第82話 暗部
―――パーズの街・路地裏
街の路地裏にて壁に寄り掛かる男がいた。片手には酒瓶を持っており、服装もパーズでは一般的なものを着用していることから、酒に興じている酔っ払いのように見える。
だが、ただの酔っ払いにしては鋭い目は、悟られぬよう偽装はしているが、ある一点に向けられていた。視線の先、そこはケルヴィンの屋敷であった。男は正門の門番が屋敷に入っていくのを確認する。
(ここから監視して得る情報には限りがある。俺の鑑定眼もこの距離からでは門番の能力さえ見えない。侵入するならば今が好機か……)
男はハンドサインで部下達に指示を送る。隠密を使用しつつ屋敷に潜入せよ、と。
(この屋敷に住むという、最近になって台頭してきた冒険者、先のクリストフ様捕縛の際にデラミスの勇者と共闘関係にあったと聞く。クリストフ様が敗北した要因の大半は勇者共の仕業だろうが、今後十分に我らトライセンの大きな障害に成りうる…… 何よりも、トライセンの英雄であるクリストフ様達に盗賊団の頭などという無実の罪を着せるなど、言語道断! 今ここで寝首を掻き、可能であれば勇者の情報を吐かせる。それが我ら、暗部の任務。真っ当に戦えば勝ち目はなかろうが、この刻において闇を戦場とする暗部に隙はない!)
一般人に擬装し、屋敷を監視していたこの集団は軍国トライセンの密偵であった。
(王子、日陰者の我らにこのような機会を与えて下さり、感謝致します!)
かつての東大陸大戦の末、末期まで生き残り争いあった4国は停戦協定を結んだ。それは好戦的かつ最も他国への侵攻傾向が強かった軍国トライセンも例外ではない。やがて時は流れ、大戦時代に要人の暗殺、他国の情報収集、工作活動など猛威を奮わせた暗部もこの平和な時代では大々的に活動できなくなってしまう。それに伴いトライセン軍内において、暗部の規模や立場も縮小の一途を辿っていたのだ。そんな時に第1王子にして竜騎兵団将軍のアズグラッドからかけられた一声は、暗部の隊長職を担う彼にとって功績を残す為の一筋の光だった。
(必ずや任務を遂行し、暗部部隊の実力と重要性を再び示しましょうぞ!)
だが、暗殺の命令を出したアズグラッドを含め、彼らは知らなかった。彼らが乗り込まんとするこの屋敷が、人外の力を有する者達の棲家だということに。
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―――ケルヴィン邸・庭園
庭園の噴水前に、一人の少女が佇む。
「……来た」
目をつむり、配下ネットワークのマップ上で敵の動きに注意を払っていたリオンが呟く。
(正門から3人、左の塀から4人、右から3人…… 残りの4人はまだ様子見かな? んー、あんまりゆっくりしてる余裕はないかなー。逃げられちゃったら面倒だもんね)
リオンは先ほど使えるようになったばかりの念話を使う。相手はもちろん相棒であるアレックスだ。
『アレックス、僕たち実戦の共同戦線は初めてだけど、今回はスピード勝負だよ。バシッと決めてケルにいに格好良いところを見せないと!』
『ワォン!』
『うん、良い返事!』
アレックスは気合十分。僕自身の調子もすこぶる良い。ケルにい達も屋敷から見ていてくれている。まさに打って付けのコンディション。
リオンはトントンとその場で軽く跳躍する。生前と違い、転生したこの体はとても軽い。病に侵されておらず、『軽業』のスキルを得たことでテレビで見るようなアクロバティックな動きもできるようになった。以前のリオンからは絶対に考えられないことだ。
(ここは本当に夢の世界みたい。エフィルねえは優しくて料理が美味しいし、ケルにいはどこか懐かしくてホッとする。セラねえ達も一緒にいてとっても楽しい人達…… ん、悪魔や天使達? ……まあいいや)
モンスターと違い、人を殺めることにはもちろん抵抗がある。だが、その抵抗と皆を天秤にかけた時、傾くのは圧倒的に皆の方。
幸い、胆力スキルがリオンに落ち着きをもたらしてくれる。覚悟も疾うに決めている。
リオンはまだ魔法を使えない。したがって、今回は接近戦のみで戦わなければならない。リオンはケルヴィンから貰った剣を抜き、前を見据える。
『アレックス、まずは正門。いくよ』
だが、そんなことは些細な問題。リオンにとって困るのは、この暖かい場所を壊されること。
何度目かの跳躍で足が地に着いた瞬間、リオンは地を蹴り前へと駆け出した。自分の大切な場所を護る為に。
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―――ケルヴィン邸・バルコニー
「想像以上だな」
「ええ。地力の剣捌きはまだまだだけど、S級剣術を持つだけの力はあるわ。これはジェラールがしっかり指導すれば化けるわね。アレックスとの連携も無理がなくて見事なものよ」
リオンが正門に駆け出した瞬間、何者かが塀を乗り越え敷地内へと侵入しようとする。その数は3。稚拙だが全員隠密スキルを使用しているようで、気配が少々読み辛い。だが、予め位置情報を渡しているリオンとアレックスにとっては取るに足らないことだ。敷地に着地する前に一人はリオンに斬り伏せられ、一人はアレックスに喉を噛み千切られてしまう。これでは悲鳴を上げることもできない。
「これじゃあ固有スキルのお披露目はなさそうだな」
まあ、この程度の雑魚では苦戦のしようもないのだが。例え寝込みを襲われたとしても負けようがないし。
「四方から攻めては来てるけど、あの速度だと屋敷まで一人も到達できそうにないわね……」
「ああ、もって後30秒ってとこだな」
「はぁ、出番なしかー」
セラがため息を漏らす。
「ご主人様……」
「おっと、エフィル。起きちゃったか?」
ネグリジェからメイド服に着替えたエフィルがバルコニーへと顔を出す。しっかりと弓も持ってきているあたりが流石である。
「これだけ音が響けば普通は気付きます。メルフィーナ様は例外ですが……」
無音風壁の効果があるのは塀の外側だからな。屋敷の中には普通に音が伝わる。メルフィーナは…… ええと、疲れてるんだよ! きっと!
「今の状況をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「実はな―――」
エフィルに状況の説明をする。
「では、まだ街中に潜んでいる者がいるのですね…… 位置はマップに表示されていますし、私が狙撃しますか?」
「いや、弓は控えておけ。エフィルの腕なら当たるだろうが、一般人もいる街中だからな」
リーダー格の男に尋問もしたいしな。
「っと、話している間にリオンの方は片付いたか。クロト、死体を吸収しておいてくれ。もし息のある者がいれば最低限の治療をしてから捕縛だ。後でギルドに引き渡す」
思慮深いリオンのことだ。一人くらいは生き残らせているかもしれない。
「んじゃ、ちょっくら外の奴ら捕まえて来るわ。エフィルはリオンを迎えに行ってくれ」
風呂にも入りたいだろうし。
「お一人で行かれるのですか? ……セラさん」
「了解。私も行くわ」
「いや、一人でも大丈夫だ―――」
「「駄目よ(です)!」」
二人が同時に言う。まったく、心配性だなー。
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―――パーズの街・路地裏
(……遅い)
部下達が屋敷に侵入して暫く経つ。それだと言うのに、連絡が一向に来ないのだ。それどころか、屋敷からは何も聞こえてこない。慣れているはずの静寂が、今は不気味に思えてくる。
(まさか、失敗したのか?)
事前の作戦では既定時刻になっても実行部隊から連絡がなかった場合、即時に撤退すると決めていた。時刻は間もなくその時刻を指そうとしている。
(くそ、背に腹は代えられん!)
控えていた部下達に撤収のサインを送る。
(……? 何だ、誰からも反応がない?)
何度指示を送っても、返って来るのは乾いた風のみ。
(どうなっている? まるで、生き残っているのが俺だけのような―――!?)
有り得ない状況に背筋から冷たい汗が流れ出す。まさか、本当に……? 思考が堂々巡りし、最早彼は正常な判断ができなくなっていた。あるのは困惑、恐怖、混乱―――
(まさかクリストフ様を倒したのは、デラミスの勇者などではなく……)
だが、そんな状況も長くは続かなかった。 ―――更なる脅威がやってきたのだから。
「ああ、逃げずにまだここにいたんだな。なかなか仲間思いじゃないか。オットー君」




