第311話 トライセン式神聖なる儀式
俺は今、トライセン城の一室にて挙式の最終確認に当たっている。もちろん、花嫁であるシュトラも一緒だ。つい先ほどまでアズグラッド――― いや、明日にはもうアズグラッド義兄さんか。うーん、慣れないな…… まあ、何だ。その義兄さんもさっきまで居たんだが、どこからともなく現れた今代の魔法騎士団の長に捕まり、どこかに連れ去られてしまった。仕事か何かでミスでもしたんだろうか? 王族が竜に連れ去られる、なんて物語りはよく聞くものだが、まさか目の前でやられるとは思ってもいなかったよ。まあ、よくある物語りとは性別が逆な気もしなくはないが。
「アズグラッドお兄様はあれでいて、結構お忙しいんですよ」
「だろうな……」
軍国トライセン、かつて前王ゼル・トライセンが魔王と化してしまい、国内の者達の殆どが洗脳され、その傀儡となった東の大国。他三国と冒険者らの協力によって魔王は討伐され、その脅威も今においては完全に絶たれている。が、その後、彼の国の国力は以前と比べて明らかに低下し、魔王化現象が原因であったとは言え、世間からの風当たりは今も尚強いのが現実だ。
だからこそ、トライセンは改革を続けている。シュトラとアズグラッドの指導の下に、人族至上主義という思想を改め他種族の迫害を厳罰化、奴隷の所有、その待遇における細かな法も制定され、以前の命を命と思わないような文化体系を変えている最中にある。これらの効果、特に人々の思想については直ぐに変わるものではないだろう。それでも一歩一歩、時と共に着実に変化を遂げていくものだと、俺はそう思っている。
不幸中の幸いと言うべきか、過激派であったトライセン貴族らは戦争の最中にその殆どが戦死、と言うか城内のパーティー会場で無残な姿で発見されており、この流れを阻害する有力者は最早居ないと言っても良い。他三国も援助を行ってくれるなど、今のトライセンの復興には好意的だ。まあ俺の知らないところで、国家間の面倒で黒々としたやり取りもあったりするんだろうが…… ともあれ、そんな感じで内外のどちらから見ても、トライセンは良い方向に進んでいる訳だ。
……たださ、ちょっと気になる事もあるんだよね。さっきみたいな真面目な話じゃなくて、いや、俺としては真面目な話なんだけど、未だに信じられないと言いますか…… うん、やっぱ何かの間違いじゃないかな? 念の為、シュトラに確認しておこう。
「シュトラ、これは絶対に必要な事なのか?」
「絶対に必要ですね。かつてのトライセンの王族らは、例外なくこれを遂行してきましたので」
「マジでか…… その、だな、時代に合わない風習は今の世代で変えていくべきだと、俺は心からそう思うんだが」
「ですね。私も心からそう思いますし、この一年間はそれを信条の一つに掲げて活動してきました。ですが、これはそこに類さない立派な風習ですので」
「そ、そうか……」
俺が疑問を呈するも、真面目顔のシュトラにそう断じられてしまう。あのシュトラがそこまで言い切るのだから、これは本当に必要な事なのだろう。少なくとも、トライセンではこれが一般常識なのだ。郷に入っては郷に従えとも言うし、ならば俺もそこに従って―――
「―――いや、やっぱりこれはどうなんだろうか…… 結婚式における伝統的な儀式の一つとして、式当日にパレードを行い、首都中を巡る。うん、ここまでは良い。他の国でも、王族の結婚ならそれくらいは普通にやると思う。 ……けどさ、新郎新婦はパレード中、ずっとキスを続けなければならないってのは、一体どういう事なんだ? それって、その姿を観衆に晒すって事だよな? 新手の羞恥プレイ?」
「いえ、トライセン古来からの習わしです。言うなれば、そう、古来からの羞恥プレイです」
……どうしよう。今日のシュトラ、何かおかしい。見た目や口調はいつものように冷静だけど、その中身が暴走している。
「えと、シュトラ? 仮に伝統的な儀式であるのなら、冗談でも羞恥プレイと言うのは……」
「冗談で言っている訳ではありません。この習わしの本質は、新たなる国の指導者に向けての試練――― 二人の愛が本物である事を民達の前で直接示し、長時間羞恥の中に晒される事で、恥や恐れといった概念を超越する事にあります。歴代のトライセンの王達は皆、この試練を立派に乗り越えてきました。私のお父様も例外ではありません」
「ゼル国王が……?」
ちょっと待ってくれ。魔王化する前のゼル国王は、堅実な性格だったと聞いているぞ。なのに、その儀式をやり抜いたの? 首都中をキスしながらパレードったの?
「……すまん。念の為、万が一聞き間違いだったら悪いから、一応もう一度だけ確認させてくれ。本当にゼル国王もやったの?」
「はい、お父様もやり遂げました。私が生まれるよりも前の話ですが、民達の記憶には今も色濃く残っています。文献にも詳細に記録されています」
き、記憶と記録、どっちも後世に残ってほしくない…… あとさ、ゼル国王に対しての恐怖心が、魔王になった時よりも大きく感じてきたんだけど、どうしたら良い? この儀式をやり終えた後も、真面目顔で国民達の前に立って演説とかしていたんだろ? 絶対正気の沙汰じゃないって、おかしいって。
「しかもお父様の場合は一夫多妻でしたので、妻を新たに娶り式を挙げる度、この儀式をやったそうです。その数は計五回にも及び、時には月を跨いで連続で行った事もあったんだとか」
ゼル国王さん!? アンタこれを五回もやったんですか!?
「この儀式はトライセンにおける最大のお祭りでもありましたので、民達からの注目は凄まじいですよ。それに外からやって来る観光客も、メインとなる結婚式よりも、むしろパレードに集中するくらいでして―――」
「―――わ、分かった。凄まじい覚悟が伴う儀式だって事は、痛いほど分かったから、その辺で勘弁してくれ……」
「そうですか? 残念です」
そ、そうなんですよ…… と言うか、シュトラさん? 途中から俺の反応を楽しむ方向にシフトチェンジしてませんでした? いつもの表情から、ほんの僅かに愉悦の混じった感じがあったような…… いや、まさかな。シュトラがそんな事をする筈がないし、何よりもシュトラだってこの儀式の当事者なんだ。
極端な話、俺の事なんてどうでも良い。羞恥心を捨てて儀式に徹するだけで、別に死ぬ訳でもないからな。けど、シュトラの方はそんな簡単な話じゃないだろう。ぶっちゃけてしまうが、シュトラとは手を繋ぐ程度の触れ合いはあるものの、まだキスまではした事がない。結婚するまで駄目ですという、シュトラの品行方正さとトライセンの仕来り(?)から、今日の今日までそんな感じになってしまった訳だが、そうなるとこのパレードでのそれがファーストキスになってしまうんだ。一人の女の子として、本当にそれで良いんだろうか?
「……ケルヴィンさん、そんな顔をなさらないでください。考えている事が丸分かりです」
「えっ?」
「ですが、ありがとうございます。私の事を心配してくださって」
何と言う事だろうか。メルに続いてシュトラにまで、心の中の考えを読み解かれてしまった。俺、そんなに顔に出るタイプじゃないと思うんだが…… まさか、これが愛が成せる技――― いや、ごめん、今のはなし。普通にはずかった。
「私は大丈夫ですよ。恥ずかしいという気持ちがないと言ったら嘘になりますが、それよりも受ける恩恵が大きいですからね。このメリットは見逃せません」
「メリット?」
「はい、大きな大きなメリットです。これまで出遅れてばかりの私でしたが、このパレードを機に戦況は大きく傾く事になるでしょう。何せ愛を証明する為に、何時間もその姿を公然に晒す事になるのです。一番最初に式を執り行う事実と相まって、実際どこまで進んだ関係なのかはさて置いて、私がケルヴィンさんに最も愛されているのだと、招待客や民達はそう思い至るのです。言わばこれは、既成事実の捏造――― いえ、結婚のその日のうちに全てを事実にしてしまえば、捏造でもなくなりますね」
「あ、あの、シュトラさん……?」
「フフッ、当日が楽しみです」
おかしいなぁ。シュトラの為ならばと一大決心した筈なんだが、何だか俺、当日が怖くなってきたぞ?