第309話 適量を知るのはとっても大事
酒、それは命の水と呼ばれ、時に黄金に匹敵するほどの価値が生まれる事もある。まあ俺個人としては、本当にそれだけの価値があるかどうかが微妙なところだが、身分に関係する事なく、多くの人々に愛されているのは事実だろう。人の数だけ酒にまつわるエピソードがあり、それは失敗談であったり、はたまた笑い話であったり、或いはそこから新たな出会いに発展する事もある。酒とはそれだけ人生と密接に関係していく、切っても切れない感じのお隣さんなのだ。
で、そんな人生のパートナーとも呼べる酒であるが、俺が持つ思い出は、なぜか死にかける事が多いような気がする。まあ、これは間違いなくセラが原因だ。俺の死因になりそうな要素ベストスリーを挙げるとすれば、確定でその中にランクインをするくらいに三途の川を見ている。リオンにはセラのような失敗をしてほしくない。俺のような失敗もしてほしくない。そんな訳で、今日のお試しは舐める程度に止めてもらったのである。まる。
「う、ううーん…… あんまり美味しくはない、かな……?」
リオンがチビっと飲んだのは、屋敷にある酒の中でもアルコール度数が極めて低いものだった。あまり美味しいとは感じていないようで、眉が八の字になってしまっている。まあ、そうだよな。初めて飲む酒の味っては、あんまり美味しく感じられないのが基本だ。ただ、今それよりも気になるのは―――
「リオン、気分は悪くないか? 視界がぼんやりしたり、吐き気がしたら直ぐ言うんだぞ?」
―――そう、リオンの体調である。いつでも魔法で回復できるよう、リオンの間近でスタンバっている俺。また、ジェラールもしじみの味噌汁を手に持ってスタンバっているところだ。
「そ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ、ケルにい。ほんの少ししか飲んでないし、飲む前にアンジェねえからチーズも貰ったし。アレを食べたら酔い難くなるんだよね?」
「あんまり過信しちゃ駄目だけど、悪酔いはし難くなるかな。おつまみとしても最適だし、何よりも手軽な予防法だよ。アンジェお姉さんのお勧め!」
「チーズをはじめとした乳製品には、アルコールの吸収を緩やかにする働きがありますからね。理に適っていると思います。それにしても、このチーズはあまり見かけないタイプですね?」
予めスライスされていたチーズを、穴が開くほどに見詰めるエフィル。
「これ、トラージが試験的に作っているチーズなんだ。新しい特産品として開発中みたいでさ、ツバキ様が私達からも味の感想を聞きたいって、トラージを出発する時に持たせてくれたの。そのまま食べてもなかなか美味しいよね」
「うん、すっごく美味しかった。お酒の美味しさはまだよく分からないけど、僕、このチーズは好きかも」
「ふぅむ、甘口の酒に合いそうな乾酪じゃのう。まあ、たまにはそういった酒も乙なものか」
「ですね。特にその傾向にある白ワインとの相性が良いと思います」
「シュ、シュトラちゃん、いつから大人モードに!?」
「……ご主人様、このチーズを使って、軽く調理してきても良いでしょうか?」
「ハハッ、料理人魂に火が付いちゃったか。もうパーティは始まっているんだし、あんまり根を詰めないようにな?」
「はい!」
いつの間にかトラージ産チーズの試食会みたいな感じになってしまったが、リオンの体調面での問題は今のところ見られないようだ。取り合えずはひと安心かな?
「これで少なくとも、リオンはセラよりも酒に強い事が分かった。これは大きな収穫だ。良かったな、リオン!」
「うん!」
「そうね! リオンは私よりも酒に強くて――― って、ちょっとちょっと、何でそうなるのよ! 納得できないんだけど!? さっき、本当に舐める程度にしか飲んでいなかったわよ、リオン!?」
おいおい、何をそんな分かり切った事を。その僅かな量を突破しただけで、リオンの許容量はセラのそれより上である事が分かったんだぞ? まあ、アレだ。あれだけ厳重に注意しておいたから、セラが何を言おうとも、今日のところは酒を飲む事はないだろう。飲んだら飲んだでパーティが無茶苦茶になるし、その辺はセラも弁えていると、そう信じたい。
む? そういやドロシーはどこへ行ったんだ? メルとコレットの姿も見えないようだが…… そう思いながら気配を探ると、何やら三人はどうやらテラスの方に居るようで。
「んくんく――― ぷはぁっ! いやはや、これは良いお酒ですね。興味本位でアダムスから頂戴したものでしたが、なかなかどうして。口に含んだ瞬間、体中に爽快感のある刺激が駆け巡り、飲み込めば焦げ付くほどに焼ける感覚が喉を襲う。一息つけば…… ふう。この通り、独自の香りと辛口の余韻が鼻を抜けていきます。元とはいえ最上位の神ともなれば、良いものを飲んでいるのですね。ええと、このお酒の銘柄は…… あら、『神殺し』? フフッ、なかなか洒落も効いているではありませんか。ドロシーはどうです? 口に合いましたか?」
「んっ、んっ――― けぷ。っと、失礼。ええと、飲み応えがあって美味しいと思います。辛口? らしいですけど、その後に微かな甘さが押し味として口の中に広がっていく感じがして、何だかジュースで割っているような感じもあって。これ、ひょっとしてお酒初心者でも飲みやすいタイプだったりします? ガブガブいけそうな感じがしますけど」
「んー、アルコール度数が50と書かれているので、初心者向けでは全くないですね。共に飲み始めたコレットが、今はそこに転がっている訳ですし」
「ふ、ふへへへへ…… 最強を誇るメル様の香り、そしてドロシー様から放たれるリオン様混じりのブレンドアロマ、その間に挟まってしまった矮小なる私…… これだけでも即死ものですが、そこへ神がもたらした天上の酒の独特過ぎる風味が加わります…… 気持ち悪いのに気持ち良い、そんな矛盾が私の中でビッグバン…… 私の嗅覚は更なる高みへとわっしょいわっしょい……」
「よし、いつも通りですね」
「これがいつも通りで良いのですか?」
……どうしよう、何だかとんでもない事になってしまっているぞ。メルとドロシーがクソデカ酒杯で変な酒を飲み交わし、二人の足元ではコレットがぶっ倒れながらもトランスしているのか、ブツブツとずっと何かを呟き続けている。こいつら、この短時間にどんだけハイペースで飲んでいたんだ。辺りにとんでもない数の空瓶が積み上がっていやがる。
むう、おかしいな。初めてのお酒を楽しく体験してみよう! みたいな、そんなノリで始まった筈なのに、あそこのグループは文字通り地獄を形成してしまっている。つか、『神殺し』って言ったか? それ、アダムスがケルヴィムを酔い潰した、超凶悪な酒じゃなかったっけ? メルさん、いつの間にそんなに貰っていたの? 百歩譲ってそこまでは良いけど、それをお酒初心者のドロシーの飲ませたの? コレットは大丈夫? 幸せと苦しみの狭間で死にそうになってない?
「……諸々の疑問は尽きないが、コレットは保護した方が良さそうだ」
メルはジェラールと並ぶほどの酒豪だし、自分の限界も弁えている。放っておいても大丈夫だろう。また、ドロシーもそんなメルと対等に渡り合えている辺り、アルコール強者である事は間違いない。こちらも手助けなど不要な状態だ。
だが、コレットは駄目だ。体感できる幸せの許容量、それにプラスしてアルコールの許容量のどちらもが、既に限界を超えてしまっている。冗談ではなく、本気で天に召してしまいそうなのだ。ここで俺が近付くと、幸せゲージが更にやばい事になってしまいそうだが…… 酒に溺れるよりは、幸せに溺れた方がまだマシだろう。よし、救助開始。