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09話 侯爵令嬢の働く日々のお話

 働くというのは気持ちの良いもので、気がつけば「飯屋デカンズ」で働き始めてから二十日ばかりが過ぎようとしていました。


 私が店主のロギー・デカンズさんから任されているのは主に下ごしらえなのですが、これがそう簡単なものではありませんでした。

 普段、お屋敷でお料理をするのとはわけが違っていて、その日のお料理に使うものをまとめて下ごしらえをします。野菜を洗い、皮を剥き、同じぐらいの大きさに切る。それだけ、といってしまえばそれまでなのですが、量がとても多くて、慣れるまではとても大変でした。

 始めたばかりの頃は、ロギーさんのお子さんのロイくん、イオちゃん、メアちゃんに方法やコツを教えてもらいながらで、なかなか上手にはできませんでした。

 今でも彼らのようにはできませんが、それでも随分と上達することができました。

 

 ……ところで、忘れそうになってしまいますが、私がこのお店に働きに来ているのはヴェルザル様の覇気、と言われているものに慣れることが目的です。もちろん、ヴェルザル様の好みのお食事を知ることができるのもとてもすばらしいことなのですが、それだけで満足してはいけません。

 だからといって、姿を見せてしまうと後々お会いした時に言い訳のできない怪しい女だと思われて婚約を破棄されてしまいそうなので、あくまでも厨房から覗き見る程度です。

 やっていることはまさしく怪しい女そのものですが、他の皆様のお力を借りている以上、今更やめるというわけにもいきません。


ヴェルザル様のお声を聞ける貴重な時間ではあるのですが、ヴェルザル様が来店される時間は多くの騎士訓練生の皆様でにぎわう時間帯で、そのお声を聞く機会はほとんどありません。逆に、にぎわう時間帯であってもヴェルザル様の存在感は凄まじいものがあります。

 聞けたとしても、とても断片的なものです。


「野菜炒め定食を一つ」


「ごちそうさまでした」


 私が辛うじて聞くことができたのは、この二つぐらいなものでした。

 お一人でご来店されて、お一人で帰っていくことがほとんどなので、誰かとのお喋りを聞くことはできませんでした。

 ですが、その代わりというのもおかしな話ですが、騎士訓練生の方たちの会話はよく聞こえてきます。

 特に、ヴェルザル様がお食事を終えて出て行かれると、お喋りに花が咲くようです。

 

「教官は行ったな?」

「緊張したぜ」

「誰だよここに来ようっていったの」

「全員一致だっただろ」

「ここが教官御用達の店か」

「よっぽど美味いのか、栄養があるのか」

「食ってみればわかるぜ」

「うめぇ!」「うまい!」

「ていうかすげえ量だな」

「今日の教官キツかったな」

「いつもだろ?」

「最近特にキツくないか?」

「俺達が慣れてきたから負荷を増やしてるんだろ」

「この調子でガンガン負荷が増えていくわけか」

「訓練が終わる頃にはどうなってんだかな」

「流石に英雄の指導は伊達じゃないなほんと」

「一騎当千っていうのはあの人のための言葉だな」

「ほんとにな」

「ウマーイ!」「ウメェ!」

「またこようぜ」

「そうしよ」


 ――という様子で、様々な騎士訓練生の方たちが一斉に喋り出すので、もう何がなんだか分からなくなってしまいます。

 話をこっそりと聞いていると、訓練は本当に辛いようで、騎士訓練生の皆さんはお互いを励まし合いながら頑張っていらっしゃいます。

 そしてヴェルザル様は怖がられているようですが、親しみも持たれているようで少しほっとする反面、私も親しい間柄になれたらなと羨んでしまいます。



 それから少しすると先程までの喧騒が嘘のように店内にはお客さんはいなくなって静まり返ります。

 その間に机の上を拭いて、床を軽く掃除して。

 そして夜に備えて再び下ごしらえの時間です。

 けれど、その前に。


「嬢ちゃん、飯の時間だー」


 厨房から聞こえるロギーさんの声に私は思わず飛びあがります。


「はいっ!」


 そう、ご飯の時間です。

 いわゆるまかない飯、というものです。


 本職のお料理屋さんの作るご飯はとても美味しいので、もうそれだけでここに働きに来てよかったと思える程です。


「今日のまかないも嬢ちゃんのは野菜炒めにするから、やり方をよーく見ておけよ」


 ロギーさんは厨房に立つと、そう言って調理を始めます。

 野菜炒め定食は、ヴェルザル様のお気に入りの定食です。

 野菜がたっぷりと入った炒め物は、調味料を控えめにして素材を生かしたもので、健康志向の方に大人気だそうです。


 手際が良すぎて、私には何が起こっているのか分からなくなってしまうことすらあるのですが、調理が終わった後に質問をすると懇切丁寧に教えてくださるのでだんだんと分かるようになってきました。

 とはいっても、それは何をやっているのか分かる、というぐらいなもので、火加減の調節や火の通し方などは見よう見まねで出来るようなものではありません。

 屋敷に帰ってから何度か挑戦してみてはいるのですが、とても同じ材料で作っているとは思えないほどに差があります。


「完璧に真似できるようになりたかったらもう十年はうちで働くんだな」


 そのことをロギーさんに伝えると、ロギーさんはそう言って不敵に笑うのでした。

 

 

 

  ◆◆◆




 その日はリコルットにとって久しぶりに休日であった。

 リコルットは「毎日働けます」と言っていたし、それほど身体にも精神にも負荷が掛かっているわけではなかったが、その日一日は休んでもらわなければならない理由がロギー・デカンズにはあった。


 扉が開くとカランと鈴が鳴り、来客を知らせる。

 店内には他に客はいなかった。

 

 時間外れの来客を待ってましたと言わんばかりにロギーは出迎えた。


「ゴルドーの旦那、ようやく来ましたね。……そちらの方はひょっとして」


 ロギーの質問に、王国騎士団団長のゴルドー・ムンブルクが答えた。


「すまないね。これでも忙しいのだ。こちらはルグルド・ルーデランド侯爵だ」


 ゴルドーが紹介すると、リコルットの父ルグルドが前に出る。


「どうも、娘が世話になっております」


「いえ、こちらこそ。ロギー・デカンズと申します」


 軽く挨拶を交わしてからゴルドーとルグルドが揃って席につくと、ロギーはふぅとため息を漏らした。


「色々聞きたいことはありますが……とりあえず注文は何になさいますかい?」


「野菜炒め定食を頼む」

「私も同じものを」


「かしこまりました」


 ロギーは注文を受けて、厨房へと戻っていく。


「……随分と人相が悪くないか?」


 ルグルドがそっとゴルドーに耳打ちすると、ゴルドーは首を傾げた。


「そうか? 俺は分からんな。何分、物騒な男共が常に周りにいるからな」


「それもそうだったな」


「というか、ここの店長の顔にびくびくしているようで大丈夫なのか? あの英雄が、義理とはいえ息子になるのかもしれんのだぞ」


「うむ、実はこわくてこわくて……」


 ルグルドは眉間に手を当てて、この世の終わりにでも直面しているかのような深刻な表情で唸る。


「おいおい」


「冗談だよ。お前ほど見慣れてはいないけどな。……で、ここでリコを働かせた効果はどのぐらいあると思う?」


 ルグルドの質問に、ゴルドーは遠い目をした。


「実は働いてもらう店を間違えてな」


「おいおい」


「冗談だよ。直接会って改めて思ったが、お前の娘さんに足りないのは自信だろう。だから、ここで働けばヴェルザルとの婚約にも多少は自信を持って臨めるはずだ」


「自信、か」


 ルグルドはゴルドーの言葉に首を傾げる。


「……三回も連続で縁談がその場で取り消しになれば、自信もなくすのも無理はなかろうよ」


 ゴルドーは何かを言いたげにルグルドを見た。

 それに言い訳するようにルグルドが慌てて言った。


「いや俺はあれで結構真面目に男を探したんだぞ」


「仕事のできる奴を見つけるのは得意だが、どいつもこいつもどこか変なやつばかりだからな、お前が集めてくるのは。……大戦のときだってそうだった」


「……あの大戦から随分経ったな」


 昔を懐かしむような空気になると、ゴルドーがそれを壊すようにおどけた様子で語る。


「ああ。皮肉なことに俺もお前もあの大戦で出世したクチだ。全く、世渡り上手な自分が時々嫌になる」


「そうか? あれだけ頑張ったんだ。報酬は貰わないとな」


 いかにも悪だくみをしているような顔でルグルドが笑いながら言うと、ゴルドーは呆れた。


「もらった報酬のほぼ全てを領地の立て直しに使った侯爵様が何を言っているんだか全く」


「そのおかげで今楽が出来ているんだ。俺の判断は正しかったぞ。それにお前も人のことを言えた口か。大半を騎士団の設備拡充に使っていたじゃないか」


「必要だったからな。帝国とはいつまた戦争になっても不思議はない。備えあれば、という奴だ。……ヴェルザルも俺たちのようなずるがしこさがあればよかったんだがな」


 ヴェルザルの話になると、二人は揃ってため息をこぼした。


「金銭も地位も全く受け取らなかったんだったか?」


「ああ。挙句の果てに安月給で教官だぞ? ふざけた話だ。そのせいで俺や国に風当たりが強いのを知ってもらいたいものだな」


「全く、彼と比べられると我々が金に汚いような扱いだ」


 二人は茶化すように言ったが、その目はヴェルザルへの強い同情が宿っていた。


「俺なんかは指揮するばかりで前線にはほとんど立たなかったらそれほどでもないが、直接誰かを手に掛けるというのは、重たいんだろうな」


 ルグルドの言葉にゴルドーは頷いて神妙な顔で言った。


「俺も手に掛けた相手が少ない方ではないが……ヴェルザルは別格だった。それに、目の前で失った友人も俺たちよりずっと多いだろう」


「そうだな」


 二人はまた揃ってため息をつく。


「……幸せになってもらわないとな」


 ゴルドーがぽつりと言うとルグルドは深く頷いた。


「ああ。全くだ」


「……幸せになってほしいとは思うが、そのために自分の娘をあてがうというのは、どうなんだろうな。父親として思うところはないのか?」


「発案したのお前じゃないか」


「いやそうなんだが、まさかあんなに勢いよく賛成されるなんて予想できるわけないだろ」


 ゴルドーとルグルドが言い争っていると、いい匂いが漂ってくる。


「お待たせいたしました。野菜炒め定食です。……随分と盛り上がってましたね」


 ロギーはお盆に乗せた定食をテーブルの上に置くと、自分も椅子に座った。


「さっきのお話のことなんですがね、心配はいらないと思いますぜ」


 ゴルドーとルグルドは興味深そうにロギーの方を見る。

 ロギーは自信ありげに言葉を続けた。


「ヴェルザル殿を覗き見ている時のお嬢さんの顔は――――ありゃ恋する乙女そのものでしたから」


 ロギーがにやりと笑って言うと、ゴルドーとルグルドもつられてにやりと笑うのだった。



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