10話 婚約式の準備を始めるお話
※登場人物のご確認
ヴェルザル・クロスガーデ…………かつて英雄と呼ばれた現騎士団教官。
リコルット・ルーデランド…………主人公。
ルグルド・ルーデランド……………主人公の父。伯爵。
アラガン・ルーデランド……………主人公の兄。長兄。真面目系男子。
イリシエ・ルーデランド……………主人公の兄。次男。優等生系男子。
ウルデ・ルーデランド………………主人公の兄。三男。王国騎士団所属。
ロギー・デカンズ……………………飯屋デカンズの店長。ハゲ。
マール・デカンズ……………………ロギーの妻。ほっそり。目も細い。
ロイ・デカンズ………………………末っ子長男。幼い。
イオ・デカンズ………………………次女。幼い。
メア・デカンズ………………………長女。お姉さんらしくなってきている。
働くようになって、4か月ほど経った頃のことです。
「婚約式は、十日後に開くことになった」
お父様は夕食の時間に突然そう切り出しました。
「十日後ですか」
「そうだ。飯屋デカンズで働くのも終わりにして、準備の時間を取る。婚約式以降はヴェルザル殿と顔を合わせることになる。それ以降にあの店でばったり遭遇しては不都合もあるだろうからもう働けないものだと思ってほしい」
「……はい、お父様」
いずれ終わりが来るものだとは思っていましたが、こうも唐突に訪れると少し悲しくなってしまいます。
「……リコ。今後一切会えなくなるわけではないんだから、そんな悲しい顔をしないで。とりあえず、明日はその旨を店長さんに知らせておいで」
お父様は泣きじゃくる子供をあやすように、優しくそう言ってくださいました。
私はふと昔を思い出して、ほっとした温かい気持ちになりました。
「はい。しっかりと伝えて参ります。……ところで、準備というのは、具体的にどのようなものを?」
「色々だよ。お化粧のこととか、衣装のこととか、式の段取りとか、本当に色々だ」
「化粧と衣装、ですか」
私は気が重くなります。
縁談には特に化粧もせずに臨んでいた私ですが、ヴェルザル様との婚約式には多少のおめかしはしていきたいです。
ですが、これまでそのような経験がまるでないのですから、どのようにするのが正しいのかさっぱり分かりません。
「うむ。そこについては、アンリエッタさんとウェンディさんに協力をお願いするつもりだ」
「アンリエッタお姉様とウェンディお姉様に、ですか。お久しぶりにお会いできるのは嬉しいですけれど、ご迷惑じゃないでしょうか」
アンリエッタお姉様は、長兄のアラガンお兄様の奥様で、代々商人をやっていらっしゃるご家系の生まれで、今も商人をしていらっしゃいます。
ウェンディお姉様は、三男のウルデお兄様の奥様で、金物屋さんを営んでいらっしゃいます。
お二人とも女性としての世俗に通じていらっしゃる方なので、私のような常識に疎い小娘からしてみれば、とても頼りがいのある自立した女性です。
「あの二人なら喜んで協力してくれるはずさ。そんなわけだから、明日は飯屋デカンズに御挨拶に。明後日には買い物に行っておいで。アンリエッタさんとウェンディさんには私が話を通しておくから。それでいいね?」
「はい、お父様」
――そうして、婚約式の準備は始まるのでした。
◇◇◇
翌日、飯屋デカンズで今後のことについてお話をしました。
「そうか嬢ちゃん。今日で終わりか。寂しくなるな」
ロギーさんはそう言って穏やかに笑っています。
「やだー」
「もっと一緒にいてー」
末っ子のロイくんと次女のイオちゃんはとても悲しそうに私にくっついてきます。
「……またいつでも来てくださいね!」
長女のメアちゃんは、笑顔でそう言ってくれますが、強張ったその笑顔はきっと私に心配させまいという心遣いなのでしょう。
「きっとすぐにまた来ます。今度はお客さんとして」
「おう。開店してる時間ならいつでも歓迎だ。……ヴェルザルの旦那と来れるといいな」
「あたしも応援してるわ。頑張ってね、リコさん」
ロギーさんの奥様のマールさんはそう言いながらぽんぽんと私の肩を叩いてくれます。
「ありがとうございます、頑張ります!」
「最後だからこそ、しっかりやりな。下ごしらえ始めるぞ!」
「はい!」
ロギーさんのいつもよりも張りのある掛け声と共に、今日の下ごしらえは始まりました。
下ごしらえにも随分と慣れたもので、この作業から離れてしまうのだと思うとやっぱりどうしても寂しくなってしまいます。
野菜炒め定食も今では私がまかないで作らせてもらえるほどに成長できました。
……とは言っても、ロギーさんが作るものと比べるとまだまだ雲泥の差があるのですが。
いつもよりもどこかしんみりとした雰囲気ではありましたけれど、問題なく下ごしらえを終えて、お昼の時間に合わせて開店しました。
そして、いつもの時間にヴェルザル様がご来店されたのですが。
そのヴェルザル様のご様子が、いつもと少し違います。
動作が荒々しいだとか、表情が険しいだとか、そういったことはまったくないのですが、なんだか気配が怖いのです。
初めてお会いした時の、あの杖を振るった直後のあの恐ろしい気配ほどではありませんが、近いものがあります。
「どうかされたのでしょうか」
「……まあ、たまにあるんだ。こういうことが」
ロギーさんにそっと尋ねると、ロギーさんはなんだか心当たりがあるようです。
「以前にも、あのようなご様子の時が?」
私がそう尋ねると、ロギーさんはおずおずと言います。
「その、なんというか、気を落とすなよ?」
「?」
「婚約が決まると、あんな風に荒れるんだ。ヴェルザルの旦那は。……特に、自分の知らないところで色んなことが勝手に決められてるとな。」
「…………なるほど」
ロギーさんが気を遣う理由も、ヴェルザル様が荒れる理由もよく分かりました。
ヴェルザル様からしてみれば、全く知らない間に誰かも分からない相手との婚約を取り決められたのです。おまけに、婚約式の日取りまでも決まってしまっています。
不快に思わない方が不思議です。
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。ヴェルザル様にしてみれば、不快に思われるのも当然のことです。……実際に顔を合わせてから、どう思って頂けるかが私にとっては大事です」
現状で既にヴェルザル様を不快に思わせてしまっていることは忍びないですが、実際に顔を合わせてお話をしてから不快に思われてしまったら今まで助けてくださった皆様に対してあまりにも申し訳なさすぎます。
「……そうだな。最初の頃に比べると物怖じもしなくなった。今ならきっと面と向かって話ができるぜ、嬢ちゃん。……いや、リコルット様」
「ロギーさん……?」
「今日を最後に、下っ端の店員からお客様になるんだ。次来るときは奥様って呼ばせてくれよ?」
ロギーさんはそう言ってニヤリと笑います。
「……! はいっ」
「いい返事だ。その調子で最後までしっかり仕事してくれ」
「はいっ、頑張ります!」
――それから私は夜までお仕事をして、豪勢な晩御飯をご馳走になって、改めてお別れの挨拶をしてお屋敷に帰ったのでした。
◇◇◇
その翌日。
私は仕立て屋さんのお店の前に立っていました。
アンリエッタお姉様も、ウェンディお姉様も、お会いするのは随分とお久しぶりです。
「リコちゃーん!」
遠くから聞こえるその声の方を向くと、こちらに駆け寄ってくる女の人が見えました。
「ウェンディお姉様!」
「はぁい! ウェンディお姉様ですよー!」
ウルデお兄様の奥様のウェンディ様はにこにことした笑顔でこちらに手を振ってくださいます。
ふんわりとした茶髪は肩に届かないくらいの長さで、とてもお元気で活発そうです。そしてウェンディ様はまさしくその通りの方で、金物屋を営んではいますが、鍛冶屋としての技術も持っているそうで、力仕事は得意でいらっしゃいます。
「リコちゃん元気だった!?」
「はい。ウェンディお姉様も元気そうで何よりです」
「そっかー! よかったよかった!」
ウェンディお姉様は私の手を取ってぴょんぴょんとその場で跳ねます。
ウルデお兄様は三十二歳ですが、ウェンディお姉様は二十四歳なので、どちらかといえば歳が近い私をよく構ってくださいます。
「ウェンディさん。もう少しお静かにお願いします」
そんな声がすぐ近くで聞こえて、そちらをウェンディお姉様と一緒に振り返ると、そこにはアンリエッタお姉様がいらっしゃいました。
前髪を綺麗に真っ直ぐに切りそろえて、そのさらさらと流れるような金髪はとても綺麗でいらっしゃいます。
「アンリエッタお姉様! お久しぶりです」
「お久しぶりね、リコちゃん」
アンリエッタお姉様はそう言ってにこりと笑ってから、ウェンディお姉様をじろりと見つめます。
「あなたはもう少し慎みを覚えなさい」
「はーい」
アンリエッタお姉様とウェンディお姉様のその掛け合いは、まるでお母さんといたずらっこの子供のようです。
アンリエッタお姉様は四十二歳でいらっしゃいますが、その活力漲る様子はウェンディお姉様とはまた違っていて、いかにもお仕事ができそうな方で、とても頼りなります。
ちなみにアラガンお兄様は三十六歳でいらっしゃるので、いわゆる年上女房というものです。
「リコちゃん。どんなドレスにしようとかって決めてる?」
ウェンディお姉様の質問に、私は首を横に振ります。
「いえ。ただ、派手なものは避けようと思っています」
「それが賢明でしょう。ですが、あまり幼い印象を持たれてもいけません。化粧との兼ね合いもありますが……」
アンリエッタお姉様が言いながら私の周りを歩きながら、観察していらっしゃいます。
「お相手は英雄サマだもんね。おカタそうだなー」
ウェンディお姉様はやれやれとため息をつきます。
「失礼ですよ、ウェンディさん。ですが、確かにあのヴェルザル・クロスガーデ様がお相手となれば、浮ついた衣装や化粧は避けねばなりませんね」
「そうですよね……」
私もそうは思うのですが、だからこうした方がいいのでは、という考えは全くありません。
単純な話、さっぱり分からないのです。
「ま、その辺りのことは任せてよ!」
ウェンディお姉様は自信満々にそうおっしゃいます。
「そのために今日は私とウェンディさんがお手伝いしますよ」
アンリエッタお姉様は穏やかに微笑みながらも、その表情には自信が満ちています。
私はそのお二人と一緒にいられることがありがたくて、安心することができて、何よりも嬉しくてつい笑顔になってしまいます。
「はいっ、よろしくお願いします!」
私が最後にそう言って、私たちは仕立て屋さんのお店に入るのでした。




