第245話 ルキルの研究
激戦に塗れた白翼の地において、比較的被害の少ない大陸の最東端。そこには天使達が葬儀を行う場として使う、小さな儀式場が置かれている。併設された天使達の墓標を含め、辺りは厳かな雰囲気で包まれていた。
「やあ、ルキル。無事に到着したみたいで、ホッとしたよ。誰かに追われていないよね?」
「……さて、どうでしょうか。戦いたがり達の目を誤魔化す事はできたと思いますが、あの中にはなかなか狡猾な者も居ましたので」
たった今儀式場に到着したルキルを、何者かが笑顔で出迎える。ロングヘアと口髭を丁寧に整えた壮年の男は、この神聖な大陸には似つかわしくない、何とも派手な格好をしていた。婆娑れていると言うべきか、歌舞いていると言うべきか、色合いといい柄といい、兎に角目立つのだ。
「おいおい、それ、ホントに大丈夫なの? 最初に言っておくけど、僕に戦闘の心得なんて一切ないからね。期待するだけ無駄だよ、うん、ホントに無駄」
「ええ、そうですね。私も最初から貴方にそんな事なんて期待していませんよ。期待しているのは、全く別の事柄です。 ……パトリック、今日は幸運の流れに乗っていますか?」
「わっ、圧が凄い」
ルキルから鋭い視線を浴びさられているこの男の名は、パトリック・プルート。十権能最後の一人であり、『運命の神』の名を冠する者――― なのだが、神々しい雰囲気は一切なく、どちらかと言えば俗世に塗れた様相を呈している。
「うーん、どうだろうねぇ。こればっかりは運命の女神の気分次第なところがあるから…… うん、出たとこ勝負になるかな!」
「ハァ、運命を司る神は貴方自身でしょうに…… まあそんな貴方だからこそ、十権能で唯一手を組める相手だと、そう判断した訳ですが」
「フフッ、嬉しい事を言ってくれるねぇ。まっ、確かに僕のような考えをする奴は、あの中には居なかったかな? でもでも、それにしたって驚いたよ? あの時、君はエルドをはじめとした十権能を義体に降臨させ、意識を覚醒させた。けど、それも早くに僕だけを先に起こして、あんな無茶な提案をしたんだよね。異界の神を降臨させる、その手伝いをしろってさ。思わず吹いちゃったよ、僕!」
その時の光景を思い起こしているのか、腹を抱えて笑い始めるパトリック。そんな彼の姿をルキルは冷たい目で、それはもう冷たい目で見ていた。
「……そろそろ、良いですか?」
「あ、うん、なんかごめんね? できればそのクールな目、止めてもらっても? 綺麗な女性に見詰められるのは良いけど、それは神を見るような目じゃないよね?」
「ええ、ゴミを見るつもりで見下していますので」
「うわ、酷い」
パトリックがわざとらしく肩をすくめてみせる。そんな彼の仕草はルキルを更に怒らせる行為であるのだが、彼はそれを理解した上でやっている様子だ。それを知ってなのか、ルキルもそれ以上その事について指摘するのを止める。
「……その無茶な提案を、貴方は即決する形で受けました。今更文句はない筈ですが?」
「うん、文句はないよ。だってさ、ワクワクするじゃない。アダムスをも超える異界の神を召喚して、更には使役するなんてさ! 僕が求めるは未知、そして何よりもエンタメ性! 君の提案は僕の食指を動かし、凄まじいまでの衝撃と感動を与えてくれた! これに応えないようじゃ、『運命の神』――― ううん、『賭博の神』の名が廃るかな!」
パトリックは立ち上がり、懐からジャラジャラと何かを取り出す。手の中で遊ばせる複数のそれらは、色とりどりのダイスであった。
「ですか。それを聞いて少し安心しました。やはり貴方は、文献通りの神だったようですね」
「今は義体の身だけどね! ああ、そうだ。この義体もアレでしょ? 君の長年の研究の成果なんでしょ? いやはや、まさか天使が住まうこの浮遊大陸で、長年にわたってあんな研究をしちゃう奴が居るなんて、一体誰が思うよ? 少なくとも、僕はちょっと引いちゃうくらいだったかな!」
「……元々は地上の者の技術ですよ。私はそれをすくい上げ、手を加えたに過ぎません」
「それでも普通やろうと思う? 秘密裏に天使のクローンを作って、それらを義体の試作品、その素体として使っていたなんてさ」
「力ある長達の数には限りがありましたし、何事にも練習は必要でしょう? 大いなる目的の為には、失敗は許されません」
「わお、狂気的だねぇ。そして良い! だからこそ面白い! ああ、そうそう! クローンと言えば、君は天使の他にも巫女の―――」
「―――パトリック、今は話に興じている場合ではない筈ですが?」
視線に続き、酷く冷たい声がパトリックに突き刺さる。
「っとと、うん、そうだね。そうだったそうだった! いやー、怖いなぁ……」
「………」
「コ、コホン! さて、長話も済んだ事だし、そろそろ準備をしようか。各地で巻き起こっているこの戦い、場所によっては勝負が決したところも出始めている。勘の良い勝者がここへやって来て、邪魔されちゃうのが一番いけない」
「準備も何も、後はもう術式を展開するだけですよ。早く権能を顕現させてください」
「あ、はい」
有無を言わさぬ雰囲気に押され、パトリックは素直に応じる。流石にこれ以上のおふざけは許されないなぁと、そう察したらしい。
「えー、マイクテス、マイクテス…… さあさあ皆々様、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 今宵の僕は一味違う! まだ夜じゃないけど、権能顕現!」
パトリックはその宣言と共に、手に持っていたダイスを真上へと振るう。宙に放たれたダイス達は次々に大きくなり、最終的には人の顔ほどのサイズにまで到達。更には華やかな色合いの紙吹雪が舞い上がり、それらが堕天使の翼を形成。そんな紙吹雪の翼の中で泳ぎ回るように、ダイスはクルクルと流動し続けている。
「はいは~い、無事に顕現完了したよっと。どう、男前度が上がったでしょ?」
パトリック自身は王冠型の天使の輪を頭上に浮かべており、元も派手だが、それ以上にド派手な姿へと変化していた。現状況を考えると、少なくとも隠密には適していないように思える。
「……視界情報のカロリーが高くて、あまり目には入れたくないですね」
「酷い言い草だね、ホントに君は」
「自分の気持ちに正直なだけです。では、こちらもやりましょうか」
今日よりも前に下準備を終えていたのだろう。儀式場の床にはびっしりと文字が刻まれており、それらが巨大な魔法陣を形成していた。ルキルは魔法陣の中央へと歩みを進め、その最中に取り出したナイフで、自らの右手を浅く切り付ける。
「私の右腕には、クローン化したデラミスの巫女のそれが移植されています。これにより、私は『巫女の秘術』が限定的に使用できるようになりました。これより私が行うのは勇者召喚ならぬ、神の召喚です」
彼女の指先に血が滴り、魔法陣へと落ちていく。
「魔王の大元である邪神アダムスが復活した、この絶好のタイミング。世界のシステムを把握しているこの私が、限定的とは言え巫女の力を行使すれば――― 机上の空論も、真となり得ます」
「良いねぇ、発想が斜め上だねぇ! でもさ、限定的な力しかないのに、そんな大層な事がホントにできるのかな? 成功率、現実的じゃないと思うなぁ」
「自分の仕事、分かった上でわざわざ聞いていますよね? 僅かにでも可能性が生まれれば、それで良いのです。天文学的な確率であろうと、無理矢理幸運を引っ張ってきてください。貴方の権能『手遊』で……!」
「ハッハッハ、無理を仰る! だけど、だからこそ面白―――」
―――ダァァァン!
パトリックが言いかけたその言葉は、直後に鳴り響いた銃声に掻き消された。




