帯びて、ものを考えています。
暴動に失敗すれば戦争ができないと考えるでしょうか? ――いいいえ。きっと次の暴動を考えるでしょう。
では、ただの失敗ではなく、それこそ帝国の人たちにもその失敗が知れ渡ってしまって、帝国の人たちが、主戦派の人たちに愛想を尽かして、戦争はもうできないのだと考えてくれればどうでしょうか? ――いいえ。そんな大きな失敗を主戦派の人たちが起こすとは思えません。
それなら、こちらからその失敗へと誘導することができれば、どうでしょうか?
帝国の主戦派の人たちにとっての失敗。
それは、自分たちの正体が明るみに出て、その目的と罪行がはっきりとしてしまうこと。
そして、主戦派の人たちが罪を犯しても、王国が動揺せずに決して戦争を起こそうなどと考えないこと。
それを誘導することができれば。
「……それならば、できるのではないでしょうか」
カチリと何かがはまるようにして生まれた荒唐無稽な考え。
私の周りの人がすごいからこそできる。
そして、たとえ偶然であっても、ヴェルザル様と縁がある私だからこそできる。
私はじんじんと熱い頭を起こして、寝巻のまま部屋を飛び出してお父様の寝室へと向かいます。
お父様に、私の考えがまるで駄目なもので、実現不可能だと言われてしまえば、それまでです。
けれど。
もしも、私の中に生まれたこの計画が実現可能なのだとすれば――
「それが、きっと私がヴェルザル様のお役に立てる唯一のことです」
私はそう呟いて、お父様の寝室の扉をとんとんと叩きます。
「お父様。リコルットです」
「お、おおお? 入りなさい」
私は戸惑うお父様の声に従って、扉を開いて部屋の中に入ります。
お父様は読書をなさっていたようで、窓辺で椅子に座っていらっしゃいました。
「お父様。聞いて頂きたいことがあります」
「……どうやら、真面目な話のようだね」
お父様は本を閉じて机の上に置くと、すっと立ち上がります。
お父様の真面目なその表情は、それ以上に真面目で強張った私の顔つきがそうさせているのでしょう。
「はい。……唐突で、あまりにも漠然としたお話ですが、どうか聞いてください」
「……いいだろう。聞こうじゃないか」
お父様は茶化すことなく、そう答えてくださいました。
それから、私にとって初めての夜更かしとなる長い長い夜が始まり、私とお父様は熱心に語りあいました。
私のあまりにも無謀な考えをお父様は時にたしなめ、時に怒り、そして褒めてくださいました。
「全く、私の娘ながらとんでもないことを考えるね」
お父様は呆れるようにそう微笑します。
「いえ、お父様。お父様の娘だからこそ、です」
「…………フフ」
お父様は一瞬目を見開き、そして目を細めて笑い出します。
「なかなか言うようになったね。ともかく、リコの考えはよく分かった。実現できるかどうかはともかく、検討する価値は十分ある作戦だ。……だけど、いいのかい?」
お父様は念を押すように、否定を求めるように、私の諦めを祈るように、そう尋ねます。
「もしもこの作戦が無事に成功しようと失敗しようとも……」
「いいんです、お父様」
私はお父様の言葉に割り込むように、はっきりと告げます。
「決めたことです。そうすることが、ヴェルザル様のためになると、そう信じていますから」
「……本当にいいんだね? 一時の気持ちの高ぶりということもあるだろう」
お父様は、なおもそうおっしゃいます。
「いつか後悔する時が訪れるかもしれません。けれどもそれは、何もせずにこのままでいた時の後悔に比べれば、ずっとずっと小さなものです。だから、私は迷いません」
「…………分かった。それでは、明日から私はリコの考えを実現するために動くよ」
「はい。よろしくお願いします」
私とお父様は最後にそう言葉を交わして、話し合いを終えました。
それからしばらくの間、私はその考えを実現するために、微力ながら努力を重ねることになりました。
お父様も奔走してくださって、私の作戦を実行するための準備は着々と進められていきました。
そして二か月後。
私は再び、ヴェルザル様のお住まいを訪れるのでした。
《作中設定解説》※読むと、いくらか分かりやすくなるかと思いますが、長いです。
【同盟について】
帝国の周囲の国々が集まってできた、帝国に対する戦争抑止としての機能を持つ同盟。
王国が主導で組んだもので、その機能は『それぞれの国における帝国の動きや不穏な気配の相互報告』が最も大きい。
同盟を組んでから現在にいたるまで、帝国は侵略戦争は一切していない。
【帝国主戦派について】
帝国国内において、かつては中心的な勢力であったが、王国との戦争に敗北(正確には侵略戦争をしかけてめぼしい戦果を上げられずに撤退)したことで、急速にその力を失った。
【帝国主戦派が力を失った原因】
帝国には多種多様な人々が住むため、よくも悪くも一時の流れによって内部の勢力図が大きく動く。
特に、主戦派は戦争に勝利することを前提にした強引な取り組みをしてきたため、戦争に失敗したことで信頼を失い、これまで溜まっていた不満が噴出することになった。
【帝国主戦派の狙い】
再び帝国主戦派が強い勢力になるためには、再び戦争をするほかない。
だからといって、帝国を動かして戦争をすることは難しいため、他の国から戦争を宣戦してくるように仕向けようとしている。
その対象に選ばれたのが王国である。
【どうして同盟が機能しないのか】
同盟にしてみれば、帝国主戦派はあくまでも一部の勢力であり、帝国の総意ではない。そのため、その行動をつかまえて帝国の侵略戦争と判断できないことが問題となっている。
【どうしてヴェルザルへの復讐という話に?】
帝国主戦派はそれらの行動が戦争を求めたものだと帝国や同盟にバレてしまうことを危惧している。そのため、ヴェルへの復讐に燃える暴徒という名目で行動している。そうすることで、万が一捕えられても、戦争を求めての組織的な行動ではなく、一個人の復讐心であると申し開きができるのである。
【つまり、帝国主戦派は何がしたいのか】
王国には自分たちの存在をアピールして敵意を煽り、帝国にはその存在を隠しているのである。それによって、帝国の人々にしてみれば『同盟を組んでまで停戦交渉をしてきたのに突然王国がキレて宣戦してきた』という状況を作ろうとしている。
一度宣戦をさせてしまえば、その原因はうやむやになり、敵国の主張をそのまま信じることはなくなる。そうすれば、秘密裏に動いていたことも分からなくなる。
また、王国側からの宣戦であれば、同盟が共同戦線を張ることはないだろうと考えている。




