第370話 イカれた能力
一瞬たりともこの戦いを見逃さない。そんな決意の下で空を見上げているのは、他でもないクロメルであった。『怪物親』が発動している間、彼女の目にはケルヴィン達に対しての補足機能が備わり、自身の能力を超えて目で追えるようになっている。しかし、それでも気は抜けない。現在空で巻き起こっているのは、神々の戦いに相当する神話の再現。万が一にも両親達を見失ってしまっては、その時点で能力は解除され、この戦いの命運も決してしまう事だろう。だからこそ、クロメルは必死だ。一秒、いや、コンマ秒も集中を切らす事は許されない。しかし、彼女の精神はまだ幼いそれだ。その上で重責を担う事になるこの時間もまた、彼女にとってのもう一つの戦いに他ならなかった。
「「………」」
その事を察してなのか、それまで好き放題に観戦していたマリアとアダムスは、現在お口にチャックモードへと移行している。チビチビと酒を飲む程度の事はしずーかにするが、それ以外に物音を立てるような事は、一切していない。何とも空気を読める吸血姫と邪神である。
「ッ……!」
「あ」
「む」
と、そんな風に戦いを静かに見守っていた一同であるが、不意に声が漏れてしまう。どうやら上空での戦いに、大きな動きが生じたようだ。三人各々が得物や魔法を展開した直後、それぞれが真っ正面より突貫を開始―――
「挨拶代わりだッ!」
―――したかと思えば、ケルヴィンが大鎌より巨大かつ漆黒の斬撃を前面に放ち、自分達の姿をその後ろに隠した。攻撃と目眩まし、この斬撃は恐らくはその両方の役割を担っているのだろう。しかも大鎌の刃と同じく、こちらの斬撃も漆黒に染まっていて、不吉な予感に満ちている。
「随分と遅い挨拶ですね」
対するルキルも、たった今創造した黒炎の剣で迎撃――― なんて事はせず、あろう事か自らの片腕をその剣で斬り落とし、迫り来る斬撃に向かってそれを蹴った。当然、片腕は漆黒の斬撃に直撃し、スッパリと両断されてしまう。
(筋肉を限界まで硬質化させたのですが、やはり意味はありませんか。絶対の斬撃、その性質は据え置きですね。ただまあ、問題はここからなのですが)
自身は迫り来る斬撃への回避行動をしつつ、両断された腕を注視し続けるルキル。戦いの最中に一体何を? 気でも狂ったのか? と、人によってはそう映ってしまうであろう、相当におかしな行為である。が、彼女の心は冷静そのもので、『大聖』の権能も何ら変わってはいない。斬り落とした腕はその直後に再生を済ませており、実のところ、犠牲というほどの損失も被ってはいなかった。むしろ、この程度の事で敵の情報を得られるのであれば、やらない手はない――― そう、大胆にもルキルは自らの片腕を犠牲にして、それでケルヴィンの新たな大鎌、その特性についての検証をしようとしていたのだ。
「おいおい、自分の体で実験か!? もっと自分を大事にしろよッ!」
「戦いの世界に率先して身を置く、バトルジャンキーの貴方に言われたくはありませんが…… それよりも何です? 私の前の左腕、斬られた直後に石化したんですけど?」
ルキルの言う通り、漆黒の斬撃に両断された彼女の腕は、まるでメドゥーサに睨まれたが如く、完全に石と化していた。通常、両断された程度であれば、ルキルの肉片はそこから再生する事ができ、また遠隔からの操作も可能となっている。しかし石化して以降、その腕はルキルの命令系統から外れてしまったのか、まるで指示を受け付けようとしなかった。
(まさか、指先の一つも動かす事ができないとは。状態異常の一種なのでしょうが、だとすれば厄介ですね。マリア様の血を授かった私は、蘇生能力と共に一通りの状態異常の耐性も得た筈。その耐性を躱して石化させたとなれば、恐らく絶対の斬撃と共に、強制的な石化効果を――― ッ!)
石化した腕の顛末を見届けた直後、彼女は斬撃の陰より飛び出したケルヴィンと激突。ルキルは漆黒の大鎌に触れぬよう、ケルヴィンは黒炎の剣に当たらぬよう、細心の注意を払いつつの殴り合いへと発展する。
「見たか? 今、見たよな? 良いと思わないか、石化だぜ!? 我ながら、なかなかイカした能力だと気に入っているんだ!」
「イカれた能力の間違いでは? っと、いけませんね。つい本音が出てしまいました」
「じゃ、折衷案でイカしてイカれた能力って事にしようか! こんな事もできるしなッ!」
クロメルの『怪物親』が発動した事で、二人の接近戦はほぼほぼ互角の展開が続いている。そんな中でケルヴィンは、先ほど石化させたルキルの片腕の方へ手を伸ばした。すると、どうした事だろうか。その瞬間に片腕は元の質量よりも圧倒的に大きいであろう、黒の巨剣へと姿を変えてしまった。
「……ますます、趣味が悪い」
石化した片腕が戦場に復帰した。しかし、姿が変わり、陣営も鞍替えした状態での復帰だ。正々堂々を今のテーマとしているルキルにとって、その行為はあまり好ましいものではなかった。しかし、同時にこうも思う。本当に、酷く厄介であると。
「そうか? 素材が良いからか、いつもより出来栄えが良い気がするんだが?」
空中戦の真っ只中である現在、本来は大地を素材とする土系統の『緑魔法』は使用する事ができない。ケルヴィンがよく使用する魔法であれば、『剛黒の黒剣』や『剛黒の城塞』が該当するだろう。シルヴィアとの戦いのように、前もって地面の一部でも運び出す事ができれば別だろうが、この“ちょっと待った”の戦いにおいては、緊急時という事もあって、そんな事をしている暇はなかった。だからこそ、如何にクロメルに強化されたケルヴィンと言えども、今この時ばかりは土に関する魔法は使えない筈だったのだ。だが、新たなる大鎌の登場により、状況は一変する。
「斬った私の体を石に変えて、魔法の素材にするおつもりですか? 鬼畜の所業ですね」
「ものがないのであれば、自前で臨機応変にリサイクルしていくしかないだろ? より良い環境作りの為、是非ともご協力を願いたいものだ」
「自分にとって都合の良い環境作りの間違いでは?」
「そうとも言える。まあ、それって戦いの基本だろッ!?」
マリアの血があるからと言って、もう無暗に攻撃を受ける事はできない。触れる事でさえ、致命傷になり得るだろう。不安要素は多岐にわたり、ルキルの状況は悪くなる一方だ。
だが、それでもルキルは笑っていた。目の前の人間は何と愚かで、自分本位なのかと。どこまでもどこまでも自分とメルフィーナの仲を邪魔する、害虫未満の存在なのかと。何と理解らせ甲斐のある、リビドーを感じさせるのが上手いカスなのかと……!
「貴女もそう思いませんか、メルフィーナ様?」
体の向きはそのままに、ぐるりと首だけを半回転させ、唐突に真後ろを向くルキル。怪しく光る彼女の瞳には、小さな竜を複数伴ったメルの姿が映っていた。ちなみにこの間、ケルヴィンとの接近戦は継続中である。
「……こちらを向いたまま戦闘も継続するとは、とても器用な事をしますね?」
「ええ、胸に飛び込んでとは言いましたが、背中から不意打ちをしろとは言っていませんので。また、まんまと騙されるところでしたよ。空の泳ぐあの偽物の巨竜、そしてその背に立つ貴女の虚像に。幻を作るのがお好きなんですね?」
「うわあ、首を逆にしながら戦う敵って新鮮じゃん!? 何か妖怪と戦ってるみたいだ!」
「「………」」
ほんの僅かな時間ではあったが、「言われてみれば確かに……」と、メルとルキルが同じ表情になっていた。




