第307話 帰路
血を見る事なく無事に卒業式を終え、俺達は帰路へとつく。そう、学園を離れる際、クロメルとの別れを三度四度と惜しみ、枯渇した水分から無理矢理に捻って出した涙を飲み、本当に大丈夫なのかと再三悩みながらも、何とか学園を離れる事ができたのだ。ううっ、クロメルの事を頼んだぞ、ラミちゃん、グラハム…… 特にグラハム、間違っても間違いを犯すなよグラハム、なあおいグラハム?
―――とまあ、心の中で愚痴をこぶしつつも、彼が信頼に足る人物である事は理解している。それこそ、エドガーと並ぶくらいには信頼できるだろう。『呪人』になりかけた例の彼と比べれば、天と地の差ほども信頼感が違う。エルフの里でも言った事だが、いい加減、過度な親馬鹿も卒業しなくちゃいけない頃合いだしな。よし、改めてグラハムを信用しよう! それでもって、適度な親馬鹿を目指そう!
そんな風に志を新たにする俺は現在、帰りの馬車の中に居るところである。同伴するのは、メルとリオン――― そして、なぜかドロシー。 ……うん、何で君もうちの馬車に乗っているのかな? この馬車、様々なショートカットを経て、我が屋に直帰するルートしか通らないよ? まあ、今夜はパブで一泊して、実際に到着するのは明日な訳だけど。
義父さんとベルだって、自分達の悪魔的な馬車で帰って行ったよ? いやあ、まさか首のない馬が引く、あんなとんでもセンスな馬車がこの世に存在するとはな。流石の俺も、あそこまで前衛的なもんを作れないと、逆に感心しちゃったよ。あのセンスは真似できないよなぁ。ドロシーはどう思うよ? 新たな神となった君視点では、感性もまた違ってくるのかな? 鍛冶職人の端くれとして、ちょっとだけ気になるわ。
「……ケルヴィン、何か言いたいのであれば、直接口にしては如何でしょうか? 私は念話ができませんので、言葉にしなければ何も伝わりませんよ?」
「義父さんとベルが乗った北大陸の馬車さ、どう思うよ?」
「は?」
「あ、ごめん、今のなしで」
いかんいかん、思っていた事がついそのまま言葉に出てしまった。
「いやさ、何でドロシーがうちの馬車に乗っているのかなって」
「何だ、そんな今更な質問ですか」
なぜか呆れたように笑われる俺。ま、まあ確かに今更だけどさ、学園を出発した時は、クロメルと離れ離れになる悲しみに耐える為に、あんまり周りに気を遣う余裕がなかった訳で。
「やだなあ、ケルにい。結婚式の日まで、シーちゃん、うちでお泊りする事になったでしょ? 目的地が一緒だから、同じ馬車に乗るのは当然の事だよ~」
「え、そうなの?」
「……え、初耳なの?」
「お、おう、初耳だと思うんだが……」
リオンからそんな話が出れば、どんな状況になろうとも俺が忘れる筈がない。その点においては誰よりも自信がある。
「あ、あれっ? えっと、シーちゃん? まだ言ってなかったの? 普通に馬車に乗ってて、ケルにいも今の今まで何も言わなかったから、僕はてっきり……」
「……ごめんなさい、リオンさん。宿泊をお願いするのであれば、自分から言うのが筋。そう話していたのに、実はまだ伝えていなかったんです。ケルヴィンさん、黙って馬車に乗ってしまい、申し訳ありませんでした」
お、おお、ドロシーが頭を下げてくれた。俺に対して毎度心地よい殺気をプレゼントしてくれる彼女が、こういった態度を取るのはレアだな。何か得をした気分――― あれ? さっき呆れた感じで笑ってなかったっけ、君?
「本当であれば、学園に滞在している時にお伝えする予定だったのです。ただ、お話しするタイミングの見極めが、少しばかり難しかったものでして……」
「あ、ああー…… 確かに、俺の不手際で結構な騒ぎになっちゃったからな。でも、あの後は割と落ち着いた感じだったし、その時にでも話してくれれば、普通にオーケーを出してたぞ?」
「いえ、その…… 実は、お友達の家にお泊りするの、これが初めてで…… どうお願いすれば良いのかが分からなくて、結局最後まで逡巡してしまって……」
そう明かすドロシーの様子は、しどろもどろという言葉がこれ以上ないほどに当て嵌まっていた。
「そ、そうだったのか……」
「シーちゃん……」
俺を抹殺する事には全く躊躇していなかったのに、まさかそんな事で困り果てた顔を晒すなんてな。予想外と言うか、やっぱり感性が分からないと言うか…… いや、違うな。如何に優れた神になったとしても、神柱の状態から解き放たれて、ドロシーはまだ一年やそこらしか人として生きていない。彼女にとっては何をするにしても、何もかもが初めての経験なんだ。友達の家にお泊りする為、相手の両親にお願いする。そんな些細な事も、こんな反応をしてしまうくらいに難しい。ドロシーが歩んで来た経緯を考えれば、むしろそれが自然だよな。
「あと、お泊りの代償にケルヴィンから何を要求されるか、それを聞き出すのは恐ろしくて恐ろしくて……」
「うん、なるほどな――― う、うん? いや待て、ちょっと待て。君さ、俺の事を何だと思ってる?」
「この場で本心からの言葉を口にしても、大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃない。分かった、言わなくていいや」
などと思ったのも束の間、絶対リオンには聞かせたくない言葉を言うつもりだよ、この娘。これも照れ隠しの一種なのかもしれないが、やはり俺に対する当たりは強いままである。まあ、それでもウィンウィンな関係ではあるから、俺は構わないけどさ。
「取り合えず、お泊りは一向に構わないよ。食事についても心配しなくて良い。今更一人分増えたところで、厨房の忙しさは変わらないからな」
「あの、それは流石に申し訳ないですよ。せめて食費くらいは……」
「ハハッ、繰り返しになるけど、全然気にしなくて良いって。我が家にはメルが居るんだぞ? 仮にドロシーが大飯食らいだったとしても、増える食費は誤差でしかないんだ」
「モグング…… あ、あなた様、そんなに褒めないでください。照れてしまいます……」
出発前に買い込んだ大量の食料を口にしながら、メルが微かに頬を染める。うん、別に褒めてるつもりはないんだけどね?
「それにだ、お泊りに来ている妹の友達に、宿泊費や食費を要求するほど、俺は狭量じゃないよ。つか、友達の家にお泊りするってのは、そのくらい気軽くするもんなんだよ。基本的な常識を弁えてさえいれば、難しく考える事は何もないんだ」
「……ですか。であれば、お言葉に甘えさせて頂きます」
ペコリと、ドロシーが礼儀正しくお辞儀をしてくれた。そうそう、それくらいの気軽さで良いのだ。
「ドロシーが泊まる部屋は…… 客室を貸すよりも、リオンの部屋で一緒に寝る方が良いか?」
「うん! 僕、そっちの方が良い!」
「わ、私もそちらの方が……」
「了解、念話でエフィルにそう伝えておくよ。ああ、そうだ。ドロシー、屋敷内で俺の暗殺を試みる分には、自由にしてもらって構わないから、その辺もよろしくな」
「分かりました。何から何まで、ありがとうございま――― あの、今何と?」
「ん? いや、だから俺の暗殺はご自由にどうぞって感じで」
「……基本的な常識云々の話、どこに行きました?」
「屋敷内で俺を攻撃する分には、それ即ち常識的な行動だ。ドロシーがしなくても、日常的に俺の首を狙ってくる元暗殺者に、寝込みを狙って関節技を決めようとする元女神様が居るくらいだからな。もちろん、俺以外の者に危害を加えたり、屋敷自体を損壊させるような行為は駄目だぞ? オーケー?」
「もちろんオーケーだよね、シーちゃん? うーん、お泊り会がとっても楽しみ!」
「……急にお泊りするのが不安になってきました」
「「え、何で!?」」
こんなに歓迎しているのに、一体なぜこのタイミングで? うーむ、やはりドロシーの感性はよく分からないな。不思議なものだ。
コミックス版『黒の召喚士』16巻、本日発売します。
シリーズ累計240万部を突破したそうで、何かもう逆に怖い。