第209話 自食
土中より仕掛けた強襲は、見事に敵の不意を打つ事に成功する。影の魔導士達、及び彼らの警護に当たっていた歩兵の下へと駆け寄ったメルとセルジュ、近距離であれば完全にこちらのテリトリーだと言わんばかりに、彼女達はこれらを即座に殲滅してみせた。抵抗する暇を一切与えない、圧倒的なスピード勝利である。そして、反応が遅れていたのは他の駒、そしてレムも同様であった。
「お覚悟ッ!」
「覚悟ー!」
「えっ、だ、誰ぇ……!?」
迫り来るシュトラ&ビクトールを目にし、レムは未だに臨戦態勢を整える事ができないでいた。それどころか初見であるビクトールの姿に、恐れを抱いて硬直してしまっている様子だ。ちなみにこの時、ビクトールは魔人闘諍を既に纏っており、通常よりも禍々しい姿となっている。レムが怖がってしまうのも、多少は理解できる(?)かもしれない。尤も、上位の十権能としてそれで良いのかと、ケルヴィム辺りから指摘されてしまいそうではあるが。
「邇九r隴キ繧鯉シ」
「縺薙?霄ォ縺ォ螟峨∴縺ヲ縺ァ繧ゑシ」
そんなレムの代わりに迎撃に向かったのは、彼女が乗る神輿を担いでいた影の兵士達であった。逸早く動揺から脱し、神輿を担げる最低人数のみを残して、彼らは迎撃へと向かう。主を身を挺して守ろうとするその様は、兵士の鑑とも呼べるものであった。駒の種類としてはポーンに分類されるのだろうが、通常種よりも練度が高いように感じられる。所謂、親衛隊というものなのだろう。
「失礼ッ!」
しかし、だからと言って、彼らがビクトール達を止められる訳ではなかった。黒光りする装甲を纏った腕に薙ぎ払われ、宙に浮いたところをシュトラの冱寒の死糸に止めを刺される。結果として彼ら親衛隊が戦えたのは、一秒にも満たないごく短い時間でしかなかった。
「ク、反逆の将軍……!」
だが、それも全くの無駄という訳ではなかった。そのごく短い時間を使って、レムはなけなしの勇気を振り絞ったのだ。そして泣き叫び、名を呼ぶ。恐らくはレムにとっての奥の手、隠し玉、最終兵器――― チェスにおける最強の駒であるクイーン、その名を冠する異形の全身鎧は、亜空間から這い出るように、そしてレムの盾となるように彼女の前に現れ、そして―――
「はい、どー--ん!」
―――死角から突撃して来たセルジュと共に、真横へと吹き飛んで行った。
「えっ、えっ……?」
「セルジュお姉ちゃん!」
「この厄介そうな影はセルジュお姉ちゃんにお任せ! 前線から戻って来ようとする他の影達も、メルフィーナが何とかすると思うから!」
それだけを言い残して、槍の形態へとウィルを変形させたセルジュは、遠くと離れて行く。どうやらクイーンをその矛先に突き刺し、戦闘による影響を周囲に及ぼさない場所にまで連れて行くつもりのようだ。超スピードで移動する最中、クイーンも抵抗をしているようだったが、セルジュのランスチャージは決して獲物を逃がそうとしない。結局、そのままクイーンはレムの視界の外へと消えてしまった。
「………」
まさかの切り札の早期戦線離脱、この事態はレムにとってこの上なくショッキングな事で、最早頭の中は真っ白になっている。ただ、本陣に居る主に危機が迫っている事に気付いた影達が、前線から回れ右をして、この場所へと雪崩れ込もうとする動きが始まっていた。
「まったく、味方になっても頼もしい限りですね! ならば、私も職務を全うしましょう! 海神の冷凍港!」
翼を広げ空へ舞い上がったメルは、新たな相棒である銀翼の熾天使を天に掲げた。槍は青白く発光し、その眩い光を戦場全域に浴びせていく。するとその次の瞬間、メルの視界に入っていた影の軍団、その全てが刹那に凍結。ポーンもナイトもルークも、抵抗なんてしている時間は一切ない。本当に瞬く間の出来事であった為、影達は自分が凍ってしまった事を、恐らくは知る事もできなかっただろう。また、ポーンを無限に排出していた世界樹の湖も、時同じくして完全に凍結していた。まるで氷の大海がいきなり陸地に出現したかのような、そんな衝撃が戦場を走り抜ける。
(S級相当の白魔法と青魔法、それらを一つにして作り出した、合体魔法の究極の形がこれです……! ただまあ、強力であるが故に代償も大きいと言いますか、ガンガン魔力が減ってお腹も減ると言いますか……!)
魔法を維持しようとする毎に、メルの腹の音が良いメロディーを奏でている。周囲に自分の腹の音を届けてしまうのは、一応メルにとっても恥ずかしい事である。ただ今はそれ以上に、魔力の消費量が凄まじい。メルはケルヴィンほどでないにしても、相当に潤沢なMPを持っている筈なのだが、それでもこの消耗は見過ごせないレベルだった。
(あ、思っていた以上にきっついですね、これ……! 規模を大きくし過ぎたせいなのか、維持すれば維持するほど、加速度的に消費魔力が爆上がりしていく感じです……! 回復薬で魔力を補充しても、いずれは間に合わなくなるかも? ……仕方ありませんね。『自食』を使いますか)
『自食』とはメルが神を辞めて天使に戻った際、新たに手に入れた固有スキルの事である。この能力はそれまでに食い溜めした食料の多さを糧に、効果を発揮させるという一風変わったものとなっている。その肝心の効果と言うのが、消費してしまったHP・MPの自動補充――― 言ってしまえば、『自然治癒』、『魔力吸着』などの自然回復系、その極地とも呼べるものであった。
大食いの範疇を超え、これまで尋常でない量の食べ物を食してきたメル。そんな彼女が『自食』を使用した今、HPとMPは1さえ残っていれば、瞬時に全回復してしまうほどの回復力を手に入れていた。要は回復し放題、魔法を使い放題状態である。一方で一度このスキルを使用してしまうと、ストックしてきた食事量の全てを消費するまで、効果を途中で止める事ができず、また使い切った後に強烈な空腹感に襲われるなどといったデメリットも存在しているが、まあ強力なスキル効果を鑑みれば、些細な弱みだろう。 ……初めての使用である為、どの程度の空腹感になるのかは、メル自身もまだ知らない事ではあるのだが。
「食べるだけの女じゃないんですよ、私はッ! その分働いてやろうじゃないですかぁー--!」
空腹を誤魔化すかのように、メルが力の限り叫ぶ。その力は圧倒的、氷の獄に幽閉された影達は、指先一つ動かす事ができない。
「全力で持たせます! ですから二人とも、今のうちに……!」
「言われなくともッ!」
「もう目の前だよッ!」
「あっ、ああっ……」
シュトラとビクトールによって、最後の親衛隊が倒される。神輿は地に落ち、その上に居たレムも転がり落ちてしまっていた。そして、そんな彼女に黒き巨腕が、銀の糸が迫る。
「ごめ、ごめんなさい……! 私、私なんかが、不適の王のせいで……!」
それは誰に対する謝罪だったのか、震える声で、レムはその言葉を口にしていた。ひょっとしたら、無意識に言っていたのかもしれない。味方を呼び出す為とか、そういった事は全く意図していない、それどころか戦いにおいて何の意味も成さない、本当にただの謝罪だったのかもしれない。
もう彼女の周りには敵しかおらず、味方となる影の駒はその言葉を聞く事ができない。チェスと言うところのチェックメイト、聞き手の居ない謝罪は自己満足でしかなく、戦いの中において意味など生まれないものだ。
……但しこの時、実は聞き手が存在していた。彼女が常に持ち歩いていた、不出来なヌイグルミである。片目がなく、腹からは綿が飛び出し、お世辞にも出来の良いヌイグルミとは言えないものだ。だが、それでも、不出来なヌイグルミはレムの謝罪を受け入れた。
「縺ェ繧峨?∽サ雁コヲ縺ッ濶ッ縺咲視縺ォ縺ェ繧峨↑縺?→縺ュ縲」
理解不能な言葉を発したのは、果たしてレムだったのか、それともヌイグルミの方だったのか。シュトラ達がそれを認識する前に、ヌイグルミは影と化し、レムを丸ごと飲み込んでいった。




