第80話 譲れないもの
A級青魔法【絶氷城壁】。屈強なモンスターの攻撃ですら、傷ひとつ付けることない鉄壁の護り。更に、金剛氷薔薇と同様に触れた者にダメージを与える付属効果があり、生半可な攻撃では自滅の道を辿るのみ。護りを基本戦法とするメルフィーナにとって、攻めにも守りにも転じる万能の魔法。
―――その氷の護りが今、悪魔の一撃により粉砕される。
バキバキバキ!
セラの魔人闘諍により侵食された右腕が、絶氷城壁に叩き付けられる。一瞬にして壁全面に広がる深いひび。突き刺さった右腕を中心に、絶氷城壁が陥没し、氷片がメルフィーナに向かって飛び散る。
「くっ……」
槍を払い、飛来する氷片を弾く。
(接触によるダメージが見受けられない。黒化したあの右腕は威力の激化だけでなく、鎧としての側面もある訳ですか。であれば、狙うは右腕の破壊、もしくは侵食されていない箇所への攻撃…… 普通であれば後者を選ぶでしょうが―――)
「その異形を打ち崩すのも、また一興!」
「意外と熱いわね! 好きよ、そういうの!」
セラが空中で回転し、その勢いで右腕を薙ぎ払う。拳は開かれており、その鋭利な爪がメルフィーナを引き裂かんと迫る。
「神聖天衣」
メルフィーナの背に、白き天使の翼が具現化する。翼から放出される白く輝く神聖なオーラが、鎧へ、槍へと伝導されていく。
模擬戦において、武器は殺傷性を極力落とし、壊れやすくしたものを使用する。従って、セラとメルフィーナが現在装備している武器はS級装備ではない。万が一に備えての、また装備の強度に頼らずに鍛錬する為の処置である。そして、この模擬戦用の装備では強力な攻撃を繰り出すことはできない。装備自体が技や魔法に耐え切れないからだ。現にセラが右手に装備していたナックル系の武器は、魔人闘諍の発動と共に破壊されている(そもそもこの場合、腕のサイズが違い過ぎるのだが)。ちなみにジェラールは装備を変えることができないので、試合前に能力低下をかけるなどして調整している。
その例に漏れず、メルフィーナの槍もキシキシと悲鳴を上げ始めていた。それを気にする素振りも見せず、メルフィーナは自らに襲い掛かるセラの黒腕に、白く輝き出した槍を突き立て迎撃する。
「ハアアァァァ!」
「シッ!」
黒と白が激突し、その衝撃波がケルヴィンの居場所にまで波紋する。
やがて黒と白は混じり合う。メルフィーナの白き槍が、セラの黒腕のちょうど手の平にあたる場所を突き破ったのだ。
だがその瞬間、セラは笑った。
「この槍、貰うわよ!」
セラは貫通した拳で強引に槍を握り潰すことに成功する。最早ガタガタの強度であった槍に対し、セラの拳は槍が貫通した程度ではダメージはないようだ。これにより、メルフィーナは武器をなくし完全に無防備な状態となってしまう。
体勢を立て直そうと数歩後退するが、セラが追い討ちをかける様に飛行スキルで加速し、距離を詰める。大番狂わせ、俺の脳裏にセラの勝利がよぎる。
「驚きましたよ。成長しましたね、セラ」
再びこぼれる天使の笑み。
―――パリーン。
「―――えっ?」
まるでガラスが割れたかのように、魔人闘諍が甲高い音を立てながら砕け散る。何が起こったのか、セラは理解できなかっただろう。俺達だってそうだ。
「神聖天衣は強化魔法ではありません。聖なる気を全身に巡らせ、異常を浄化する能力です。その効力は状態異常から能力上昇・減少効果にまで及びます。そしてその対象は、私だけではありません」
カラン……
先ほどまでセラの拳に突き刺さっていたメルフィーナの槍が、魔人闘諍が解除されたことにより地面に落ちる。僅かに残っていた白きオーラが、その瞬間に完全に消失する。
「まさか、わざと……」
「直に触れていたというのに、無効化までに随分と時間がかかってしまいました。もし、あと数秒でも黒腕が持っていたとすれば、貴女の勝ちでしたよ、セラ」
セラが飛行で加速したことにより、二人の距離は僅か。どちらの攻撃圏内とも言える距離だろう。互いに補助効果を失った今、勝負を決めるのは素の実力と能力。メルフィーナの魔法が青白く輝き、セラに向かって放たれ―――
「まだああぁぁぁ!」
地面に見えない何かが突き刺さり、セラの軌道が強引に変えられる。メルフィーナの放たれた魔法はセラの頬を掠り、地を凍らせながら彼方へと飛んでいった。
(これは…… 不可視化したセラの尻尾、ですか!)
悪魔であるセラの角・翼・尻尾は偽装の髪留めにより視覚できない。メルフィーナの槍に付加された神聖天衣の効果は魔人闘諍を消失するに留まった為、偽装の髪留めまでは無効化されなかったのだ。
セラは不可視化された自らの尾を地面に突き刺し、紙一重のところで死地を脱する。更にほんの僅かな、コンマ数秒の間ではあるが、メルフィーナの気を逸らすに至った。
パキパキと凍結する頬を無視し、セラは次の攻撃に全力を注ぐ。念押しとして最も初めに置いていた布石。至る場所に付着したセラの血が、一斉に魔力を帯びる。血が付着した場所の大半は金剛氷薔薇だ。血は金剛氷薔薇から紅き魔力を抽出し、セラの拳にへと転送する。
「血鮮逆十字砲!」
拳の軌道に描かれる血色の逆十字。その威力は吸収した魔力量、流した己の血液が多いほどに増していく。紅き閃光はメルフィーナの腹部に直撃し、蒼き鎧を紅に染める。
「か、はっ……!」
地上に舞い降りた女神が、悪魔に膝をつかされた瞬間であった。
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「二人とも、お疲れ。どこか痛むところはないか?」
「ケルヴィンに治してもらったのよ? ある訳ないじゃない」
「私も大丈夫です。あなた様、ありがとうございます」
結局のところ、勝負は引き分けに終わった。メルフィーナが膝をつくと同時に、全力を振り絞ったセラも力尽きてしまったのだ。どちらも行動不能となり、今回は勝負預かりってことだ。
「セラ、見事でした。ステータスのアドバンテージがなければ、敗北したのは私だったでしょう」
「何言ってるのよ。メルはまだその身体に慣れていないんでしょう? それに最初から本気を出されていたら、こんなに善戦できなかったわよ」
勝負の後に育まれる友情。互いに驕らず、冷静に力量を判断できている。素晴らしいな、うん。
「それにしても、今回はえらく気合入ってたな。何かあったのか?」
「んー? メル、言ってもいいのかしら?」
「ええ。今夜、あなた様と添い寝する権利をかけていたのです」
「……はい?」
何ですか、それ……
「だって、ケルヴィンのベットの右側はいつもエフィルがいるじゃない? あそこはエフィルの指定席だとしたら、余ってるのは左側だけじゃないの!」
「その事実が数刻前に判明致しまして、こうして権利を争っていた訳です。勝負はつきませんでしたが……」
「………」
「メル、次は何で勝負する?」
「そうですね。今日のエフィルが作ったお夕食が、和食か洋食かでかけませんか?」
いかん、頭痛がしてきた…… そもそもエフィルとしているのは添い寝だけじゃ…… げふんげふん。
「お爺ちゃん、耳を塞いだら何も聞こえないよー」
「リュカよ、お主にはまだ早い」