14話 同棲生活の始まりと語る二人の男のお話
ヴェルザル様のお住まいに着くとまず荷物をヴェルザル様のお住まいの客室に置かせていただきました。
それから、ヴェルザル様が買い置きしていたパンや卵やお野菜を頂いて軽く調理し、お昼ご飯というよりは軽食に近いものを三人で頂きました。
そしてそれらの片付けが済むと、私にとっての正念場が始まります。
「それでは、頑張ります!」
私はヴェルザル様とお父様にそう宣言をしてから、ヴェルザル様のお住まいの大掃除を始めました。
一階建てのお住まいには、ヴェルザル様の寝室、寝台が二つある客室、小さな台所と四人掛けの食卓、本や武器でいっぱいの書斎があって、庭には生い茂った雑草と洗濯物がありました。
客室は小奇麗になっていたのですが、逆にそれ以外の場所は埃がこれでもかというほどに舞っていました。
ものが少ないのは幸いでしたが、どうにも埃が多いものですから、軋む窓を全て開け放ってからはたき棒で埃を床に落とします。それからそれらをホウキでかき集めて庭の隅においておきます。
それからきつく絞った雑巾で全体を軽く拭くと、埃っぽかったお部屋がいくらか澄んだ空気になります。
その後で庭に生い茂った雑草を刈り取って、埃と一緒にまとめておきます。
集めた埃は、刈り取った雑草と一緒に薪で燃やしてしまおうかとも思ったのですが、それだけのために火を着けるのは勿体なく感じてしまいます。
それなら夕ご飯も作ってしまおうと考えて、私は食卓でお話をしているヴェルザル様とお父様のところに行きました。
「ヴェルザル様、お父様。夕ご飯を作ろうかと思うのですが、何か食べたいものなどはありますか? それとこの近くに八百屋さんやお肉屋さんがあるのならその場所を教えて頂けませんか?」
私が矢継ぎ早にそう尋ねるとヴェルザル様は少し驚いて、それからお父様の方を見ます。
お父様はまるで何かに勝ったかのようにニヤリと笑ってから言いました。
「私は何でもいいよ。ヴェルザル殿は何かご要望があるかな?」
「……いえ、特にはありませんが」
「うむ。それならリコの好きなものを作るといい。それと店については私も分からないから作るものが決まったらヴェルザル殿に案内してもらうといい」
お父様はどうやらヴェルザル様と話し合ったわけでもなくそうおっしゃったようで、ヴェルザル様はまた少し驚いてから観念するようにふっとため息をつきました。
「ご案内しよう。決まったら声を掛けてほしい。……それと、本当に手伝わなくていいのかね? 掃除というのは力仕事も少なくないだろう」
「はい、大丈夫です! 慣れてますから!」
「そ、そうか」
「それではお掃除の続きがありますので、失礼いたします!」
そう言って私は再びお掃除に戻るのでした。
◆◆◆
掃除に戻った嵐のような勢いのリコルットの背中を見送ると、食卓に静寂が訪れる。
「言った通りだったでしょう?」
ルグルドがしたり顔でそう言うと、ヴェルザルは目を瞑って唸った。
「……正直に言って、驚きました」
「家事が趣味で生き甲斐というのは、嘘ではないのですよ」
「疑っていたわけではないのですが、本当に驚きました」
ヴェルザルはそう言って深くため息をつく。
「どうしてあのようなお嬢さんに? 亡くなられたルデリア様がお育てになったと聞きましたが」
ヴェルザルが数年前に病死したルグルドの妻であるルデリア・ルーデラントの名前を口に出すと、ルグルドの雰囲気がくだけたものからどこか優しいものへと変わる。
「ええ。もちろん私も子育てに関わりはしましたが…… 妻が育てたというのが正しいでしょう」
ルグルドは線のような目を薄く開き、昔を懐かしむように、そして誇るように笑った。
「確かルデリア様はとルグルド殿は、戦争が終わった後に結婚なされたと記憶しておりますが」
「ええ。ルデリアとは家の関係で取り決められた結婚でした。……当時は戦争も終わったばかりで、結婚よりもとにかく領民の生活と税収を安定させることに専念したかったので私はまるで関心がありませんでしたがね」
「そうなのですか。愛妻家でいらっしゃると伺いましたが」
ヴェルザルが率直にそう尋ねるとルグルドは頷いた。
「愛妻家、と呼べるような男になったのは随分と後のことです。私はルデリアのことを、結婚するまでは大人しい女性だと思っていたのですがね。結婚してからはあれやこれやと騒がしくなりまして。わずらわしいと感じていた時期もありましたし、結婚などするのではなかったと後悔することもありました。そのぐらいに私は職務に打ち込もうと必死でした。当時は、職務に全力になることが私のすべきことであって、それ以外のことをしてはならないのだと、本気でそう思っていたのです。
――今思えば、私は戦争にとりつかれていたのでしょう」
「……戦争に?」
ヴェルザルはその表情を不意に強張らせ、その様子を見てルグルドは穏やかに笑う。
「ええ。戦争に。私は元々、効率よく物事を押し進めることが好きでしてね。そのためにはありとあらゆる手段を考えましたし実行しました。理屈っぽいと言ってもいいし、人の心が分からないと言ってもいいでしょう。その性質は戦争において、かのゴルドー・ムンブルクと手を組むことで大いに役立つことになりました。ゴルドーには驚くほどに人を鼓舞する力と卓越した指揮能力がありました。しかし、細かい計算やら計画が苦手なものですからそこを私が支えるという形で、あの戦争では互いに助け合ったものです。
そのせい、というわけではありませんが、私は戦争が終わった後も懸命に頭を働かせなければならないと、とにかく効率を求めて働くことが求められているのだと強く考えるようになりました。そうすることは当然のことで、そうしなければあの戦争で亡くなった人々に顔向けできないと、私が立案した作戦で亡くなった多くの方々への贖罪なのだと、そう考えていたのです。
妻はそんな考えの私を変えてくれたのです」
ルグルドは遠い目をして語った。
そして不意にその表情が普段のおどけたものに戻ると、ルグルドは苦笑して言った。
「おっとこれ以上は惚気話になってしまいますね」
ルグルドは照れくさそうに頭を掻いた。
ヴェルザルは首を横に振る。
「いえ。貴重なお話を聞くことができました。……・ルグルド殿。あなたは戦争にとりつかれていたとそうおっしゃった」
「ええ」
ルグルドはこくりと頷く。
ヴェルザルは少し躊躇って言った。
「私も、とりつかれているのだろうか」
「とりつかれているでしょう。あなたが誰よりも深く長くとりつかれている」
ルグルドはヴェルザルのその質問を知っていたかのようにはっきりと流暢に答えた。
「それは、どうして」
「単純な話ですとも。あなたは誰よりも幸せになることに、そして人を傷つけることに臆病だ。それは間違いなく、あの戦争が原因で、いまだにそこに囚われていることの証明に他なりません」
「……なるほど」
ヴェルザルは参ったというように目を伏せた。
「失礼しました。少し乱暴な言い方でしたな」
「はっきり言って頂けた方が私にはありがたい。……そうか。囚われているのか」
「ええ。どうも自覚がないようですが、私にはそう見えますな。もっと気を楽になさるといい。私も昔は肩肘張って生きていたが、今ではこんなです」
おどけてルグルドがそう言うと、ヴェルザルは小さく笑って答える。
「ルグルド殿のようになるにはどうしたらいいものだろうか」
「私のようになる必要はありませんとも。ただ、もう少し力を抜いて、そして結婚をしてみるといい」
「――――ついでのように言わないで頂きたい」
ヴェルザルの言葉は、責めるようなものだったが、その語気は親しい友人に向けた冗談そのものだった。
「これは失礼。いずれにしてもしばらくこうして共に過ごすのです。色んなことを語り合いましょう。私とも、そしてリコとも」
「…………」
ヴェルザルは再びリコルットの名前が話に出てくるとその口を閉ざした。
「どうかしましたかな?」
「……兼ねてからお尋ねしたいと思っていたのですが」
ヴェルザルは真剣そのものの表情で言った。
「ルグルド殿は、私にリコルット殿を嫁がせることに、本気で賛成しているのですか」
「……本気、という言葉の意味が分かりませんな」
ルグルドは薄い目を開いて尋ね返す。
「あなたは三度、リコルット殿に縁談を持ちかけたと伺っています。それらは結果として破談となりましたが、あるいはそれらの縁談が実っていた可能性もあったということに他ならない。――あなたは、リコルット殿を誰に嫁がせても構わないと考えているのか」
ヴェルザルにしてみれば、自分の娘を老人に嫁がせようというルグルドの魂胆など分かるはずもなく、不可解この上なかった。
「お尋ねしたいことは分かりました。……どう答えるのが正確かは分からないが、まず始めに違うと答えておきましょう」
ルグルドはそう言って再び目を線のようにして笑う。
「縁談は結果として破談となったのは全く私の不徳と見通しの甘さが起こしたものではあるが、それは決して私がリコルットの不幸せを願ったわけではなく、彼らのどの人と結婚してもいずれ上手くやってくれるだろう、という自信があった」
「上手くやってくれる、というのはどういった意味でしょう」
ヴェルザルの質問に、ルグルドは珍しく照れる素振りを見せた。
「……お恥ずかしい言い方になるが、私とルデリアのようになるだろう、という意味です」
「ふむ?」
ヴェルザルが興味深そうに相槌をうつと、ルグルドは言葉を続けた。
「これは私の持論というか、経験談に近いものなのですがね。結婚というのは、始まりが良ければ終わりも良いというものでは決してない。裏を返せば、始まりが悪くとも最終的には良くなるということもある。私が縁談を取り持った男性たちとリコルットが付き合えば、いずれは通じ合えるだろうという確信があったのだ」
「その確信にいたった経緯は?」
「仕事をする中で、ですかな。彼らはそれぞれ性格も全く違うし趣味趣向もまるで違う。――けれど、彼らは皆信頼のできる良い人々だ。そして、リコルットもわが娘ながら立派に育ってくれた」
「……つまり、結婚をすれば最初は仲が悪くともいずれはよくなるだろうと、幸せになれるだろうという計算があったと」
「その通りです」
ルグルドの答えを聞くとヴェルザルはどこか呆れたようにため息をついた。
「それでは順番があべこべです。結果的にそうなることはあっても、だからといって最初から仲が悪くても良いというわけでは…… しかし、そうすると私との婚約も同じような計算に基づいて? だとするならそれは浅慮だと言わざるを得ません」
ヴェルザルの断ずるような言葉にルグルドはにやりと笑う。
「あなたは既に答えをご存知のはずだ」
「……既に答えを知っている?」
「ええ。誰よりも正確にご存知でしょうに。私の計算とリコの気持ち。比べる必要もないですからな。あの子がはっきりと好意を述べたのは、あなたに対してだけなのですよ」
からかうような調子のルグルドの言葉を聞いて、ヴェルザルの脳裏にあの時の情景が蘇った。
『不束者ではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます』
そう言って頬を薄桃色に染めて微笑むリコルットの表情。
リコルットとの婚約式の直前に二人で話していた時の、こちらまでそわそわしてしまうようなリコルットの恥ずかしそうで、照れくさそうで――そして何よりも嬉しそうなその表情に、ヴェルザルはそれまで知らなかった感情を覚えたのだ。
それまで女性とまともに話す機会を避け続け、壊し続けたヴェルザルに対してそんな表情を向ける相手はリコルットが初めてであった。
どうして自分にそんな表情を向けてくれるのか、ヴェルザルにはまるで分からなかったが、そのあまりにも幼くて真っ直ぐで飾る様子のない笑顔は、ヴェルザルの胸を真っ直ぐに突いた。
その笑顔を向けられた時の、感じたこともない高揚と緊張を、ヴェルザルは思い出していた。
「ヴェルザル殿も、そんな顔をされるのですな」
ルグルドは心底驚いたというようにぽつりと呟く。
その口調にも表情にもからかう様子はない。
「……そんな顔?」
ヴェルザルは、自分の頬から顎をなぞってみるが、どうやら普段の表情に戻ってしまったということしかわからなかった。
困ったように自分の顔を確認しようとするヴェルザルの様子にルグルドは耐えかねてくすりと笑った。
「その表情を、いずれ娘の前でも見せてやって頂きたいですな」
「そ、その表情とはいったいどのようなものだろうか」
ヴェルザルがいたって真面目に尋ねる。
「さて、どのようなものだったか。近頃物忘れが激しくていけませんな」
ルグルドが分かりやすすぎるまでにすっとぼけてみせる。
それを受けてヴェルザルは諦めてため息をつく。
「……全く、敵いませんね」
「ははは」
ヴェルザルとルグルドは、向かい合ってそう笑い合った。
こうして、ヴェルザルとリコルットの同棲生活は始まった。
同棲生活の意味するところはそれぞれにとって異なる。
ルグルドにとっては娘の幸せの始まりで、リコルットにとっては腕の見せ所で、ヴェルザルにとってはむずがゆくもどこか口元がほころんでしまうような豊かな生活だった。
いずれにしても彼らにとってそれは大きな意味を持つものだった。
――――そして、それは同時に王国に潜む不穏な影にとっても大きな意味を持つようになることを、まだヴェルザルもルグルドも気づくことはできないのだった。
《作中設定解説》
※読まなくて大丈夫です。かなり言い訳じみていますので、スルーして頂いて構いません。
【火の起こし方、ゴミの処理などについて】
まず前提としてこの世界には魔法がありません。
それと同時に、中世ファンタジーものに近い設定で、この物語は成立しています。
そうすると、ある程度は中世ヨーロッパの常識になぞらえた世界観であるべきだとは思うのですが、中世ヨーロッパの衛生環境が最悪な世界観をそのまま引っ張ってくるのは個人的に耐え難く感じました。もちろんそれはそれで面白い物語を描くことができるのだとは思いますが、この物語にそれを引っ張ってくる必要はないと考えました。
なので、魔法は登場しませんが架空の世界の物語ということで、異世界に分類させて頂いています。
そして、火の起こし方やゴミの処理が物語の根幹に関わるということは一切ありませんが、以下のような設定で考えています。
①生ゴミや小さなゴミについては、家庭で焼却処分
②大きなゴミやとても処理できないようなものは、領主に金銭を払い、大規模な焼却施設で燃やし、残ったものについては埋め立て
③水(基本的に地下水をくみ上げたもの。飲むと腹を下すようなもので料理などに使うのなら必ず煮沸)が一般に普及する程度には水道が発達しているが、トイレは汲み取り式。
④家庭内で使う火については、江戸時代のように火打石を用いて乾燥させた葉などを発火させ、それを薪に引火させて用いる。薪や乾燥させた葉などは一般に流通している。
これらの設定に、待て待て待てと思う方もいらっしゃるとは思います。特に現実の水道というものの有難味とそれを作ることの難しさを考えると、無理のある設定なのは間違いありません。だからといって、日に二度水を汲みにいくのが子供と女の仕事、というような世界観もあまりにも辛いのでこのような形にしました。
いずれにしても、本編とはそれほど関わりのない設定ですので、そんなものかとぼんやり考えてもらえれば嬉しいです。




