第297話 強化改造の儀
同日、同時刻。人里離れた山の奥深く、そこに隠されるように作られた洞窟の最深部にて、その儀式は行われようとしていた。
「うん、イザベルちゃんが洞窟の入口に結界を施してくれた事だし、これなら誰にも見つからないね。妾、何だかいけない事をしているみたいで、ドキドキしちゃうな~。ドッキドキ♪」
キャッ! などと可愛らしい悲鳴を上げつつも、その声の主の表情は無垢な笑顔のままであった。彼女の名はマリア・イリーガル、異次元の実力を誇る異界の吸血鬼であり、アンジェの式にて“ちょっと待った”をする相手役である。
「ああ、秘境という環境に加え、イザベルの防音結界があるのだ。どんなに声を出したとしても、誰の耳にも届くまい。ただの我、秘密基地を作っているようで、密かに興奮」
ククク…… などと威厳溢れる声を漏らしつつも、その声の主は満更でもない様子であった。彼の名はアダムス、主神が唯一恐れる偉大なる邪神であり、エフィルの式にて“ちょっと待った”をする相手役である。
「ええ、素敵なロケーションです。そして、改めて感謝を。私の勝手な我が儘だったのにも拘らず、ここまで準備してくださるとは…… 私、柄にもなくメルフィーナ様以外の事で、興奮を覚えています!」
両手両足を鎖で縛られ、完全に身動きができない状態になりつつも、その声の主は大変に盛り上がっているようであった。彼女の名はルキル、信仰心が螺子曲がってしまったメルの狂信者であり、そのメルの式にて“ちょっと待った”をする相手役である。
「あのさ、本当にやるのかい? ギャンブルが大好きで権能の力もそっちに転じてしまった僕だけど、流石にこの賭けは止めた方が良いと思うんだけど? 正直な話、ギャンブラーな僕でさえ、すっごい引いているんだけど? ……故に、良いギャンブルだ!」
三人から少し離れた位置の岩陰に隠れつつも、その声の主はギャンブル依存症を発症させていた。彼の名はパトリック・プルート、運命の神にして賭博の神である彼であるが、“ちょっと待った”の相手役などではない。 ……しかし、そんな彼もこの儀式においては外す事のできない、重要なメンバーだった。
そう、自称ただの我、自称アイドル系吸血鬼、自称メルフィーナ最大の理解者、自他共に認める遊び人といった、全く毛色が異なるこの四人がこんな辺鄙な場所に集ったのは、前述の通りとある儀式を行う為であった。その儀式とは――― ルキル強化改造の儀、である。
「ねえねえ、ルキルちゃんったら本当に良いの? 最悪の場合、この薄暗い洞窟の中で死んじゃう事になるよ? それも、とってもとっても痛~い思いをした後の非業の死。その場合でもある意味、ドラマチックで劇的ではあるけれど…… 妾は貴女みたいな可愛い子に、そんな悲惨な最期は辿ってほしくないなぁ?」
「フフフッ、そのような満面の笑みを浮かべなら上辺だけの言葉を並べられても、何の意味もありませんよ。ええ、全く心に響きません。死の恐怖よりも重要なのは、“ちょっと待った”までの短期間の間に、如何にして私の身体を強化できるか、です。さあ、遠慮なんてもったいない事はせず、私が泣こうか叫ぼうが一切止めるような事もせず、とことんやってください!」
恐らくはどんな言葉を並べても、嬉々としたルキルの表情を崩す事はできないだろう。マリア達もその事を理解したのか、それ以上の確認をする事は止めたようだ。
「じゃ、実行する前に手順のおさらいをしておくね? ルキルちゃん強化改造の儀として、まず最初に行う施術――― それはズバリ、マリアちゃんの血の輸血♪」
そう言った直後、マリアは尻尾を振るって自らの片腕を斬り落とした。当然、切断された腕の断面からは、大量の血がドバドバと溢れ出す。しかし、ビビるパトリックを除くこの場に居る者達は、そんな凶行を一切気にしていない。
「妾の固有スキル『賢者の血』は、妾の身体に流れる血液そのもの。この血が一滴でもあれば、一流の魔法使いが何世代かけても使い切る事ができないくらいの、それはもう超莫大な魔力を得る事ができちゃうの。もちろん効果はそれだけじゃないよ? うま~く媒体として扱う事ができれば、不老不死を再現したり、法則や摂理を捻じ曲げて不可能を可能にしたり――― 要は使用者次第でどうとでも使う事ができる、それなりに凄いものなんだ~」
まあ扱い方を間違えれば、死ぬよりも酷い事になっちゃうけど♪ と、そんな物騒な事を最後にこっそりと呟くマリア。
「ただの我の見立てでは、マリアの血は魔法や実験の媒体として扱うだけでも、この世のパワーバランスを崩すだけの力がある。その身に直接宿すとなれば、更なる向上が望めるだろう。だが、デメリットも相応だ。マリアの血に適合する事ができなければ―――」
「―――先ほどお伺いした通り、非業の死を遂げる、でしたね? フ、フフフっ…… 改めて、本当に素晴らしい! その程度のデメリットを経ただけで、私は更なる高みへ、メルフィーナ様に近付く事ができるのですねッ!?」
感極まり、遂には涙を流し始めるルキル。この儀式がかつてトライセン城にて秘密裏にトリスタンが行った、元魔法騎士団将軍クライヴへの拷問であったとしても、今の彼女なら喜んで受け入れてしまいそうだ。そんな歪んだ信頼を置いてしまうほどに、ルキルは黒い信仰心を燃やしていた。
「それだけでも途轍もない運否天賦な訳だけど、君ってば更に無茶をしちゃうんだよね。第二の施術、僕の権能『手遊』を使って、処置効果の最大化を図る! って、発想が無茶も無茶だよね? 確かに成功の可能性はゼロじゃないかもだけどさ、土壇場で一度通ったからって、普通二度も僕の権能に頼ろうとする? ねえねえ、僕よりも君の方が賭博の神として相応しいんじゃないかな? 正直、正気の沙汰じゃないよ?」
「不思議な事を仰いますね、パトリック? 確率さえ通してしまえば、夢を実現する事ができる夢のような力がそこにあるのですよ? これを今使わずして、一体いつ使うと言うのです?」
「いや、だから前にも一度使って、死ぬ寸前まで衰弱していたでしょ…… ギャンブラーとしては背中を押すけど、これでも仲間としては一応心配しているんだよ?」
「パトリック、その辺にしておけ。彼の者は貴様が何を言ったところで、心変わりなどせん。それは貴様が最も分かっているのだろう?」
「え、ええ、それは、まあ……」
自身が裏切った元上司が目の前で居るせいか、パトリックはどことなく歯切れが悪い。
「フッ、そう心配するな。第一の施術であるマリアの血、第二の施術であるパトリックの権能、それらの結果が如何なるものであったとしても、ただの我がより良い方向へと力を導いてやる。それこそが、ただの我がここに居る存在理由よ」
「ふーん? 話には聞いていたけど、アダムスの権能の力ってやつ? 確か『薫陶』だっけ? ねえねえ、それって一体どういう能力なの? 邪神の力なんだし、やっぱり凄い? 凄いの? 妾、気にな~る!」
「何、権能などと、そんな大したものではない。ただの我が明確に格下と認識している者を対象として、才能を正しき方へ、そして十全に開花させる程度の力だ。十権能の者達はこれにより開花した力を権能と呼び、ただの我から授かった特別なものと認識しているようだが、実際のところは己の力のあるべき姿に過ぎん。此度は施術によって変容するであろうルキルの力を、これで最上の形に取り纏める」
「えっ、それって私が死ぬ最悪の可能性を消してません? リスクあっての賭け、最悪と隣り合わせだからこその成長ですよ?」
「ルキル、やっぱり君の方が賭博の神に相応しいよ……」
ともあれ、ルキル強化改造の儀はこうして行われるのであった。