第81話 不審な影
―――ケルヴィンの私室
「ん、くは~……」
まだ日も明けぬ早朝、珍しくもこんな時間に俺は目を覚ました。脳が覚醒する前に、慣れ親しんだ安心する香りが鼻をくすぐり、何やら柔らかな温もりを感じる。
「すう…… すう……」
エフィルは俺の胸でまだ眠っていた。普段はエフィルに起こしてもらうまで、俺はぐっすり夢の中だからな。寝顔を見たのは久しぶりかもしれない。相変わらず寝顔も天使である。
一頻りエフィルの寝顔と温もりを楽しんだ後、起こさぬよう静かにエフィルを降ろし、ベッドを出ようとする、が―――
むにっ。
何かが背中に触れる。感触としては物凄く柔らかい。そして不意に俺の首に回される白い腕。
「ふへへ、もうお腹いっぱいですってば~…… でも、おかわり~……」
多少、いや、大いに口調が違うが、この声はメルフィーナだ。様子を見るに寝ぼけているようだ。おい神様、よだれが垂れてますよ。そして俺の寝間着で拭くでない。
メルフィーナがなぜ俺のベッドに? ふと疑問に思うが、その答えは直ぐに思い出すことができた。昨日のセラとの勝負『今晩の料理はどっち!』に勝利したメルフィーナが、俺のベッドに潜り込んで来たんだったか。流石、幸運値900オーバーである。
エフィルも「ご主人様が良ければ」の一言で済ませてしまうし、流されるように今に至ると言う訳だ。断っておくが、やましいことは今日は何もしていない。これはメルフィーナが寝ぼけて胸を押し付けているだけだ。やましいことはしていないのである。手のひらサイズの胸が気持ち良いだけなのだ。
例の一件から、首に手を回されることに若干のトラウマを覚えてしまった俺ではあるが、今回の相手はメルフィーナだ。何も恐れることはない。ゆっくりと首から腕をはがしていく。
「ふう、意外と寝相が悪いんだな……」
漸くメルフィーナから解放される。腕から抜け出そうとしていた最中も、足を絡めるなど執拗に密着しようとしてきたのだ。夢の中でも実に積極的だ。
「これが、伝説の…… 寿司……!」
「お前、本当にどんな夢見てんだよ」
寝ながらも俺にツッコミを入れさせるとは大した奴だ。しかし夢の中でも食い物のことか…… 意外なことだが、パーティの中で最もよく食べるのがメルフィーナだ。軽くジェラールの2倍は食ってる気がする。身長160センチ程のこの小さな体のどこにあれだけの料理が入るのか、不思議なものだ。
「すう…… んっ……」
「んん…… あなた、さま……」
二人の髪を優しく撫でてやる。こうして改めて顔を眺めると、全くもって現実離れした美少女達だ。
「前世ではこんなこと、まず考えられなかったよな…… 記憶ないけど」
俺は前世の世界についての知識はあるが、自分のことは全く覚えていない。趣味嗜好くらいであれば推測することはできるが、家族や友人など俺に順ずる情報はさっぱりなのだ。まあ、それについて俺は特に思うところはない。あくまでそれは前世の記憶だからな、なんと言うか、他人の記憶があるって感じか。
あくまで俺の居場所はこの世界だ。この世界に転生させてくれたメルフィーナ、俺を支え続けてくれたエフィル、仲間達と共に生きていく。
「その為にも、俺達を害する奴等は駆除しないとな」
月の光が差す窓の外を見つめながら、こんな時間に俺が起きてしまった原因について思考を巡らせる。
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―――ケルヴィン邸・バルコニー
俺が向かった先は屋敷2階のバルコニー。どうやら既に先客が来ているようだ。
「あら、遅かったわね」
「ケルにい、おはよう! って時間ではまだないかな?」
セラ、クロト、リオン、そしてその足元にアレックスが控えている。
「おはよう。悪い、さっき起きたばかりでさ」
「ふーん、何していたんだかねー」
セラが頬を膨らませて視線を逸らす。何だ、少し機嫌悪そうだな?
「セラ、どうした?」
「べっつにー」
「そうか?」
まあいい。今はそれどころではない。
「早速本題なんだが、気付いたか?」
「ええ。屋敷の周囲に不審な動きをする奴等がいるわね。数は――― 全部で14人かしら」
そう、今この屋敷は何者かに周囲を囲まれている。こんな深夜に起きている者はそうはいないし、いたとしても屋敷を監視するなんて動きは普通しないだろう。俺がこんな時間に目を覚ましたのも、気配察知スキルにこいつらが引っ掛かった為だ。今は塀の外側から様子を窺っているようだが、そろそろ動き出すと思われる。
「僕とアレックスはセラねえに教えて貰ったんだ。恥ずかしながら、全然気がつかなかったよ……」
「クゥーン……」
アレックスはリオンの部屋に大きめのクッションを置いて、そこでいつも就寝している。おそらくセラによって一緒に起こされたのだろう。
「エフィルとメルフィーナは寝かせてきた。二人とも、だいぶ疲れてるようだったし」
「私だって疲れてるわよー」とセラが不満気だが、エフィルは兎も角、メルフィーナは寝起きが悪いのだ。と言うか、起こそうとしてもなかなか目覚めない。本人は真面目な神様と自称するが、メルフィーナは人から見えないところが程々にだらしない気がする。
「ジェラールは?」
「エリィとリュカの部屋で護衛しているわ」
「そうか、ジェラールが護るなら安心かな」
まあ、そこまで行かせる気はないけど。
一応、ゴーレムを3体部屋の周囲に回しておく。
「ここから見える範囲だと、そこまで手練れって訳ではないな。レベル20が精々だ。 ……っと、一人だけレベル26だな。距離も一番遠いし、こいつが親玉か?」
「ここから見えるの?」
「ああ、エフィルから『千里眼』を借りてきたからな」
左手の悪食の篭手を軽く上げてみせる。この程度の距離、エフィルクラスの千里眼があれば余裕だ。顔を覆面で隠している辺りが余計に怪しい。
「そうだな…… リオン、アレックスと共にいけるか?」
「えっ? 僕?」
リオンが意外そうな顔をする。まあ、実戦も数える程しかしていないからな。今回はモンスターではなく人間相手、戸惑うのも仕方ないことだ。だが、それもこの世界ではいつか慣れねばならないこと。幸いスキルポイントは熟考の末に振ってはいるのだ。動じない精神力をもたらす胆力スキル、戦闘用スキル等々。場所もホームグラウンドである俺の屋敷敷地内。肩慣らしの相手としては今がちょうど良い。
「ああ、屋敷の塀より内側には無音風壁が張ってある。正門のゴーレム達は下がらせるから、塀を越えた奴等から始末してほしい。敷地の中ならどんなに音を出しても街には洩れないからな。いざとなったら俺達も支援できるんだが、どうかな?」
リオンとアレックスが目を合わせる。その時間は数秒ほどであったが、アレックスの気持ちを理解したのか、リオンは笑みをこぼす。
「うん。僕、やってみるよ!」
リオンが力強く頷く。アレックスも戦闘体勢になったのか、紅い眼が鋭くなった。
「よし、それでこそ俺の妹! クロト、分身体を頼む」
クロトが『意思疎通』兼『保管』係の極小型分身体を出し、リオンの肩に飛び乗る。これでリオンにもネットワークが繋がった。アレックスとの連携もより向上するだろう。リオンにこのクロトの働きについて説明してやる。
『ああ、あー…… これでいい?』
『問題ない。気配察知と千里眼で得た情報をマップ上にアップするから役立ててくれ』
『わっ! これ、凄く便利だね! ありがとう、ケルにい!』
さあ、我が家の勇者様の初陣だ。