第314話 世話焼きなお母さん
朝の目覚めは不思議と良いものだった。睡眠時間的には壊滅的な筈だったんだが、体と心がこれ以上ないくらいに漲っていて、起床後の眠気も殆どない。快眠も快眠、そう称しても良いくらいだ。しかし、あの時のシュトラは凄かった。まさか糸がああなったこうなるとは、夢にも思わなんだ。全く、俺の予想斜め上の事を当然の如くしてくれるな、シュトラは。
と、寝る前の記憶を思い出しながら、俺はパレードに向けての準備、要は着替えをしていた。ギルドから貰ったいつもの正装ではなく、本日はトライセン式のホワイトタキシードである。うーん、白い。驚きの白さだ。いや、結婚式なのだから白いのはまあ当然なんだけど、普段そういった色合いのものを着ない俺としては、何とも落ち着かないと言うか、衣装に着られてしまっていると言うか…… キス問題もあるけど、トライセンの人々にとっての俺の印象が、黒から白に変わってしまいそうだな。
「ケルヴィンちゃーん、そろそろ時間ですよー?」
そんな事を考えていると、部屋の外から声を掛けられた。この声は魔法騎士団の将軍のものだ。もうそんな時間か。
ちなみに、今代の魔法騎士団のトップはなぜか氷竜王サラフィアが務めている。そう、ロザリアの母親で、アズグラッドの育ての親でもある、あのサラフィアだ。国内に居る時は常に人型の姿になっているようだが、竜王である事は特に隠している感じでもないらしい。何せ、トライセンの民達にまで知られているくらいである。
竜王がそんな役職に就いたら、国内外から不安の声が出るんじゃないか? なんて、そんな心配も最初はしたもんだが、サラフィアの着任は案外受け入れられているみたいだ。まあ、その辺りも俺の知らない政治的な背景やら、サラフィア本人の資質がかかわっているんだろう、多分。
考察が投げやりじゃないかって? いや、実際あんまり興味ないし。俺はそんな事よりも、彼女が歴代の魔法騎士団将軍の中で、いや、トライセン全団の歴代の将軍の中でも、最も強いのではないかと噂されている事の方が気になっている。それどころか、竜王中でも最強の存在なのではないかと、俺はそんな風に疑っていたりもする。“ちょっと待った”には予選にも参加していなかったらしいが、仮に本気で参加していたら――― 心が躍るなぁ。
「あ、はい。今行きま――― って、何でもう中に居るんですか……」
「んー? 何だか呼ばれたような気がしたの。うふふふふ」
返事をするよりも前に、サラフィアは俺の真横に移動していた。扉も開けず、どうやって部屋の中に入って来たんですかねぇ? と、俺がそんな疑問を口にする間もなく、サラフィアがグルグルと俺の周囲を回り始める。どうやら最後の服装チェックだったようで、俺の格好を慣れた手つきで整えていくでのあった。
「よし、これでオーケー。まあまあ、格好良くなっちゃって。これなら、いつでもお婿さんに行けるわね」
「いえ、一応シュトラが嫁入りする予定なんですけど……」
「うふふ、軽い冗談よ、冗談。竜王ジョークよ~。おばさんの言葉を本気にしちゃ駄目よ?」
……とまあ、こんな感じで性格的には敵いそうにない。いや、整えてくれたのは有難いんだけどね。たちまちにしてピシッとなったし。
「さ、今日の予定の最終確認をするわね? まずこの後、城のテラスに出てもらって、集まった国民達に新郎新婦のお披露目をしてもらう事になっているの。基本的には笑顔で手を振ったりするだけで、司会の人が色々と進行してくれる事になっているわ。けれど、二人から一言ずつ挨拶をしてもらう事にもなっているから、そこだけはよろしくお願いね?」
「了解です。まあ、各方面に失礼のないようにしますよ」
「え? この娘は今日から俺の嫁だぜヒャッハー返してほしければ俺に勝ってみな! ……みたいな、戦闘狂ムーブをかまさないの?」
「かましませんし、一体俺を何だと思ってます?」
「うふふ、竜王ジョークよ~。これで緊張もほぐれたかしら?」
……本当にジョークだったんだろうか? いや、“ちょっと待った”をするタイミングをわざと作る為にやるのであれば、百歩譲ってアリ――― でもないな。その後に勝ったとしても、俺の悪評はいつまでも残ってしまう。
「さ、気を取り直して続き続き! お披露目会が終わったら、いよいよ今日のメインイベントでもあるパレードに出てもらうわ。特製の馬車に乗って、首都中を縦横無尽にノロノロと駆け巡る事になるから、気合を入れて臨んでね。要所要所の死角に休憩ポイントは設けられているけど、水分補給とギリギリお手洗いに行ける程度の時間しかないの。歴とした王族の儀式である事を忘れずに、見られる事を意識してキスをしてね!」
見られる事を意識したキスとは? いやまあ、夜のうちに予行練習をゲフンゴフン大丈夫何とかなります。
「パレードで首都中の人々に熱く優雅なキスを見せつけた後は、いよいよ教会での挙式ね。と言っても、歴代の王族達はこの時点で凄まじく疲労していたから、式自体はかなり簡略的なものになっているわ。それまでずっとキスを見せつけていたってのに、今更誓いのキスとは何じゃい! って、そんな意味があるのかしらね。披露宴についても、選ばれた招待客しか来ない事になっているし、基本的に主役の二人は座っているだけよ。これが本当の疲労宴って事かしらね? な~んちゃって~」
「お、面白い竜王ジョークですね……」
「あらあら、今のはジョークじゃなくって本当の話よ? トライセンの王族の結婚式って、披露と疲労をかけている由来が昔からあるもの。古文書にもしっかりとそう記されているわ」
「………」
駄目だ、竜王ジョークが難解過ぎる。俺にはもう見分けがつきそうにない……
「っと、そんな事をしているうちに時間も時間ね。それじゃケルヴィンちゃん、皆よりも一足先に、シュトラちゃんの晴れ姿を見ておきましょうか」
「え? ちょ―――」
気が付けばサラフィアに抱えられ、城内を超スピードで移動していた。氷上をスケート靴で滑るが如く、スイスイと走り回って――― また気が付けば、シュトラの着替えに充てられた部屋の前に辿り着いていたのである。城の中でなんちゅうスピードを出しているんだ、この奥様は……
「コンコンコンっと。お着替え中ごめんなさいねー? 新郎を連れて来たのだけれど、失礼しても良いかしらー?」
「この声は母様? ええ、もう着替えは終わっていますが……」
部屋の中から聞こえて来たのは、サラフィアの娘であり、我が屋のメイドでもあるロザリアの声だった。なるほど、ロザリアはシュトラの着付けを担当していたのか。エフィルの下でメイド修行をしていたから、確かに彼女であれば適任だろう。
……って、あれ? もしかして、今からウエディングドレス姿のシュトラと初対面? 俺、サラフィアに抱えられているこんな格好なのに? サラフィア、ここまで来たらもう大丈夫だから、まずは降ろしてって、早速入室しようとしているし!
「あっ、ケルヴィンさん」
「や、やあ、シュトラ……」
何とも格好がつかない体勢のまま、綺麗に美しくそれでいて凛々しく着飾ったシュトラと対面してしまう。いや、無様な状況の俺はさて置け。今はそれよりも重要な事がある。正直に言おう。俺は見惚れてしまっていた。俺のタキシードと同じく、いや、それ以上に純白に映るドレスには、羽をあしらった装飾が各所に施されていて、シュトラが普段着用しているドレスに雰囲気が少し似ている。だからと言うべきか、これ以上ないくらいにシュトラにマッチしているように思えたんだ。冠と一体化したベールもお姫様チックで、何かもうマッチ。うん、ベストマッチ。チックマッチ。
「見惚れて頭がおかしくなっているところ、申し訳ないのだけれど~…… ケルヴィンちゃん、ほら、感想感想。貴方の想いをしっかり言葉にしないと!」
「あ、ああ…… その、綺麗だよ、シュトラ」
「あ、ありがとう、ございます…… ケルヴィンさんも、その…… 格好、良いです……!」
「そ、そうか……!」
俺が正直な想いを言葉にした瞬間、顔を真っ赤に染めるシュトラ。そして、恐らくは同じく赤くなっているであろう俺。そんな俺達を満足そうに見届けるサラフィア。一方、言葉にするのも大事だけど、まずは俺を降ろしてあげたらどうなのかと、そう訝しんでいるロザリア――― あの、サラフィアさん? 満足しました? いい加減降ろしてくれません?