第94話 S級魔法
―――紋章の森・上空
―――S級魔法。それは、魔導士にとっての到達点である。S級の魔法系スキルを獲得したとしても、才能や実力が伴わない場合は発現することができないこともある。例え発現できたとしても、その扱い辛さは賢者と称された魔導士であっても掌握しきれるものではない。
だが、その威力は想像を絶する。S級による魔法は正に災厄、扱いを間違えれば国をも崩壊させるに足る代物なのだ。
「うふふふふふ! もうこんな森、君ごと切刻んで吹き飛ばしてあげるよ!」
魔力が螺旋護風壁と同じように、クライヴを中心に渦巻いていく。ただひとつ異なるのが、渦巻く魔力量が桁違いになっていることだ。おそらく、これがクライヴが持つMPのその殆どを使っての奥の手。
(出来れば、エフィルと縁のある森を傷付けたくなかったんだけどな…… クロト、アレを出してくれ)
クロトがある物を排出する。それは黒で統一された長杖、170センチであるケルヴィンの背丈以上に長く、もし遠目で見れば槍かと錯覚するかもしれない。奇しくもその長杖はクライヴの持つ『極楽天』とは対照的な色彩であった。
ケルヴィンは取り出した長杖を軽く振り回し、感触を確かめる。
「ああん? 今度は何かな?」
「準備運動」
「はぁ!?」
クライヴが声を荒げたその瞬間、再び爆音。エフィルが里の防壁より極炎の矢を再度放ったのだ。灼熱の矢がクライヴに向かう。が、なぜか避ける素振りはない。
そのまま渦巻く魔力の壁に極炎の矢が着弾する。
「あはははは~!」
炎の中から高笑いは聞こえてくる。やがて炎が消えることで現したクライブは無傷の姿。極炎の矢が魔力の壁を貫通できなかったのだ。
「無駄無駄! 今のこの壁は螺旋護風壁の倍以上の防御力を誇るんだ。何の攻撃だか知らないけど、もう無意味だよ! 更に―――」
―――壁が、収縮する。
「ここからが、僕のS級魔法『螺旋超嵐壁』の本当の姿だっ!」
収縮した風壁は斜めに歪みながら膨れ上がり、空に、地上に到達する。形成されたその魔法は、巨大な竜巻であった。クライブはその竜巻の中心に座している。
問答無用で全てを破壊していくそれは、天地をかき回す巨大なミキサー。強力な吸引力により紋章の森の木々が竜巻へ根元から巻き込まれ、接触した部分からバラバラとなっていく。
「僕の『螺旋超嵐壁』は攻防一体の最強の魔法! 防御力はさっき見た通り、それが竜巻となって広範囲に襲い掛かるよ! うふ、うふふ、もう君は逃げられない!」
竜巻は徐々に、徐々にとケルヴィンの方向へ移動する。同時に竜巻が発生する風の巻き込みによって、ケルヴィン自身も吸い込まれていく。飛翔で離れようとするも、竜巻の力が強く引き離すことができない。
「主人公である僕の美顔を傷物にした代償はでかいんだ! 死ねっ、死ねっ!」
圧倒的に有利となったこの状況に、クライヴは愉悦する。もう、自分が脅かされることはない。鬱陶しいこの黒ローブももう終わり。亡骸の前で、エフィルとエルフ達にまとめて楽しいことを教えてやろう、と。
しかし、ケルヴィンに焦りの色はない。竜巻に抵抗しながら精神を集中させ、その視線は杖先へと向けられていた。
「大風魔神鎌」
漆黒の長杖から発せられる、超常的な魔力。その魔力が形作るのは、杖先に見える大鎌。それは最早杖などではなく、死神が所有する死の宣告の象徴であった。
クライヴの『螺旋超嵐壁』が魔力を全面に散らせた形態であるとすれば、この『大風魔神鎌』は一極集中型の魔法。ケルヴィンが僅かに杖先を動かすと、その軌道に沿って空間が歪む。
「それが何だ、死ねぇーーー!」
螺旋超嵐壁の進行スピードが跳ね上がる。
鑑定眼でその大鎌の特性を調べようともしないクライヴは、気持ちの昂りによって冷静さを欠いていた。まあ、A級の鑑定眼ではランク不足によりこの魔法の詳細は見れない為、どちらにせよ同じことではあるのだが。
それでもクライヴには魔力察知スキルがあるはずなのだが、目先の利に目が眩み、また自身の魔法に絶対の自信を持っていた為に、彼はそれさえも怠っていた。怠ってしまったのだ。魔力の性質を知れば、それが絶対に受けてはならない代物だと理解できたかもしれないのに。
既に眼前へ迫りつつある竜巻に、ケルヴィンは大鎌を構え直して向かい合う。
「その言葉、そのまま返す!」
大鎌が横一文字に振るわれる。振るわれたその線に沿い、空間を歪めながら扇状の斬撃が放出される。当然、クライヴは避けない。臆することもなく、ただただ螺旋超嵐壁と共にケルヴィンにへと突き進んでいた。
―――斬撃が、直撃する。
「―――ずれたか。やっぱ、まだまだ調整が必要だな」
「……は?」
螺旋超嵐壁が、四散する。強大な竜巻が消滅した衝撃が、森全体に広がっていった。風魔神鎌の刃より放たれた斬撃が螺旋超嵐壁を何事もなかったかのように貫通し、クライヴの両足、ちょうど膝上のあたりを通り過ぎたのだ。
螺旋超嵐壁を通過した後も斬撃は止まらない。距離を進むにつれ横に広がっていき、やげて木々へ、地面へと接触。触れるもの全てを切り倒していき、地面には底の見えぬ穴を残す。その方向の大地が陥没していくのを見ると、まだ斬撃は消えていないようである。最終的には紋章の森の淵付近にまで到達。森は見るも無残な姿となってしまった。
「森に届かないよう土地と平行に胴体を狙ったんだが、やばいなこれ。長老さんに怒られるかな……」
「ああ、あぁ、足いぃぃーーー!?」
クライヴの両足が地上に落ちていく。必然的に欠けた部位からは大量の出血、早急に手当てしなければ、このまま放って置いてもいずれHPが尽きてしまうだろう。この状態でも飛翔を維持しているのは大したものだが、これでケルヴィンが許すはずもなく―――
「この距離で直になら、逸れることもない」
風神脚による機動力で、クライヴの真正面に移動。ケルヴィンは既に、その大鎌を振りかぶっている状態であった。
「これで終わりだ」
「ま、待っ―――」
いまやクライヴは体面を気にする余裕もなく、顔をぐしゃぐしゃにし、懇願しながら手をかざす。だが、死を宣告する死神の鎌が止まることはなかった。振りかざされたその大鎌は、クライヴを袈裟斬りにする。
「……うん?」
斬った感触がない。それどころか、クライヴの姿が見当たらない。
袈裟斬りが当たったと思ったその瞬間、クライヴが消えた。
「そこまでです」
突如聞き覚えのない声が響く。反射的に察知スキルでケルヴィンが周辺を探知。位置を確認してそちらに顔を向けると、そこには先程まで姿形・気配まで何もなかったはずの、見たことのない造形の大型モンスターと、その手の上に乗る貴族風の男がいた。クライヴも男の足元に転がっている。どうやら白目をむいて気絶しているようだ。
「……今のは、お前の仕業か?」
ケルヴィンは鎌の先を男に向ける。
「警戒しないでいいですぞ。争う気はないですからな」
男が軽く両手を挙げ、お手上げとポーズをするが、顔が半笑いなので信用するには値しない。
「まずは、はじめまして、ですかな? 私はトライセン混成魔獣団将軍のトリスタン・ファーゼ。この度、エルフの集落を強襲しようと画策した者です。以後、よろしく」
羽帽子を胸に当て、流暢に挨拶をするトリスタン。
「そうか、お前が…… いや、まずはそこに転がっている奴からだ。そいつを渡せ」
「それはできませんな。クライヴ将軍にはまだやって頂けねばならぬ事もありますので。」
「なら、まとめて倒して―――」
鎌をトリスタンに向け構えると、再びモンスターと共にトリスタン達が消え、ケルヴィンの後方へと転移する。
「だから、戦う気はないんですって」
「……召喚術か」
「ほう、分かりますかな?」
「いや、それだけじゃないな。今のは普通の召喚じゃない。 ……そのモンスター、面白いスキルを持っているじゃないか」
「……フ、フフフ。良いですね、そこまで見破りますか。あの方もさぞかし喜ばれることでしょう」
「あの方?」
「いえ、こちらの話です」
トリスタンはわざとらしく咳払いをする。
「今日のところは様子見、と言ったら負け惜しみですな。素直に認めましょう、我々の完全敗北です。ですので、敗走致します」
「させるかよ」
MP回復薬をクロトから取り出す。
「おっと、回復される前に消えると致しましょう。では、また……」
魔法陣を敷くこともなく、トリスタン達の姿が瞬時にして完全に消え去る。どうやら、もう近くにはいないようだ。
「……逃がしたか。里へ移動した気配もない、か」
配下ネットワークを確認。ゴーレム達は無事に女騎士を捕獲、セラの方も粗方片付いたようだ。メルフィーナとリオンも里への帰途についている。
『戦闘終了、敵の将軍は逃走。これから里に戻るが、ジェラールは警戒を続けてくれ』
『了解じゃ』
『ご、ご主人様!? お、お待ちしてましゅ!』
……エフィルが噛んだ。
(……エフィル、どうかしたのか? まあ、まずは帰還が優先か)
戦闘報告を入れ、MP回復薬を一気に飲み干す。
(なかなか一筋縄にはいかないな。それに、あのトリスタンって貴族、なぜ召喚術で里を襲わなかった? いや、それよりも今は―――)
ケルヴィンは空を見上げ、大きく息を吸い込んだ。
「くっそぉぉ!」
後悔の咆哮は森に響き渡り、木々に浸透し、天空へと振り放った大風魔神鎌が、雲を断ち切り天へと昇る。その一撃により杖に施された魔力が切れ、長杖は元の姿へと戻っていった。
自責に心が耐えられない。魅了持ちである危険人物を取り逃がしたこと。高説を垂れておきながら魔法を扱い切れなかったこと。全てが仲間の、人々の危険に直結することだ。
(大風魔神鎌の初撃が決まっていれば、こんな結果にはならなかった筈だ…… )
心に若干の靄を残す結果となったが、ケルヴィンは飛翔を操り里へ向かう。その後悔の念がどこに向かうかはケルヴィン次第であるのだが、まずは一度、幕を下ろそう。
―――里の防衛戦は、ここに終結した。




