第387話 全美たる妾が卵
マリアの分身体らが吹き飛んだのは、ほぼ同時の事であった。ある者は大剣の剣圧に押され、またある者は合気による反作用を受けて、或いは魔法によって生まれた激流に巻き込まれて、はたまた分身体を抱き抱えたまま場外へ突貫しようとする竜王の姿もあり――― 方法は様々、方向もバラバラである。しかし共通して言えるのは、分身体達が指定されたフィールドの外へと向かっている事だろう。
この戦いのルール、その勝利条件として、ツバキは相手を場外へ出す事もその一つであると宣言していた。そして、その対象となるのはケルヴィン、アンジェ、マリアの三人。この条件だからこそ、マリアの分身体も同様の扱いとなっている訳だ。逆に言えば、ケルヴィンの配下達はその対象外になっている事も意味している。
(ルール説明の時、マリアがその場で反論していれば、修正は随時行う予定だった。だが、お前は全てを理解したと宣言し、そのまま受け入れてしまった。自信の表れから見逃してくれたのかもしれないが、流石にそれは傲慢が過ぎたな。お陰で俺とアンジェ以外の面々は、場外を気にする事なく戦う事ができる!)
別々の方向へと突き進む十の分身体、そのいずれかがコレットの結界の外に出れば、ケルヴィン達の勝利は確定する。どこかの戦闘狂の本音を言えば、最高なのはしっかりと殴り合い、その上で掲げる勝利である。が、そんな本音が一番にあるのと同時に、掴める勝利が直ぐそこに転がっているのであれば、その勝利も捨て置く訳にはいかないものなのだ。そう、新郎であるケルヴィンは今、手抜きを許される立場にいないのだから。
(この程度で試合が決まるのであれば、所詮はそこまでの戦いだったのだと納得しよう。 ……でも、これで終わってくれなくても良いんだぞ? いや、別に変な期待をしている訳じゃないんだけどね? 俺が一番に望んでいるのは、言うまでもなくアンジェとの結婚なんだけどね?)
……とまあ、そこはかとない願望もどこかにあったりするようだ。アンジェとの結婚を決める勝利への渇望、最凶の相手であるマリアへの期待、ケルヴィンの心中はもうぐちゃぐちゃである。
「テレポレニス」
マリアの歌が、そんなぐちゃぐちゃな心に浸透する。マリアの歌声=何かしらの技であると紐づけていたケルヴィンは、直ぐ様にその心を矯正し、意識を戦いに集中させる。
『あ、あで……? おでが抱えていだ敵、居なぐなっだ……?』
『王よ、こちらの分身体も姿を消したぞい!』
『と言うか、全部消えてるわ!』
『ああ、分かってる。んでもって、全員フィールドの中央に注目。場外に向かってぶっ飛んでいた筈の分身体、そこに全員―――』
―――パチン!
ケルヴィンの念話を遮るように、不意に綺麗な破裂音が水中に響き渡った。マリアの意識を宿しているスプリングが、フィンガースナップ――― 所謂指パッチンを行ったのだ。まるで自ら注目を集めているかのようである。そして彼女の周りには、まるでテレポートをさせて集合させたかのように、消えた十の分身体が全て揃っていた。
「驚いた?」
「ああ、驚いた。指パッチンって水中でも響くものなんだな。色々と物理を無視している気がするぞ」
「え、そっちが気になるの? まあそこまで言うのなら、やり方を教えないでもないよ?」
「ハハッ、宴会芸にするにしても、やる場所が限られ過ぎるだろ。 ……それよりも」
「なんだ、やっぱり気になっていたんじゃん。そう、今のが妾の転移魔法、『テレポレニス』の力なの。けど、安心して。自身のみを対象とする魔法だから、これで貴方達を場外に送るような事はしないから♪ まあ、これの上位互換版の『ラプティオレニス』は、対象の制限がなかったりするんだけど…… 妾でも一日で一度の使用が限度だから、そこまで怖がる必要もないかな? 場外の対象になっている人が、巻き込まれないと良いね♪」
……本当にテレポートを行っていたようだ。しかし真に目を引いたのは、たった今起こった出来事の方だった。
(これは……)
マリアがテレポートの説明をする最中、集結した分身体の全てがスプリングの下へと掻き集められ、共に溶け合い、まるで融合しているかのような形になっていたのだ。元は同じマリアの血と魔力で生成されたのだから、今更合体した事自体に驚きはない。が、どう考えても元のマリアの姿に戻ろうとしているとは思えなかった。それよりも危険な何かに変化しようとしているのだと、この場に居る全ての者達の本能が、そう訴えかけ続けている。
もちろん、ケルヴィン達はその変化を黙って見守っていた訳ではない。変身途中は絶好の攻撃の機会、棒立ち傍観は愚の骨頂。それを合言葉に、全員がマリアに攻撃を集中させていた。しかし、周囲に風の障壁を展開しているのか、蠢く複数の融合体はビクともしなかった。
「あっ、これは駄目っぽい」
その中で唯一、完全なる回避を行ったのは、ケルヴィンの大鎌による斬撃に対してだった。どうやら変身が理由で動けなかった訳ではなく、動こうと思えば俊敏にも動けたようだ。
「何だ何だ、俺の攻撃は受けてくれないのか!?」
「あはは、煽ってくるね~。でもそれ、ルキルちゃんに止めを刺した攻撃だよね? 防御不能の斬撃は兎も角として、対処不能の石化は遠慮しておきたいかな。諸々の耐性を無力化するんだとしたら、流石の妾も無事では済まなそうだしね。あとあと、観客の皆も石像の妾より、生身の妾を見たいだろうし♪」
暗にその攻撃が大変に有効であると、自ら暴露するマリア。しかし、余裕の態度はまだまだ崩れていない。ぐずぐずな融合状態だった体も、段々と整い始めてきていた。
「観客と言えばさ、さっき色んな方向に飛ばされて気付いたんだけど…… 画面越しに妾を見ているの、ツバキちゃん達だけじゃないよね? 倍の人数、ううん、もっと居る感じだったかな? 何かそんな気がしたんだけど?」
「……そこ、そんなに重要か?」
「何言ってるの、とっても重要じゃん!」
プンスカと体を震わせ、結合しかけていた分身体が微妙に崩れてしまうマリア。しかし、実のところ彼女の指摘は当たっていた。この戦いは一般公開されておらず、観客の人数は必要最低限である。が、必要最低限だからと言って、観客がツバキ達だけとは限らない。例えばテレビを見るような形で、どこかで邪神とその愉快な仲間達も観戦しているのかもしれないのだ。
「うーん、うん、うん…… 妾、やっぱり視線を感じちゃう! お陰で、ちょ~~~っとだけ! テンションが上がってきたよ。だから、そろそろ妾も本気で魅せてあげる。所謂全力全開ってやつをね♪」
「今更全力か? 随分とスロースターターじゃないか……!」
「憎まれ口を叩きながら、随分と嬉しそうに笑うものだね、ケルヴィン君? なら、その期待に応えてあげる。そう、妾から溢れ出る可愛さを省いて、強さに特化させたこの姿こそが―――」
複数の分身体が入り交じって、ぐにぐにとした不定形であったマリアの姿が、一定のものと化していく。
「―――全美たる妾が卵・人魚姫」
その瞬間、辺りの海水が真っ赤に染まった。