第364話 夫婦漫才
マリアが確保した障壁の内部、つまるところ今回の戦場となるフィールドは、これまでの“ちょっと待った”の中でも特に広大なものになっていた。その広さ、実に十倍にも及ぶ。これであれば周囲を気にする事なく、何の遠慮も出し惜しみもなしに戦いを繰り広げられる事だろう。但し、空中に形成された場所なだけあって、障害物になるようなものは何もなく、また足の踏み場となる地面もない。
(ド直球に空中での戦闘だ。それ相応の戦い方が要求される訳だが、今のところルキルの戦術は全く予想できない。それに、あの顔の亀裂……)
ルキルの顔に刻まれた亀裂、それが指し示す事が何なのか、ケルヴィン達はまだ理解していない。だが、その亀裂が顔から全身へと範囲を広げ、今にもルキルの姿そのものを破壊してしまうんじゃないかという、そんな確信めいた予感だけはあった。そしてその予感は、直後に現実のものとなってしまう。
―――バキバキボキバキゴギッ……!
新たな亀裂が走り、皮膚が剝げ落ち、肉が肥大化し、骨が折れ曲がる。変身、変形、変貌、この変化には果たしてどの言葉が当て嵌まるだろうか。唯一ルキルの面影を残していた美しき姿は、今はもう何の原型も残っていない。
『メル』
『何も言わずとも、あなた様の顔を見れば分かりますよ。最初から全力で、ですね?』
『惜しいな。殺すつもりで、だ。こいつにはそのくらいが丁度良い。さあ、行くぞ』
ルキルであったものが変わりゆく最中であるが、ケルヴィンとメルは容赦なく攻撃を仕掛けた。全てを切り裂く大鎌による一撃を、生物の活動を停止させる瞬間冷凍を、殺すつもりで叩きつけたのだ。意外な事に、奇怪な肉の塊は何の抵抗をする事もなく、斬撃を浴びて分割され、そのまま氷の中に埋もれていった。どのような強者であろうとも、生物であれば死に至る状態である。
「ん~、迷いのない良い攻撃。前のルキルちゃんなら、この時点で勝負が決まっていたかも? でもまあ、今のルキルちゃんはひと味違うんだよね~」
「ただの我も認めてやろう。歪なる堕天使は神へと至った。贋物ではあるが、力が本物であれば何の不都合もあるまい」
結界の外から聞こえて来た、吸血姫と邪神のそのような呟き。進化を果たし地獄耳と化したケルヴィンとメルが、それを聞き逃す筈がなく――― いや、その呟きを聞くまでもなく、二人は続け様に追撃を繰り出していた。
が、そんなケルヴィン達の追撃が直撃する寸前のところで、ある変化が起こってしまう。分割され、冷凍状態にもある肉の塊から、ボウッ! と黒き炎が燃え上がったのだ。その炎は一瞬にして氷を溶かし、ルキルの肉塊を活性化――― ぞれぞれの肉塊は心臓の如く鼓動を刻み、活動を再開させるのであった。
『あなた様、あの炎はルキルの魔法によるものです。『赤魔法』と『黒魔法』、その両方の性質を持っているとお考えください』
『なるほど、要は合体魔法って事か。あんな理性のなさそうな状態でも、その辺は諸々引き継いでいるって考えた方が良いかもな。ったく、ますます何をしてくるのか、予想ができないじゃないか……!』
愚痴をこぼしながらも、ケルヴィンはいつもの如く嬉しそうだ。しかし、戦況は良くない方向へと進んでいる。肉塊は黒炎を伴ったまま不規則に空を飛び回り、分割されて増やした数の利をもって、ケルヴィン達を包囲しようとしているようなのだ。
もちろん、それを黙って見ているケルヴィン達ではない。その間に『風神脚』などで強化を施し、追加の攻撃も並行して放ち続ける。この攻撃は一定の成果を上げ、いくつかの肉塊を撃ち落とす事に成功。どうやら一定のダメージ量を超えたところで、肉塊は霧のように消滅してしまうようだ。異常な生命力を誇る肉塊であるが、それにも限度がある事が証明された訳だ。
『不死でない事は分かった。けど、喜んでばかりもいられないな。撃ち損じた残りの肉塊が、それぞれずっと膨張を続けていやがる』
『あ、大きくなった傍から自力で分裂しましたよ?』
『おいおい、まさかこれ、肉塊がずっと増え続ける流れか?』
『まるで失った質量を取り戻しているかのようですね。心なしか、増殖と分裂の速度も上がっているような――― いえ、これは確実に早くなっています』
『良いね、そいつは最高――― そいつは不味いな』
『今、最高とか言いかけましたよね?』
『コアのような弱点部位も見当たらないし、このままだと本当に不味いな』
『あくまでもそれで通すつもりですか……』
念話での夫婦漫才をしている間も絶え間なく攻撃を続けるが、肉塊の増殖スピードは勢いを増すばかり。今のところは何とか拮抗させているが、このままでは増殖の勢いに押されてしまいそうだ。
―――ゴオォッ!
『っと、危なッ!? ふう、危うく炎に掠るところだったわ』
『あなた様、笑い事じゃないですよ?』
『いや、笑ってなんかいないって。ずっと真面目だって』
『いえ、笑っているから言っているのです。ずっと笑っています』
また、肉塊が纏っている黒炎も非常に厄介であった。高速移動する肉塊の通り道に火の粉を残していく事で、ケルヴィン達の動きを阻害しようとしてくるのだ。恐ろしく高火力であろう事以外、今のところ黒炎の詳細は不明である。よって、炎との接触は可能な限り避けるのが無難――― なのだが、前述の通り肉塊の数は増え続け、それら全てが黒炎を纏い周囲を高速で移動している。となれば、移動の際にバラ撒かれる黒炎も多くなるのが必然。この阻害行為がケルヴィン達に負荷をかけ、更に状況を厳しくさせていた。
「氷女帝の荊!」
「螺旋護風壁・Ⅲ!」
―――ジュッ! グォン!
『あ、駄目です溶けました。氷女帝の荊も一瞬でした』
『魔力を注ぎ込んだ俺の螺旋護風壁も瞬殺されたわ。ハハッ、火の粉程度しか触れてないってのに、一体どうなっているんだか』
鉄壁を誇る氷の薔薇で遮蔽物をつくり、防御に使用するのと同時に肉塊の動きも止める。黒炎が邪魔なのであれば、暴風の障壁でそれを吹き飛ばしながら動き回る。そんな思惑の下に詠唱された各魔法も、黒炎と接触した途端に効力を失ってしまった。最早ここまでくると、火力以前の問題のように思えてくる。
(流石にこの馬火力は不自然だな。エフィルの最大火力の攻撃だって、火の粉が触れた程度じゃここまでの威力は叩き出せない。ってなると、『黒魔法』による対象の弱体化、或いはそれに類する力を織り交ぜている感じか。黒女神時代のクロメルに匹敵するかもとは言ったが、何もそこまで真似する必要もないと思うんだがな)
ケルヴィンが思い出していたのは、かつてクロメルが好んで使用していた黒い水、そして触手による魔法攻撃であった。対象の能力の一切を劣化させるあの力と、今のルキルの炎は類似する点がいくつもある。カラーリングまで合わせるその徹底振りには、ケルヴィンもかつての戦いと重ね合わせずにはいられなかったようだ。
(にしても、まさか黒女神であったクロメルを倒した後に、似たような力を再び目にする事ができるとは……)
かつての因縁、クロメルとの最高の戦い、喜びと哀しみ――― 様々な感傷的な気持ちがケルヴィンの心を過っていく。クロメルの戦術を真似られた事に対する怒りはない。むしろ、よくぞここまで体現してくれたと褒め称えたい、その力を俺にぶつけてくれてありがとうと感謝を伝えたい、ケルヴィンはそんな気持ちで一杯だった。
『ククッ、ルキルの奴はどこまで俺を口説くつもりなんだかな。さっきから誘っているようにしか見えないっての』
『は? あなた様、それって浮気発言ですか? 白昼堂々、それも戦いの最中に何を口走っていやがるんです?』
『へ? い、いや、そういうつもりの発言じゃなくてだな。戦いの最中だからこそ言ったっていうか……』
『ルキルが相手だからこそ、ではなくですか? 確かにルキルは美人でしょうが、式の前にそれを言っちゃいます? 許されると思ってます?』
『い、いや、本当にそういう意味じゃないんだ! ルキルよりもメルの方がずっと魅力的だし、俺はもうメロメロよ!? メロメロのメロよッ!?』
『嘘です、信じられません。メルの事が世界一だ~い好き! と言ってくれないと、とてもではありませんが信じられません! 心を込めて言ってくれないと駄目ですッ!』
『言う言う、何度だって言っちゃう! メル、俺は心を込めるぞ! 俺はメルの事が、世界一だ―――』
「―――だから…… 何を…… イチャイチャしているんだってぇのぉぉぉ!?」
『『!!!???』』
念話での二人の夫婦漫才は聞こえない筈だが、どうやらルキルはイチャイチャの波動を感じ取ってしまったようだ。結果、彼女はキレた。盛大にブチギレた。
今年最後の投稿です。
よいお年をお迎えください。