第382話 仕込みは十分
「はーい、こっちですよー。足元に気を付けてくださいねー?」
「あのさー? 何か言っているみたいだけど、妾、何も聞こえないんだけどー?」
俺とアンジェは酔いを醒ましたマリアを連れて、とある場所へとやって来ていた。そこは広大かつ薄暗い空間であり、空気が大変に冷たい。ちなみにここがどこなのかは、まだマリアには伝えていなかったりする。ん? どうやってここへマリアを連れて来たのかって? ああ、そこはほら、目隠しと耳栓をしてもらって、マリアの周りに情報を遮断する諸々の障壁を張り巡らせて――― 兎に角、彼女にもサプライズを提供する為に、やれる事は全てやった感じだよ。幸い、サプライズ好きのマリアもこれに乗ってくれた訳だしな。
「ねーねー、そろそろ到着しそう? この状態だとお喋りもできないし、妾、待ち疲れちゃったよ。あ、それともこのまま戦いを始めるつもり? 確かに今なら、絶対に不意打ちが成功するもんね。なるほど、それを狙って妾にサプライズを持ち掛けたと―――」
「―――いや、流石にそこまで落ちぶれてはいないから。まあ、待たせてしまったのは申し訳ないと思ってるけどさ」
マリアを取り巻く障壁、そして目隠しなどを解いてやる。
「わっ、素直に取っちゃうの? 使える手は何でもやってやるって雰囲気だったのに、ちょっと肩透かしだね。結婚式で出された料理にも毒が入ってなかったし、変なところで真っ当なんだもんな~。デリスだったら迷わずやってたよ? うん、絶対やってた」
「バトル中ならまだしも、全く関係のないところで不意打ちや毒を仕掛けたりはしないって」
あと、デリスって誰だよ。
「ふ~ん? まあ良いや。で、ここはどこなのかなっと~? ……え、もしかして、海の中?」
「イエス、海の中」
「それも、太陽光がギリギリ届くくらいの深さだね」
マリアに合わせて、俺達も改めて周囲を見回す。ここは漫然と見るだけでは薄暗くてだだっ広い空間だが、よくよく遠くを注視してみれば、その先に水の壁が存在しているのが分かるだろう。そう、ここは水竜王の住処である竜海の一部で、そこに結界を施す事で一時的に海水を抜いた状態にしているのだ。
「フィールドの説明をする為に今は水を抜いているが、本番になったら再び海水を元に戻す。まっ、言ってしまえば、今回の戦いは水中戦だ」
これまでの“ちょっと待った”では、宣言された側である俺達がフィールドに振り回される事が多かったが、今回はその逆だ。フィールドの選択権の時点で、徹底的にマリアに不利を強いらせ、弱点を突きに突く。毒を盛るような事はしないが(どうせ意味がないし)、こういったところは一切加減しないのが今回のスタンスだ。
吸血鬼の弱点は結構多く、その中でも太陽の光やニンニク、十字架に聖水といったものが特に有名だろうか。本場の吸血鬼であるエストリアに聞いたところ、その他にも流水や塩が苦手であるらしく、今回はそれら要素をふんだんに含んだ、この海の中を戦いの場に選ばせてもらった。ほら、この海ってトラージでは神聖な場所として祀られているし、何か聖水っぽいだろ? それに海だからそこら中が流水で、その全てに塩分が含まれている。太陽光こそあまり届いていないが、マリアは日中に外を普通に出歩いているからな。よって太陽光は既に克服していると考え、今回は他の弱点要素を攻める事にしたんだ。
―――さあ、マリアよ。お前はこの戦場にどんな反応を示す!?
「へえ、海の中での戦いか~。良いね、ロマンチックじゃん。そう言えば、まだトラージの海で遊んでなかったっけ? ここで戦うって知っていたら、水着とかも用意して来たのにな~。アンジェは泳ぎも速そうだけど、ケルヴィンはどう? バタフライとかできる? 妾、実は結構得意なんだよね」
……うん、思いっきりバカンス気分。やっぱ当初の予想通り、そっちの弱点も克服しているっぽいか?
「俺の泳ぎは人並み程度かな。アンジェにはもちろん、セラやメルにも遠く及ばないよ」
「ふーん、そうなの? なら、このフィールドを選んだのは失敗だったんじゃない? アンジェちゃんの足を引っ張っちゃう事になるよ?」
「かもな。だが心配の前に、まずは説明の続きだ」
「マリアさん、あっちに注目!」
「ふぇ?」
アンジェの指差す方向へマリアが振り向くと、直後にブゥン…… という電子音と共に、ある映像が空中に映し出される。
『あーあー、マイクテスマイクテス…… 皆の者、聞こえておるか?』
「ええ、バッチリですよ、ツバキ様」
その映像には結構な人数が映し出されていた。先頭に立ち、一番大きく映っているのがツバキ様。そして、その後ろにエフィル、リオン、シュトラ、コレット、クロメルの姿が見える。
「はえー、宙に映像が流れてる…… これ、何気に凄い技術なんじゃない?」
『おお、それが解かるとは流石はマリアじゃ。そう、ガウンと共同開発したこの新技術は、まだ世間に発表もしていないものでな。今回、試運転がてら特別に―――』
「ツバキ様、脱線してます」
『む、これからが良いところじゃったのに。ふん、まあ良い。ではこれより、今試合のルール説明を行う。まず最初に、そうじゃな…… そなたらの戦いに審判は必要ないと思うが、この国の領土で戦う以上、国王の妾がその役目を担わせてもらう。もちろん、やるからには公平にな。双方、異を唱えるのであれば、今のうちにしておくがよい』
「俺とアンジェは大丈夫です」
「妾も問題ないよー。ツバキちゃんとは同じアイドルを志す者として、何だか親近感があるし♪」
親近感か。まあ確かに東大陸四大国トップ陣の中では、一番相性が良い気がする。まあ、演歌とアイドルがリンクしているのは、未だに謎ではあるが。
『それは光栄な事じゃな。しかし、妾のデビューはいつにしたものか――― っと、また脱線するところじゃった。マリアよ、この話は後でするとしよう』
「オーケー、じっくりと話そうね!」
『うむ! で、先の話の続きじゃが―――』
ツバキ様の説明を要約すると、こうだ。俺とアンジェ、そしてマリアには死亡回避の巫女の秘術が付与されている。戦いの最中にそれが発動する、もしくは三人の誰かが場外に出てしまった時点で戦闘は終了、勝負を決する事とする。また、マリアが肉体を改変して作り出した分身体なども、体の一部としてカウントされ、場外に出たら同じ扱いとする。このルールに違反しても反則負けとなる為、十分に気を付ける事――― まあ言ってしまえば、いつもの模擬戦形式だ。
『あの、私からも良いでしょうか?』
コレットからもルールの補足があるようだ。要約するとこうである。フィールドの周囲にも巫女の秘術が使用されており、攻撃に対する不壊の障壁が張り巡らされているが、正直絶対に破壊されないという自信はない為、それを故意に破壊するのは止めてほしいとの事。うん、当然の要望だろう。それにプラスして、秘術の詳しい説明についても補足&補足。
「―――周りの結界は魔法などの攻撃性を持つものは弾きますが、生物は素通りできるようになっています。ですので、場外の扱いについて、お気をつけください。また現在、破壊防止用と並行して海水隔離用の結界も同時展開中です。こちらに関しては戦闘の開始と共に解除しますので、その瞬間にこの空間は海水に満たされ始めます。以上が私からの補足になりますが、何か不明点はありますか?」
「ふんふん、なるほどなるほど…… うん、了解したよ! 全てを把握した! 特に不明点はないかな!」
マリアは全てを把握してくれたらしい。なお、本当に理解しているのかは不明な模様。
「よーし、興が乗って来たし、そろそろ始めちゃう? 二人とも、覚悟と準備の用意は?」
「ん? ああ、少し待ってくれ。ここからが最後のひと手間だからさ」
周囲に九つの魔法陣を展開、同時に画面越しのクロメルに合図を送る。さあ、召喚士として全力でお相手しようじゃないか、マリア!