第372話 賢者の血
ルキルとの“ちょっと待った”が終わったのと同時に、周囲に展開されていたマリアの障壁も綺麗に消え去った。コレットの秘術と違い、壊れない訳じゃないらしいが、それでも途轍もない強度だったな。俺は大鎌の攻撃こそ当たらないように微調整していたけど、それ以外については全く加減していなかったんだ。それはメルも、多分ルキルも同じだろう。それでも最初から最後まで全くの無傷なのだから、とんでもない障壁だったってのが、嫌でも分かってしまうよ。クフフフ! っと、つい心の笑いがビクトールみたいになってしまった。
「パパ! ママ!」
「おっと」
石化したルキルを支えながら地上に降りると、我らの天使クロメルが、涙目になりながら胸の中に飛び込んで来た。心の中でよっしゃ! と叫んだ後、俺は用意周到準備万端の構えでクロメルをお出迎え。完璧な角度、完全なるキャッチング技術で披露するのであった。
「うう、おかえりなさい、です……! お怪我はありませんか……?」
「ただいま。怪我がないとは、嘘でも言えない状況かな? でも、クロメルのお陰で何とか生き残ったよ」
クロメルの『怪物親』が解除された瞬間、このバトルを通しての疲労、そして強化の代償が一気に襲って来たんだが、これが辛いってもんじゃない。ルキルの攻撃からのダメージは最小限に抑えたつもりだけど、これも無視できる感じじゃないかな。常時エフィル以上の火力をばら撒いていたんだ。常日頃の鍛錬でエフィルに燃やされ慣れている俺も、流石にこれは堪えた。メルの方も、今日の為に食い溜めした殆どの貯蔵を使い切っている事だろう。
「少し、いえ、かなりお腹が減りましたね。今なら、いくらでもおかわりできそうです」
……この後の食事量が少し、いや、かなり怖いな。
「おっかえり~。いやはや、まさかルキルちゃんを倒しちゃうなんてね。妾、ビックリしちゃった。やるねぇ、二人とも~」
「神の座を降りた者が、偽物とは言えそれに近しい者を倒す――― うむ、ただの我にとっても、今後の参考となる見事な戦いであった」
「この二人はまた勝手な事を…… クロメル、何か変な事をされなかったか?」
「いえ、そんな事はないないさんでした。御二人とも、とっても紳士さんで淑女さんです」
「……?」
え、紳士に淑女? クロメルの言葉を疑う訳じゃないけど、誰かと見間違えたりしていないか? それがビクトールやプリティアちゃんって言うのなら、まあ全然納得の域なんだけど、今隣に居るのはマリアとアダムスだぞ?
「むふー、妾ったら淑女ですし!」
「フッ、幼子にそう言われるのも、まあ悪いものではないな。それよりも、ルキルは大丈夫そうか? 見たところ、マリアの与えた血の殆どが消失されてしまっているようだが」
「ああ、大丈夫だよ。今回の戦い、死亡回避の術までは施されていなかったからな。可能であれば氷結か石化の状態にして、ルキルを無力化させて終わらそうって、メルとそう決めていたんだよ。ほら、これなら仮死状態みたいなもんだし、仮にルキルがギブアップしなくても判定勝ちになるだろ?」
「ふむ? まあ、確かに勝ちは勝ちか」
「へえ、仮死状態! そこまで考えていたなんて、すっ――― あれ? でも、バトルの途中でルキルちゃんを縦横に半分にしたり、体内から爆破していたりしてなかった? 妾の血があったから良かったけど、場合によってはルキルちゃん、死んじゃってなかった?」
「……今日は全てが上手くいって、めでたい日だな!」
「あ、誤魔化した」
いや、だからさっきも言ったじゃん。可能であれば、って。もちろん、違う結末になっていたかもしれないさ。戦いに絶対はないんだからな。
「あなた様、そろそろルキルを回復させませんか? 彼女が今後どうするのかは分かりませんが、一先ずは善を急ぎましょう。私としても、ルキルには式に参加してほしいので」
「ん、そうだったな。ええと、石化を解除したら出血するから、その辺の処置を先に済ませて、戦いの中でぶった斬った腕は新しく生やして、ううむ……」
「ねえねえ、妾の血、魔法の触媒として必要? 今なら出血大サービスで、ただで使わせてあげちゃうよ?」
「え、マジで!? ……って、気遣ってくれているところ悪いんだけど、それって普通に使っても大丈夫なもんなのか? ルキルの奴、肉体が大分妖怪寄りになっていたけど……」
具体的に言えば、肉塊になったり骨が飛び出したり首が半回転したり。
「ちょっとちょっと、妾の神聖な血を危険物みたいに言わないでよ! それとこれとは話が別! ルキルちゃんは無理矢理体に馴染ませようとしたから、ああなっただけ!」
「……そうなのか?」
「そうなんです~! 魔法の補助役として使う分には、全然そんな事にはならないから! ほら、騙されたと思って使ってみなよ! とってもすんごいからッ!」
そう言って、嘘みたいに真っ赤な液体の入った小瓶を俺に押し付けるマリア。いや、それって騙された場合のペナルティーがでか過ぎる気がするんですけど? ま、まあ、マリアがここまで言っているんだし、嘘をついている気配もないから、有難く使わせてもらおうかな? だから、それ以上ぐりぐりするな! 瓶が割れる、割れちゃうからッ!
とまあ、本当に瓶が割れてしまう前に治療開始。ぶっちゃけ、マリアがああ豪語するだけあって、血の効力は凄まじかった。回復魔法一つをとっても、回復量と回復速度が段違いであり、消費する魔力も大して必要としなかったのだ。ルキルの治療工程は相当にややこしかった筈なのだが、全く危な気なく終える事に成功――― 下手したらこの血さえあれば、並の白魔導士でも治療可能だったんじゃないか? それくらいの実感があったぞ? うーん、ただただやべぇとしか言えない。そりゃあ、ルキルもあれだけ強くなるってもんだよ。
「なあ、マリア。この血って、想像以上に価値があるものなんじゃ……?」
「え、今更理解したの? 妾の血は『賢者の血』、同量の何たらの石と同価値があるって、仲間内ではもっぱらの評判なんだよ!」
「へ、へえ……」
それって賢者の何たらっていう、とっても有名で珍しい石と同価値って事? で、マリアはその血の持ち主かつ生産者で、持ち前の不死性を活かして無限に使えるっていう―――
「―――うーん、これは酷い。ああ、酷過ぎて思わず頭が痛くなってしまうよ、クハハ」
「うわ、また笑ってるし。言葉と顔の感情が一致していないんですけど~?」
呆れたように溜息をつくマリア。が、その直後に態度をガラリと変えて、どこか挑発的な雰囲気を晒し始めた。
「でも、ホッとしたよ。明日は遂に妾の番なのに、今日で結婚式が終わっちゃうんじゃないかって、少し心配していたんだよね。実際さっきの戦いなんて、クロメルちゃんが居なかったら負けていたと思うし」
「いや、勝ったが? 確かに勝率は低くなってはいたけど、勝ち筋はまだまだあったが?」
「あはは、また強がっちゃって~。あの石化する大鎌も爆発するちっちゃな竜も、クロメルちゃんが見ていないと使えない奥の手なんでしょ?」
「……へえ、何でそう思うんだ?」
「ふふーっ、妾、何となく分かっちゃうんだよね。俗にいう、天才ってやつ?」
「天災の間違いじゃないかな?」
しかし、ハハッ、正解だよ勘が良いな。 ……いや、素の状態での力量を把握したからこそ、分かってしまうのか。『怪物親』なしでの俺達が、まだその域に居ない事を。
「今日は気分が良いから、一応忠告してあげるね? ……明日の“ちょっと待った”はクロメルちゃんの力を含めて、最初から全力で来なさい。妾はルキルちゃんみたいに尻上がりタイプじゃないから、出し惜しみなんてしている暇はないよ? じゃないと、悲惨な事になっちゃうからね」