第378話 忍の後継者
何という事だろうか。実況の仕事にのめり込んでしまったが故に、スズは大声しか出せなくなってしまった! ……などという冗談はさて置き、どうやら実況役の影響で、大きな声を出す癖がついてしまったようで。一日経った今も気を緩めると、声が大きくなってしまう! と、そういう訳であるらしい。職務を全うしようとするスズの生真面目さ、そして鍛錬を通してレベルアップした肺活量が、変な方向にマッチしてしまったのかな。まあ、それでももう数日経てば、この変な癖も治るだろう。 ……治るよね? 治らなかったら、俺も責任を全うする為にどうにしかしよう、うん……
「スズちゃん、分身の術とか何人まで増やせる? 足さばきとかが特殊で、どうにも苦戦しちゃっててさ。スズちゃんみたいに百人の大台に届かないんだよね」
「いやいや、私の分身は固有スキルで出しているタイプですから! アンジェさん、自力で出しちゃってますよね!? それ、忍の中でも父くらいしかできませんからね!?」
で、そんな癖の抜けないスズに忍術のアドバイスを乞うアンジェであるが、どうにも求めているレベルが高過ぎて、最早スズの手に負えない感じになっているという――― っと、その前にアンジェが何で忍の、もっと言えばクノイチの恰好をしているかについて、説明しておかないといけないな。
単刀直入に言ってしまえば、アンジェはトラージの忍術を秘密裏に学んでいたんだ。うん、今日の為のサプライズの一環なのか、俺にも内緒で学んでいたんだ。今になって振り返ってみると、式の準備で手伝う事はないかと俺が聞いてみても、こっちはツバキ様が全面協力してくれるから大丈夫! 他の準備を手伝ってあげて! と、アンジェは頑なに断っていたんだよな。なるほど、全ては準備の合間に行っていた秘密の特訓を、このタイミングでお披露目する為だったという訳か。
話を更に詳しく聞くに、アンジェはトラージの忍術について、結構前から興味を持っていたんだそうだ。他の国にはない忍の独自の技術は、かつて『暗殺者』を生業としていた彼女の心に響くものがあったらしく、この機会に専門家の下で学ぶ事はできないかと、ツバキ様に直談判――― 結果として、ツバキ様はスズの実家を紹介したのだ。うーん、まさかの展開である。
スズの実家、つまるところスズのご両親を紹介されたアンジェは、その下で準備の合間、忍術を学び続けた。その修行内容について、俺もまだ詳しく聞いてはいないんだが…… 多分アンジェの事だから、高性能なスポンジの如く、尽くを吸収したんだろう。さっきも分身とか何とか言っていたし、相当に高度な事もやっていると思う。元々類似した小道具を使っていたアンジェとも、忍の技は相性が良かったんじゃないかな。
ちなみにだが、忍術はトラージにおける秘術的な立ち位置にあるらしく、おいそれと他に伝授する事はできないとの事だ。アンジェが直接スズに尋ねず、ツバキ様にお伺いを立てに行ったのは、その為である。それに、いくら俺達に心を開いてくれているスズと言えども、その辺の事はしっかりしているのだ。ほら、つい忘れてしまいそうになるけど、これでもスズってトラージのギルド長だし? 忍の家系に名を連ねているのもあって、口は堅いんだ。
「ところでアンジェさん、我が家に伝わる奥義は習得されましたか!? 分身を敵の前に残したまま、音もなくその背後に回るという超絶技巧なのですが!」
「うん、そこもバッチリ。カゲヌイさんとリンリンさん、教え方が上手くってさ~」
……ええと、その割には公然と色々バラしているような? トラージ城の客間へ移動した現在だけど、それでも大声を張り上げ過ぎな気がするような? つか、母親のリンリンさんも忍術使えたの? そっちは初耳なんですけど?
「ホッホッホ、カゲヌイも喜んでおったぞ? ここまで完璧に技を受け継ぐ者が、漸く現れてくれたとな。次世代は安泰、これでいつでも引退できると、そんな冗談も言っておったわ!」
「ハ、ハハッ、なかなか面白いジョークですね……」
カゲヌイさんはスズの親父さん、それでいてトラージの暗部的なところの棟梁の人、だった筈だ。話を聞いている限りだと、アンジェが忍の後継者扱いされているような感じがするんだが…… 気のせい、だよな? と言うか、血筋的にはスズが後継者になる筈じゃ?
「申し訳ありません、マスター・ケルヴィン! レベル、そしてステータス面での不足はないのですが、私ではまだまだ技術面で足りていない部分が多いのです! そもそも、個人的に後継者になるつもりがないと言いますか! マスター・ケルヴィンの下で学び続けたいと言いますかッ!」
「うん、その気持ちは嬉しいけど、ナチュラルに人の心を読むもんじゃないぞ? 何だ、メルの差し金か?」
心を読んで良いのは、バトルの時だけだ! それ以外はプライベートの侵害だ! 最近俺の心を盗み見する奴ら、その辺をどうかよろしくお願いします!
「まあまあ、落ち着いて。ともあれ、アンジェさんは忍術を学んでパワーアップを果たしたのさ。これで、マリアさんとの“ちょっと待った”もバッチリ! ……とはいかないかもだけど、多少当てにしてくれても良いと思うよ?」
「なるほど、パワーアップ…… じゃ、式が始まる前に俺と一戦交えちゃう? 取り合えずバトル交えちゃう?」
「うーん、何が取り合えずなのかな? 当然駄目だからねー?」
何と言う事だろうか。取り合えずが一蹴されてしまった……
「ケルヴィンよ、流石にそんな事をしている暇はあるまいに。さっ、力を持て余しているのなら、まずはやる事をやってしまおうか!」
そう言って、勢いよく立ち上がるツバキ様。
「バトルよりも優先してやるべき、事……?」
「む、目が若干虚ろじゃな。連日の式敢行を経て、流石に疲れを残していると見える」
「結婚式とそれを認めてもらう為の戦闘! その両方をこなしているマスター・ケルヴィンは、ただそれだけでも凄い事をしているんです! 疲れを残すのも仕方ないと思います!」
「そうかな? アンジェさん的には、そことは違うところで疲れたような気がするけど~……」
「「違うところ?」」
「ん、あっ、いやいや、特に深い理由とかはないんだけどね? うん、ひょっとしたら昨日のアドバイスが、とかは全然思ってないよ?」
あはは~。と、アンジェは何かを誤魔化すように笑っている。アドバイスって何の話だ?
「よく分からんが、それはそうとケルヴィン! まずは衣装の着付けに向かうぞ!」
「着付けですか? ああ、そう言えばトラージ式の結婚式、男は袴を着るんでしたっけ? 事前の試着はしてないから、何気に初めて着るかもですね。サイズとか大丈夫かな?」
「フッフッフ、その辺りの心配は無用じゃ。何せ、此度用意したのは最高級の袴! 着用者の体格に合わせて、自動でサイズを調整してくれる優れものじゃ!」
「うんうん、ぶっつけ本番も万事問題なし、だよ!」
「マスター・ケルヴィン! 着付けのお手伝いは、このスズめが!」
「え? いや、別にわざわざ手伝ってもらわなくても……」
「駄目です! こういった着付けはしっかりやりませんと!」
「あ、はい」
今日のスズは押しも強いな。“ちょっと待った”をされるタイミングによっては、また着替えなおす必要もあるんだが…… まあ、その時はもう一度手伝ってもらおう。何か嬉しそうだし。