第280話 病院ではお静かに
北大陸の頂点に立つ超大国、グレルバレルカ帝国。魔王グスタフが支配し多種多様な悪魔が住まうこの国は、意外にも医療技術が発達していた。その事を語るには悪魔四天王の一人、ベガルゼルドの活躍を外す訳にはいかないのだが、かなり長い話になってしまう為、今回は省く事とする。兎も角、彼の国は医療が発達しているのだ。その為、魔法による傷の治療が困難な状態にあるルキルの搬送先に選ばれ、現在もこの場所では彼女の静養が続いているのだが―――
「それでねー、その時に僕はこう言ってやったんだ。つまらないイカサマなんてするんじゃない。完全な運否天賦に任せるからこそ、ギャンブルは燃えるんだろ! ってね。あの時の相手の顔は今も忘れられないよ。イカサマがバレたショックと僕の情熱、その両方を右ストレートで受けた訳だから、まあ当然と言えば当然なんだけどねー」
「………」
「自分で言うのも何だけど、その時の僕の台詞は迫真の出来でさ。あ、いや、別に演技って訳じゃなかったんだけど、実際口にしてから、今の僕、凄い決まってたんじゃない!? って自分で思っちゃうほどだったんだ。いやはや、あそこまで決まるんだったら、映像として残しておくべきだったよ。うん、それだけが心残り。で、そんな僕に感化されちゃったのか、相手の神様も今後はイカサマなんて絶対しないって、そう約束してくれてねー。いやー、影響力のある神様は大変だよー」
「………」
「けど、ギャンブルの女神ってのは本当に気紛れなもので、その後の勝負はまさかの全戦全敗! あの時の見事な負けっぷりったらなかったなー。あんなに素晴らしい格言を教えてあげたって言うのに、相手も全然容赦してくれなくてさー。身ぐるみを剥がすわ剥すわ、最終的には下着も残らなくて…… 今思い出してみても、アレは絶対イカサマしていたよ! じゃないとあり得ないもん、あんな負け方!」
十権能の離反者、パトリック・プルートの饒舌っぷりが止まらない。ルキルが何も反応しないのを良い事に、思うがまま好き勝手に言葉を紡ぎ続けている。一応、見舞いという形でこの病室を訪れた筈なのだが、リンゴの皮を剥きつつ、延々と思い出話に独り花を咲かせている。
「……そんな毛ほども役に立たない話、私の脳に刻み込まないでくれませんか?」
それまで一言も発さず、黙って横になっていたルキルが、この日初めて口を開いた。また、目に見えるレベルで額に怒りマークを貼り付け、さっさと帰れという分かりやすいメッセージを、鋭い視線と共にパトリックへと送ってもいた。
「おおっ、起きていたんだね、ルキル! 目は開いてるのに、うんともすんとも言わないから、器用に寝ているのかと思ったよ!」
「今の時点で色々と指摘してやりたいところですが、それはそれで、何で寝ている私に話し掛けていたんですか?」
「いや、子守歌代わりに、僕の秘蔵話を聞かせてあげようと思って。愉快な気持ちで寝る事ができただろう?」
「……ええ、とっても。自分でも驚くくらいに不愉快な気持ちで一杯ですよ」
その瞬間、ルキルの眼光の鋭さがレベルアップした。
「フフッ、それだけ憎まれ口を叩けるって事は、結構回復してきたって証拠だね。良かった良かった、一時期はどうなる事かと思ったよ。この施設にやって来たばかりの時なんて、本当に一言も喋れない状態だった訳だし。何度も言うけどさ、君、無茶し過ぎだよ?」
「尤もな助言ですが、全裸になるまでギャンブルに興じているような者には、正直言われたくない台詞ですね」
「うんうん、その調子その調子。らしくなってきたじゃないか。あ、リンゴ食べる? 木の葉の形に切ってみたんだけど」
そう言ってパトリックが、妙に凝った形にカットされたリンゴを差し出す。
「……器用な切り方をしますね。普通こういう時は、うさぎの形が精々だと思うのですが」
「な~に、見た目よりも簡単な切り方だよ。あ、もしかしてうさぎさんの方が良かった? ルキルって意外と可愛いもの好き?」
「リンゴごと焼き焦がしますよ?」
そんな口論の後、リンゴを受け取ったルキルはそれをゆっくりと口にする。どうやらパトリックもリンゴも、焼きリンゴになる事は避けられたようだ。
「……ご馳走様です。ところで、マリアさん達は?」
「いつも通り世界中を放浪中――― と言いたいところだけど、今日は例の話し合いの日でね。出席できない君に代わって、あの二人が行っているところさ」
「そう、ですか…… 私自身が出られないのは非常に残念ですが、この有様では仕方ありませんね。マリアさんにお任せしましょう」
「おっと、意外と素直な反応だ。不安じゃないの? あのマリアちゃんが代わりに行ったんだよ? この世界じゃおしとやかとか何とか言ってたけど、絶対ひと悶着起こしてるって。愉快な展開になってるって。賭けても良い」
「本当にギャンブルがお好きですね…… ですが、私の賭けはもう済んでいます。私とメルフィーナ様の暗雲が立ち込め、その中で足掻きに足掻く素晴らしき未来は、既にマリアさんに託しているんです。彼女が何を起こそうと構いませんよ。彼女が引き起こす全ての騒動を、私が私の望む未来へと繋げてみせますので」
「はー、言うねぇ。じゃ、まずは健康状態を何とかしないとね。あのベガルゼルドってお医者さんが言うには、リハビリ含めて全快まで半年はかかるんでしょ? まあ、残念ながらそれでも、片腕は戻らないっぽいけどさ」
パトリックの視線がルキルの無き片腕へと移る。マリアを召喚した後、ルキルの移植した片腕はミイラのように干からびていた。この医療施設に運ばれた後、回復の見込みなしと判断されたその片腕は、根本から切断――― 今の隻腕状態に至るという訳だ。異界の神を引き当てた代償としては、命が取られないだけまだマシとも考えられるが、今後の活動の事を思えば、ルキルにとっては実に手痛い出費である。
「白翼の地の研究施設が残っていれば、また私に適合可能な腕を作る事もできたのでしょうが、お伺いした状況から察するに、それは無理そうですね」
「ああ、どこかの誰かさんが盛大に浮遊大陸を壊してくれたからね。砕けた大陸が所々海に浮かんではいるけど、アレじゃあ地下施設は全滅しちゃってるかな。それよりも義手を探した方が早いんじゃない? 何でもレムを倒したって女勇者ちゃん、義手だったって話だよ?」
「ああ、トラージの義手ですか。貴方にしては悪くない案ですね。ただ、それをすると後が面倒なんですよね……」
「え、何が?」
「いえ、そのレベルの義手を要求するとなると、彼の国の姫王が必ず介入してくる事になるので、可能な限りそれは避けたいな、と」
「えっと……? まず、さ? 君が関わりを避けようとする、その姫王って何者なのさ?」
「………」
ルキルはそれ以上語ろうとしなかったが、その表情は非常に面倒臭そうにしていた。
「お邪魔~♪ ワールドワイドな歌姫系吸血姫、マリアちゃんがお見舞いに来たよ~♪」
そんな微妙な空気に包まれる中、ご機嫌な声色の台詞と共に病室の扉が開けられる。それと同時に、何やら香ばしい匂いも漂い始めていた。
「マリアちゃん!? え、君ってば今日、東大陸に行っているんじゃ――― って、この良い匂いは何?」
「何って、その東大陸に行って来たお土産の匂い。本当はお酒も一緒に持って来たかったんだけど、受付の巨人さんに怒られて、そのまま没収されちゃった。てへっ。あ、でも焼き鳥は死守したから、美味しく食べてね~♪ はいっ!」
「あっ、これはこれはご丁寧にどうも…… わっと、まだ温かい?」
「美味しい状態を維持する為に、急いでバシュンと戻って来たからね。あ、それよりも重大発表重大発表!」
「マリアさん、一応ここは病室なので、もう少し声のトーンを落として頂ければ…… それで、向こうでは何を話されたんです?」
「うん、ケルヴィンとメルフィーナが結婚するから、妾達にも出席してほしいって!」
「……は?」
その瞬間、病室の空気が凍死した。