第367話 大聖
世界で最も忌み嫌う相手に両断され、裸を晒す。それはルキルにとって、耐え難い苦痛をもたらす最悪の行為である筈だった。しかも、この少し前にはイチャラブ炙り出し大作戦も行われているのだ。ストレスにストレスが重なって、精神が崩壊したとしても何らおかしくはない。そう、以前のルキルであれば、絶対にそうなる筈だった。
「美しき世界で、私もまた美しき肉体を晒す。つまりそれは、美と美の共演に他ならない。喝采を浴びるならまだしも、その行為を咎められる必要が、一体どこにあるのでしょうか?」
「いや、問題だらけだろうに……」
「肉体が両断され、外界と触れ合う面積が増える。つまりそれは、私と世界の交わりがより深まるという事。喜びこそすれ、それを不安になる必要がどこにありましょうか?」
「いえ、仰っている事の全てが理解不能なのですが……」
「メルフィーナ様とケルヴィンがイチャラブしている? ああ、何という事でしょうか。私、胸がときめいています。これが噂に聞く寝取られ、禁忌がもたらす甘美なのですね。私、理解らせられてしまいました…… ですが、それもまた美しい。ええ、私は許容しましょう。最終的にメルフィーナ様が私の横に居てくれさえすれば、悪しき過程も天使生を彩るエッセンスになり得るのです。むしろ、もっと欲しい。もっと、もっと供給をお願いします……!」
「「………」」
何も言っても無敵な言葉を返すルキルに対し、ケルヴィンとメルは開いた口が塞がらなかった。以前のルキルであれば絶対に言わないような事を、感情たっぷりに宣言しているのだ。これが異常事態でなくて、何を異常事態と言うのだろうか。これであれば、以前の肉塊姿の方が断然直視できたくらいである。
「メルフィーナ様もケルヴィンも、そのような視線を私にぶつけないでください。幸福感と嫌悪感が入り混じって、また新たな扉を開いてしまいそ――― あ、時既に遅し。もう開かれました。もう戻れません」
「「………」」
今のルキルもメルを崇拝し、ケルヴィンを嫌悪している。その点は変わっていない。が、プラス感情もマイナス感情も、最終的に快感へと繋げてしまっているのが大きな違いだ。ここが最もルキルをおかしくしてしまっているところで、二人に恐怖心にも似た感情を抱かせている原因でもあった。
「おや、今度はだんまりですか? 先ほどまでは激しく私を求めてくれていましたのに、これでは少し寂しいですね。それはそれで良いものですが…… ああ、この姿が気になるのですか? 分かりました、私が改めましょう」
そう言った直後、ルキルは両断された左右の肉体を切断面から直にくっつけ、何事もなかったかのように傷口を消していった。自慢気に晒していた裸体も、体内からバキボキと生やした自身の骨を変形させ、水着のような形に取り繕う事で即席の衣服(?)が完成。その光景はやはりエロなのかグロなのかが迷子状態であり、ケルヴィン達を更に困惑させるのであった。
―――そっちも気になってはいたけど、メインの驚きポイントは精神面の方だよ!? ……と。
「まあ、うん…… 権能を顕現させた事で、精神面に何かしらの変化が起こったんだな? それは分かったよ、深くまでは理解したくないけどな……」
「流石はケルヴィン、メルフィーナ様を誑かしただけあって、素晴らしい理解力ですね。ええ、仰る通りです。邪神アダムスより賜った私の権能は『大聖』、その名の通り最も優れた聖人と化す為、私の心に強制的な調整を施す大いなる力――― もう、お分かりですね? そう、私はメルフィーナ様と並び立つ者として、最も相応しい人格者へと至ったのです」
「あ、そういう話なら私の方が相応しくないので、是非とも辞退したいのですが」
「流石はメルフィーナ様、謙虚な姿勢を大切になされている。フフッ、私も見習わなければ」
「いえ、謙虚でも冗談でもなくってですね。ああもう、ああ言えばこ、うっ……!?」
聖女のような笑みを浮かべるルキルであるが、この間に彼女はとんでもない事をしていた。こめかみより禍々しい骨の角を飛び出たせ、更には彼女の頭蓋骨の一部を用いた天使の輪を、ぐちゃぐちゃと音を鳴らしながら作り出し――― もう、言葉にならない。兎に角、だ。肉と血と骨が、彼女の頭部で激しく入乱れていたのだ。幸い、放出された血は直ぐに霧となって消えたが、だとしても、それはただただ凄惨な光景と言うしかない。『大聖』と呼ばれる人格者が、果たしてこんな事をするだろうか? 些か、いや、相当に疑問が残る。
「……み、見たところ、肉体の操作もかなり精密に行えているようですね。それも『大聖』の能力の一部なので?」
「いいえ、これは飛び抜けた回復力の副産物に過ぎません。過剰に肉を再生させ、その圧で骨を変形、体外に突出させているだけです。ああ、もちろん不足した分の骨は補っていますので、その辺りの心配は無用ですよ?」
頭蓋骨を繰り抜いて形成された天使の輪、その一部が黒炎を噴出し、クルクルとルキルの周囲を回り始める。ペン回しの如く、手慰みに遊んでいるつもりなのだろうか。
「へえ? つまり外見が戻っても、本質はあの肉塊と変わっていないって事か?」
「まあ大まかに言ってしまえば、そうなりますね。但しその使い方はこの通り、多少なり上達していると思いますが」
「……そ、そうか」
「ええ、そうです」
聖人云々の疑惑は兎も角として、今のルキルが挑発に乗る気配は欠片もない。精神的にタフになったのは、まず間違いないだろう。
「さて、小休憩もそろそろ終わりにしましょうか。暴力に訴えるようで心苦しいのですが、この世の本質はそれに他ならない。ならば、これ以上のコミュニケーション方法は他にありませんよね?」
「おっと、珍しく意見が合ったな。今の今までずっとお前の反応に引いてばかりだったが、そこだけは同意しておくよ」
「ハァ、まったくもう…… 大層な聖人になっても、私の意向は無視され続けるのですね。難儀なものです」
「それが世界の為、延いては私の生きる理由ですので。では、まずはケルヴィン――― 行きますよ?」
ルキルは目の前の拳を握り、今から正面から殴りに行くぞと、そんな事を予期させる動作を取った。当然、名指しされたケルヴィンは警戒する。メルだってそうだ。
―――ガキィィィン!
「「ッ!?」」
が、そんな二人の警戒網を搔い潜り、ルキルは既にケルヴィンへの攻撃へと移行していた。真っ正面から突貫して、そのままケルヴィンを殴ろうとしたのだ。言葉にすればなんて事のない攻撃、されどその実行スピードは尋常でなく、ケルヴィンは直撃間際に黒杖で防御する事しかできなかった。メルにおいては反応すら追いついていない。
「ぐぅぅぅ……!」
この攻防において、メルの反応が遅れたのは仕方のない事だった。殺気を一身に浴びた当事者であるケルヴィンでさえ、ギリギリのタイミングで防御を間に合わすのが精一杯だったのだから。しかし、拳に立ち向かう黒杖は悲鳴を上げ、それを支えるケルヴィンもそれ以上堪える事ができず――― 次の瞬間、大きく吹き飛ばされてしまう。
『ただのパンチが、なんつう威力……! だがッ!』
『ええっ!』
ほんの僅かにケルヴィンが堪えた事により、ここに来て漸くメルの反応が間に合う。如何に尋常ならぬ速度を有するルキルとはいえ、攻撃の直後は隙が生まれるもの。メルは背後より槍を放ち、ルキルの心臓を貫かんとした。
―――キィィン!
「なっ!?」
が、これも駄目。突如としてルキルの背中から幾本もの骨が突出し、メルの槍を逆に弾き返してしまった。
「神の座から降りたというのに、素晴らしい反応、そして槍捌きです。ただ、ほんの少しだけ踏み込みが足りませんでしたね。今の一撃も惜しいですが、私の肉体に手傷を負わせるほどではありませんでした」
防御に使用されたそれら骨は、次いでミサイルの如く対外へと放出されていった。標的にされたのはもちろん、攻撃が失敗した事により、大きな隙を晒した状態にあるメルだ。メルは幾本もの鋭利な骨に貫かれ、丁度ケルヴィンとは反対の方向へと、そのまま吹き飛ばされてしまう。
「急に私が強くなったと思いますか? いいえ、スペック自体は先と何ら変わっていません。ただ、大いなる力を十全に使えるようになっただけ、要は使い手の問題なのです。そう、このように――― 黒殲姫」
ルキルの翼に黒炎が灯った。