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「あなた達、遅いわよ!」
姉様を連れて玄関に向かったあたし達への第一声はそれだった。
お母様の頬が何故か紅潮し、多分驚きでわたわたしてる。あたしは、玄関の方に視線を向けて絶句した。
真後ろで姉様も息を飲んだ。
「アレク兄様……!」
「アレク……さま……」
アレクシス・ミランダード様。あたしと、姉様。どちらかの婚約者になる予定だった侯爵家の次男。跡取りには長男がいるため、あたしの家に婿入りしてシェスタ伯爵家を継ぐ予定だった。
もちろん、没落した際にそんなことはなかったことにされた。
まるで兄のようにあたしの面倒を見てくれて、まるで幼馴染のように姉様と仲良しだったアレク兄様。
でも、なんでこのタイミングで?
10年間、何の音沙汰もなかったし、風の便りみたいに聞こえてくるアレク兄様の噂は、やれどこどこのご令嬢と恋仲だとか、やれどこそこの人妻が熱を上げているだとかだったのに。
没落したあたし達に何の用?
「迎えが遅くなってしまって済まない。僕の姫君」
アレク兄様は、かなり身目の良い方。愛玩人形と称される姉様と並んでも遜色のない美形。
闇のように暗い漆黒の髪に、切れ長の瞳。瞳の色は翡翠。
…あれ、ちょっと待ってアレク兄様。
「兄様、それは何ですか」
「ん?あぁ、これ?」
兄様にっこり。つられてあたしもにっこり。兄様が侍従に持たせているのは、なんか無駄に神々しい感じのガラスの靴だった。
恭しく持ち上げられたガラスの靴を、兄様は傷の一つもつけないように丁重に持ち上げた。
「僕の花嫁探しの道具だ。知ってるかい、レティ。子供の好きなおとぎ話では、花嫁探しはガラスの靴を持ってするんだよ」
美形が笑うと絵になるわぁ。
でも兄様。言っていることが少々ずれています。そもそも、あの物語の王子は花嫁探しをしていたというのも正しいけれど、ガラスの靴の持ち主を探していたというのが本当の正解。
「まぁ。そうなんですね、アレク様」
何の疑いもなく、目を輝かせたのは姉様だった。兄様のことが、本当に好きだものね、姉様は。
小さい頃、よく姉様の恋の話を聞いた。話のほとんどが兄様についてだった。今でも、時折思い出しては語ってくれる。初恋の思い出。
まぁ、あたしも兄様のこと好きなんだけどね。優しいし、兄様がこの手の話を読むようになったのは十中八九あたしへの読み聞かせのため。
「さて、このガラスの靴。合う方を僕の花嫁にしようと思う」
兄様は、ガラスの靴を掲げてそう宣言した。
「リリィ、レティ、僕らは結局どちらが婚約するか決まらなかった。そうだね?」
「はい」
「えぇ」
兄様の言葉にすぐさま返事を返したのはあたし。その一拍遅れで姉様が返事をする。
兄様、兄様は多分姉様に恋してる。
没落する前、頻繁に我が家へ通っていたのをあたしは知っていますよ。それに、没落後にわざわざくるのは愛の成せる技よね?
そんな兄様は、優しさから多分あたしを選ばないことが出来ないんだと思う。
だから兄様。あたしの発言に驚かないでね。姉様、惚けてないで自己主張も大事よ。
「兄様、そのガラスの靴は姉様にどうぞ」