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婚約式のお話

 私は婚約相手の男性と婚約式の直前になって初めて面と向かってお話することになりました。

 けれども私はこうしてお話するもう少し前から――正確には半年ほど前からその方をお慕い申し上げていました。


 控室で私とその男性は白いテーブルを挟んで、白い椅子にそれぞれ座っています。

 テーブルには二つの真っ白なティーカップが置かれていて、そこに注がれた紅茶の豊かな香りを楽しむことができます。

 私はつい先日仕立てていただいたばかりの薄桃色のドレスを。その男性は着古した軍服を着ていました。


 男性はその鋭い目を細ませて私を見て、首を傾げます。

 

「失礼ながら、もしかするとどこかでお会いしたことがあるかな?」


「い、いえ。こうして面と向かってお話するのは初めてでございます」


「そうか。いや、すまない。勘違いだった」


 ほんの少しでも私を覚えていてくださったことに感激しながら、私はそれを誤魔化しました。

 面と向かってお話するのは、間違いなく初めてなので嘘ではありません。

 ……心は痛みますが。


 そんな私をよそに、男性は言葉を続けます。


「君が私のことをどのぐらい知っているのかは分からないが、私がこれまで婚約破棄を繰り返していることは知っているかね?」


 私の婚約相手の男性は、まるで幼い子供に言い聞かせるように語り始めます。

 それはこれから生涯の伴侶となるかもしれない相手への口調とは思えませんでした。 


「はい、存じております」


 私はそう返事をするだけなのに、全身が緊張してしまっています。


 目の前の男性は齢五十三を数えながら、その風貌からは老いは感じられず、研ぎ澄まされた抜き身の剣のような威圧感を放っています。

 真っ白な髪は短くて、顔全体の引き締まった輪郭がよく見えます。

 薄く日に焼けたその肌には余計な贅肉などはありません。

 既に前線を退いた軍人さんとは思えない程にその眼光は鋭くて、かつて英雄と呼ばれていたその面影を色濃く感じます。

 頬には大きな傷跡が一つあって、その他にもいくつもの小さな傷跡がいたるところに見えます。


 この男性こそが、かつて英雄と呼ばれたヴェルザル・クロスガーデその人です。


 知らなければ泣き出してしまいそうなほどに覇気のあるお顔で婚約相手の女性を怯えさせてしまい、相手の女性を気の毒に思ったヴェルザル様が、「顔が怖いから」などと口にさせないようにと気を遣ってヴェルザル様の方から婚約破棄する、というのは有名なお話です。

 ヴェルザル様は周囲にそう思われていることはご存じないようですけれども。

 

「こんな形で強引に婚約式を催されて悲観する気持ちは分かる。顔すら合わせずに婚約式を開くなど正気の沙汰とは思えん。それも私のような五十を超えた老人と結婚など、お嬢さんのような若い人には耐えがたいはずだ」


 まるで、何かを諭すように穏やかな語りです。

 けれど、その低く、威圧するようにも聞こえる声色は、そんな意志がないのだろうと分かっていても少し怖いです。


「だから、というわけではないが、もしもお嬢さんが望むのなら私がこの婚約式をなかったことにしよう」


 ヴェルザル様は、私の目を見ることなく、語り続けます。


「お嬢さんの父上も、私の友人も、私がそういった暴挙に出てもおかしくはないと考えているはずだ。私が一方的に破棄するのだからお嬢さんが気負う必要もない。当然、申し訳ないなどと思う必要もない」


 既に決まったことのようにヴェルザル様は言います。

 もしかすると、これまでもヴェルザル様はこのようにして婚約破棄を繰り返されたのかもしれません。


「あの、ヴェルザル様」


「なんだろうか、お嬢さん」


 その二つの目がようやく私を認識したかのように、こちらを見ます。


 思わず身が竦んでしまいますが、ここで折れるわけには参りません。


「私の名前は、リコルット・ルーデランド、でございます」


 震える声でそう名乗ると、ヴェルザル様は少し驚いた様子で目を見開いてから、そっぽを向いて頬を掻いていらっしゃいます。


「ああ、すまない。お嬢さんの名前を知らないわけではないのだ」


「それでは、私のことはどうか親しみを込めてリコ、とお呼びください。親しくして頂いている方や家族にはそう呼ばれておりますので」


「それではまるで――」


 ヴェルザル様は、再び私の方に向き直ります。

 その目は先ほどよりも驚いていらっしゃるようです。


 ヴェルザル様は一度咳払いをなさってから言いました。

 

「――お嬢さん、あなたはひょっとすると私と結婚することに何か価値を見出しているのかもしれないが、だとすればそれは大きな勘違いだ。私はかつて英雄などと呼ばれはしたが、今ではただの教官だ。貯金はお嬢さんが期待するほどありはしないし、給金も多くはない」


「はい、存じております」


 私がそうお答えすると、ヴェルザル様は誤解を解こうとするかのように、さらに続けます。


「それに私の家には家政婦などを雇ってはいない。男の一人暮らしだ。もしも私と共に暮らすのであれば、家政婦を雇うにしても多くの苦労を強いることになる」


「はい、存じております」


 私が同じようにお答えすると、ヴェルザル様は首を捻ります。


「本当に知っているのかね?」


「ご存知かもしれませんが、私の兄たちはかつてヴェルザル様に直接指導して頂いた過去がございます」


「ああ、もちろん覚えている。ウルデとは時折顔を合わせるよ。 ……まさか彼らから?」


「はい」


「馬鹿な!」


 ヴェルザル様はそう言って笑います。

 そして昔を懐かしむように目を穏やかに細めました。


「昔のこととはいえ、彼らはみな私にこれでもかと言うほどにしぼられた。嫌と言うほど恨み言を聞いたろう?」


「いえ。素晴らしい教官だと伝え聞いております」


「……彼らが本当にそんなことを? まさか、いまだに私を恐れているのか?」


 ヴェルザル様の戸惑う様子がおかしくて、私はくすくすと笑いだしてしまいました。

 どうやら周りの若者たちに嫌われてばかりいるようだと勘違いしていらっしゃるご様子です。ヴェルザル様から教えを受けた方のほとんどはヴェルザル様を尊敬していらっしゃるというのに。

 不器用で真っ直ぐで、ご自分にどこまでも厳しいお方です。


「笑うようなことだっただろうか」


 ヴェルザル様は恨むように私の方をじろりと睨みます。

 先程までと比べるとずっと親しみを感じられますけれども、それでもいくつもの死線を潜り抜けた殿方の視線というのは、私のような小娘にはそれはもう迫力が感じられました。


「申し訳ありません、失礼いたしました。……僭越ながら、ヴェルザル様は、ご自身のことを過小評価されていらっしゃるようです」


「過小評価? ……私を優れた教官だと褒めてくれているのだとしたら、それは誤解というものだ。私は所詮、ただの退役軍人だ」


 ヴェルザル様は容易に認めてくださらないご様子なので、私はここでは諦めることにいたします。

 けれども、こうも頑なに結婚を取りやめようと持ちかけられると、私はこれまでのことを思い出してしまいます。


「ヴェルザル様。もしも私のことが気に入らないのでしたら、そう率直におっしゃって頂ければと思います」


「……どうしてそのような話になってしまうのだね?」


「これもご存知かもしれませんが、私はこれまでにいくつか縁談の場を持ったのですが、どれも相手の方から断られております」


 正確にはこれまでに三回、縁談があったのですが、そのいずれでも一目見るとすぐさまお断りだと言い渡されてしまいました。

  

 一人目の方には「野暮だ」と。

 二人目の方には「我が強すぎる」と。

 三人目の方には「貧相だ」と。

 

 お父様が取り付けてくださった縁談だというのに、どれもこれも私のせいで無駄になってしまいました。


 私は、兄を三人持っているせいか、幼い頃から可愛いお洋服よりも泥にまみれて汗をかくのが好きな性分でした。

 今では泥にまみれて遊ぶことはありませんし多少の慎みも覚えましたが、それでも高い衣服や化粧、舞踏会や夜会というものに興味が持てませんでした。

 お料理やお掃除で汗を流すのが楽しいのですが、お父様には家政婦の仕事をするなと渋い顔をされてしまいます。

 そのせいかどうかはさておいて、そういった私の気質が男性の不興を招いたのは事実です。


 他にも、化粧っ気がなかったり身体付きが貧層だったりするのですが、今日のところは盛りに盛っているのできっとヴェルザル様も騙されてくださっていると信じたいところです。


 けれどももしかすると、ヴェルザル様は私が色んなものを誤魔化していることや、私自身の気質について見抜いていらっしゃるのかもしれません。


「たしかにその話は聞いている。だが、少なくとも今日お会いして話す限りでも見る限りでも、私はそれほどおかしいとは思っていない」


「それはおそらく、化粧が濃いからではないでしょうか。普段の私はほとんど化粧を致しませんので、きっとその顔を見てしまうとヴェルザル様も」


「私は化粧の濃い顔というのは苦手でね。化粧をしないというのであれば、そちらの方が好ましい」


「そうおっしゃって頂けると、とても嬉しいです」


「……今なんと?」


「嬉しい、と」


「私に好ましいと言われることが、かね? おかしなことを言うお嬢さんだ」


 ヴェルザル様はそう言って笑ったかと思うと、すぐに真面目な顔に戻りました。


「……本気で言っているのかね」


「はい。冗談でこのようなことは申し上げません。私は、兄たちからヴェルザル様のお話を聞いて、ずっと憧れていました」


 本当はそれだけではありませんが、ここでそれを話すわけにはいきません。


「憧れる? 私に? 仮にそうだとしても、実際に会ってどうだね。幻滅したろう。英雄などというのは遠い過去の栄光に過ぎない」


「いえ。想像よりもずっと素敵な殿方でいらっしゃいました」


「本気で言っているのかね?」


 そう言ってジロリと私を睨み付けるヴェルザル様にまたビクリとしてしまいますが、ここで負けてはいけません。


「嘘偽りは申し上げておりません」


「…………むぅ」


 ヴェルザル様は頬を掻いてからティーカップを口元に運びます。


「その、すまない。私がこれまで婚約してきたお嬢さん方は私の顔を見れば怯えてしまうし、資産の少なさや住まいの貧しさを知ると失望することが多いようだったのでね。それと比べるとお嬢さん……いや失礼、リコルット殿は変わっていらっしゃるようだ」


 リコと呼んで頂きたいという気持ちはありましたが、私はその気持ちを抑えて別のことを申し上げました。


「はい。そのようでございます。……いかがでしょうか。私と結婚して頂けませんか、とはまだ申しません。婚約して私のことを知ってもらえるのならばこの上ない幸いでございます。その時に私のことがお気に召さなければ、これまでのように婚約を破棄なさってください」


 ヴェルザル様は私の言葉にこれまでで一番驚かれたご様子でした。

 けれどすぐに表情は真剣なものに切り替わります。


「――これはとんだ失礼を。貴婦人にこのようなことを言わせてしまい、申し訳ない」


 そう言いながら、ヴェルザル様は真っ直ぐ私の方を見つめます。

 

「あなたが私と共に過ごすことでどのようにお考えになるのかは分かりません。あなたも私のことを知らないでしょうが、私もあなたのことを知らない。ですが、今あなたが私に向けてくださっている好意は本物だ。――どうか、この老骨と婚約して頂きたい」


 そう言って少しばかり頬を紅潮させるヴェルザル様は、それを誤魔化すように咳払いをされました。

 私は嬉しくなってつい口元が緩んでしまいます。 


「ヴェルザル様」


 私がそう声を掛けると、ヴェルザル様は顔を私の方を見てくださいます。


「不束者ではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます」


「……こ、こちらこそ、よろしく頼む」


 ヴェルザル様はそう言って今日一番の照れたお顔を見せてくださるのでした。

 それはとても嬉しいことなのですが、私には打ち明けねばならないことがありました。


「ところで、ヴェルザル様。実はその、嘘をついていたことがあります」


 私がおずおずと口に出すと、ヴェルザル様は特に怒る様子もなく答えます。

 

「なんだね?」


「その、私の歳を……いくつだと聞いていらっしゃいますか?」


「三十一だと聞いているが」


 私は思わず眩暈がしそうでした。

 誤魔化して伝えたとは聞いていましたが、まさかそんなに。


「その、実は……」


「いくつなのだね? おそらく私の友人や君のご家族が妙な気を利かせたのだろう」


 ヴェルザル様は鷹揚に頷きながらそうお尋ねになられます。

 私はヴェルザル様の反応に怯えながら、意を決して答えます。


「つい先日、十八になりました」


 ヴェルザル様はぴたり、と動きを止めて、しばらくしてから首を横に振りました。


「…………む? いやいや、冗談はよしなさい。君の兄上たちは既に三十を超えているだろうに」


「十八、でございます。その、私は歳が離れた妹なのです。見た目については化粧で誤魔化していまして、その……」


「………………そ、そう、か。よく正直に打ち明けてくれた」


 ヴェルザル様はそう言って私を責めはしませんでしたが、深く考え込んでしまっているようでした。


「い、いえ。申し訳ありません」


「いや、よいのだ。リコルット殿が悪いのではない。しかし、そうか。十八…… 兄上たちとは随分歳が離れているのだね。しかし十八……」



 ――その後の婚約式でもヴェルザル様は混乱を隠しきることができず、お兄様たちは『鬼の攪乱』『鬼を困らせた我々の妹とはいったい』『明日は雪だ』などと好き勝手に囃し立てていたようでした。

 そして、ヴェルザル様に嘘を言った人々に怒号が落ちるのはそれからしばらくしてのことだったそうです。



 


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