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13話 同棲生活を始める日のお話

 私の部屋にある小さな窓から柔らかい光が差しこんでいます。

 装飾は派手ではありませんし、質素な造りではありますけれど、それなりに大きなお部屋です。とはいっても他の貴族のお嬢様のお部屋と比べると地味で小さいのだとは思うのですが。


「着替えは三日分ちゃんとありますし下着もありますね……」


 私は旅行鞄の中身を一度取り出して寝台の上に並べてみています。

 忘れ物があっては恥ずかしいので一つ一つ指を差しながら確認します。


「うん。大丈夫」


 私は確認を終えると小さく呟いてほっと一息ついて、旅行鞄の中へと荷物を戻します。

 戻し終えるのと同時に扉を叩く音がします。


「リコ、支度はもう大丈夫かな?」


 それはお父様の声でした。


「はい、お父様。すぐに参ります」


 私は荷物を急いでまとめて部屋を出ます。

 

 すると、そこには私と同じように大きな鞄を持ったお父様がそこにはいらっしゃいました。


「どこかへお出かけですか?」


「ああ。ちょっとね」


 お父様はにこにこと答えます。

 どなたか親しいご友人の元を訪れるのでしょうか。

 お父様の衣服はそれほどかしこまった様子ではありません。


「そうするとお屋敷に誰も残らないことに」


「それは大丈夫。留守は別の者にきちんと任せてあるよ。それよりもそろそろ迎えの到着する時間だ、行こうじゃないか」


「は、はい」


 お父様は狼狽える私を見てにっこりと笑って、歩き始めます。

 こういう時のお父様は必ずとんでもないことをするのですが、それがどんなことなのか私には想像できた試しがありません。


 私とお父様が二人並んで屋敷の入口に旅行鞄を持って待っていると、門の方から杖をついて歩いてくる人の姿が見えます。


「ヴェルザル様!」


「おはようございます。リコルット殿。ルグルド殿」


 ヴェルザル様は、ほんの少しですがその表情を緩めて挨拶をしてくださいました。

 加えて、服装が軍服などではなくて町のみなさんが着ているような麻のシャツにズボンという格好なせいか、少し親しみやすく感じられます。

 けれども、やはりヴェルザル様はヴェルザル様というべきなのでしょうか、近くに立たれていると思わず緊張してしまうような迫力がありました。


 私は意を決してヴェルザル様と向き合ってご挨拶をします。


「おはようございます、ヴェルザル様。本日からしばらくの間お世話になります。微力ながらもお役に立てればと思いますので、なにとぞよろしくお願いいたします」


 私はそう言ってヴェルザル様に微笑みかけるのですが、ヴェルザル様はきょとんとしています。

 

「あの、何かおかしなことを言ってしまいましたか……?」


「む。いや、リコルット殿の言い方がまるで私のところに来るのがルグルド殿ではなくリコルット殿のような言い方だったもので」


「…………えっと」


 私も困ってしまって、これはどういうことだろうと考えて隣のお父様の方を見ます。


「ヴェルザル殿、これはすまない。誤解をさせてしまったようだ。ヴェルザル殿の住まいに厄介になるのは私ともう一人、侍女のような存在だと伝えていたと思うが、その侍女のような存在というのはリコのことなんだ」


「…………えっ?」


 にこやかに言ってのけるお父様の言葉に声を上げたのは私でした。

 お父様も一緒にヴェルザル様のところに?

 侍女のような存在が、私?

 ……お話を聞く限り、ヴェルザル様は私が来ることを知らされていなかったようです。


 ヴェルザル様もすべてに合点がいったようで、苦々しい表情になりました。

 

「……なるほど。流石に油断のならないお方だ」


 ヴェルザル様は苦笑してそう言うと、私の方に向き直ります。


「リコルット殿は、どのように伝え聞いていたのだろう?」


「わ、私は、ヴェルザル様のお宅に数日間住まわせて頂けると聞いてそのつもりで準備をしていました。父が一緒だというのは、たった今知りました」


「ふむ。だとすると我々は二人揃ってルグルド殿にしてやられた、ということだ」


 ヴェルザル様はじろりとお父様の方に非難の意志を込めてにらみつけると、お父様は大げさに怯えた素振りを見せてから言いました。


「そうおどかさないで頂きたいですな。こうでも言わないとヴェルザル殿のご了承が得られないと思ったものですから」


 その父の様子に、ヴェルザル殿はまた苦笑しました。


「……仕方がありませんな。リコルット殿は元よりそのつもりであったようですから、私が断る道理もない」


「ヴェルザル殿ならそう言ってくれると思っていたよ」


「そこまで織り込み済みとは恐れ入ります」


 鷹揚に笑うお父様と、苦々しく笑うヴェルザル様。 


 ヴェルザル様にこれだけ強気に出ることができるお父様に驚きつつ呆れていたのですが、よく考えてみると、お父様はヴェルザル様よりも歳が上でした。

 だからといってヴェルザル様に無礼を働いていいわけでも勝手にものごとを押し進めていいわけでもないはずなのですが……


 などと心中でお父様を糾弾する声をあげつつ、同時に困りながら敬語を使うヴェルザル様のご様子を見て、新しいヴェルザル様を知ることができて少し嬉しく思ってしまう自分がいるのでした。


「しかし、リコルット殿もご一緒であれば、徒歩で移動というのはいかがなものだろう。ルグルド殿には伝えた通りだが、一時間以上は歩くことになるのだから今からでも馬車を借りた方がよいのではないかね?」


 ヴェルザル様はおもむろに私の方を見てから、いつもの顔つきでそうおっしゃいました。


「わ、私なら大丈夫です! 足腰は丈夫……な方だと思います」


 私がそう返事をしてもヴェルザル様の真面目なお顔は晴れません。 


「リコルット殿が気を遣うのも分かるが大きな荷物もあるのだから…… もしよければ私がその荷物を持とう」 


「い、いえ! お足を怪我されているのにそんな」


 私がヴェルザル様の提案に驚くと、ヴェルザル様は私を安心させるように笑いかけてくださいました。


「ああ、杖をついているとよく勘違いされてしまうんだがね。私の足はなんというか、普段は問題なく動くのだ。ただ、日に多くて数回ほど不意に力が入らなくなる時があってね。そういった時のためにこの杖を持ち歩いているだけだ。だから安心して荷物を預けなさい」


 ヴェルザル様は杖で軽く地面をとんとんと叩いてそうおっしゃいます。


「ヴェルザル様……」


 たしか、ヴェルザル様の足のお怪我は、かつての大戦の時に負われた怪我のはずです。

 それがきっかけで退役するほどのものですから、些細な傷のはずがありません。

 

けれど、ここまで親切におっしゃっていただけている言葉を無下にするのも失礼なように思えます。


「大丈夫だよ、リコ。安心して任せればいい。ヴェルザル殿は自分にできないことをできるなどと言う人ではないよ」


 お父様がそっと耳打ちしたその言葉を聞いて私は決心がつきました。


「えっと、それではお言葉に甘えさせて頂きます。すみません、その、お恥ずかしいほどに重い荷物ですが」

 

 私は自分で運ぶつもりだったその荷物をヴェルザル様に両手でお渡しすると、ヴェルザル様はそれを軽々と片手で受け取ります。


「気にする必要はない。……それでは、参りましょうか。ご案内いたします」


「うむうむ。よろしく頼むよ!」


「よろしくお願いいたします」


 ――そうして、私とお父様はヴェルザル様の案内でそのお宅へと歩き始めるのでした。






 青空の中にちぎったような雲がぽつぽつとあって、時折日差しを遮ってくれるおかげで絶好の散歩日和な朝でした。

 少し前にヴェルザル様と散歩すれば仲良くなれるのでは、と考えていたことがありましたが、このような形でそれが実現するとは思ってもいませんでした。


 それは私にとって嬉しい出来事でもあったのですが、同時にヴェルザル様に負担をおかけしているようにも思える出来事でした。


「侯爵様! お嬢様! それと……ッ!?」


 街の人たちや軒を連ねる商店の店主さんたちはお父様や私を見かけると声を掛けてくださるのですが、一緒に歩いているヴェルザル様を見ると驚いて身を縮めてしまいます。


「やあおはよう。こちらはヴェルザル・クロスガーデ殿だ。かつての大戦で英雄と呼ばれたお方だ」 

 

 お父様がやんわりとそう伝えます。


「えっ、あの!? こ、これはとんだ失礼を!」


「いえ、お気になさらず」


 ヴェルザル様がお気に障った様子はありませんでしたが、それでもきっと気分の良いものではないでしょう。

 うきうきとしていたのが恥ずかしく、それ以上に情けないことのように思えてきました。


「いやぁ、ヴェルザル殿は大人気ですな」


 私がそんなことを思っている所にお父様はとんでもないことを言いだします。

 気を遣っての発言だとしても煽っているようにしか聞こえません。


「……いつものことですので」


 ヴェルザル様が静かにそう答えるとお父様はまたにこやかに言いました。


「いずれ街の人々も慣れるでしょう。普段お一人でいらっしゃる時にはどうしているんですかな?」


「人と目を合わせないように努めております。特にご婦人や子供とは」


「なるほど。そうすると買い物に出歩くのも難儀しそうですな」


「今日は久しぶりに遠出をしましたが、慣れれば顔を見せないように歩けるものです」


「そういうものですかな」


「そういうものです」


 私ははらはらしながら、私の前を歩くお父様とヴェルザル様のお話を聞いているのでした。



 ようやくヴェルザル様のお宅に着いた時には、私も疲れてしまっていましたが、お父様が脂汗をにじませてぐったりとされていました。


「こ、ここかね?」


 お父様は安堵のため息をもらして額の汗を拭います。


「こちらが、ヴェルザル様のお住まいなのですね……」


 そこは、デカンズさんのお店よりもこじんまりとした古びたお宅でした。

 

 建築されてからそれなりの歳月が経ていることを思わせる黒ずんだ屋根や壁。

 小さなお庭には雑草が生い茂っていて、その隅に洗濯物がひっそりと干してあります。

 とても失礼な言い方になってしまいますが、一見すれば廃墟だと勘違いされかねないような家屋です。


「……失望されましたかな?」


「いえ。とんでもありません」


 ヴェルザル様の言葉に私ははっきりとそう答えます。


 そう、私はまったく失望してはいませんでした。

 なぜなら、口にはとても出せませんが、私に役立てることがたくさんありそうだと心躍っていたのですから。

 

 

 

 こうして、私の同棲生活、といよりも家政婦生活と言うべき生活は幕を開けるのでした。


 




 


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