第166話 紅の戦い
グロリアが持つ権能『間隙』は、視認した対象との距離を操る力である。距離の操作とはつまり、伸ばし縮める事だ。極端な話、この力は対象との間に無限にも等しい距離を概念的に生み出せ、逆に距離を無にして一瞬で近付く、といった事も可能なのである。権能の発動時にグロリアが視認した対象は、以降その距離から近付く事も離れる事もできず、また放った攻撃などもグロリアに届かなかったのは、正にこの為だ。そしてそんな最悪の状況に陥っているセラに対し、グロリアは遠距離からゼロ距離の攻撃を放てるという、矛盾に満ちた攻撃を仕掛ける事を可能としていた。
敵が接近できず、攻撃もできない。更に自分は絶対に安全であり、攻撃も一方的にできるとなれば、一見この権能は戦闘において無敵のように思える。だが、もちろんこの権能に弱点がない訳ではなかった。
その一つが権能を行使する為に、対象を常に視認していなければならない、という条件である。相手と対峙している場合、或いは対象とする目標が既に定まっている場合であれば、この条件はそれほど難しいものではない。一方でこの権能は、敵が死角から不意を打って来た場合、敵がグロリアの認識能力を超えたスピードを出した場合など、不測の事態に滅法弱い側面があった。対象を見失った途端、この権能の力は効力を失ってしまうのだ。
それを阻止する為に、グロリアはある対策を打ち出した。それが彼女の周囲を旋回する黒十字である。これらは彼女の武器であり、盾であり、そして目の役割を担っている。言ってしまえば、監視カメラ代わりだ。上下左右前後の全てに死角なく十字の目を向ける事で、360度カメラから映像がリアルタイムで転送されて来るが如く、グロリアは周囲を見渡す事ができていたのだ。
「これならどうよっ!」
だからこそ、セラが生み出した怪獣の如き尾の攻撃も、その全容を瞬時に把握する事ができた。グロリア自身はセラを注視したまま、周囲の十字架が巨大な水の尾、その全てを捉え続ける。横殴りに叩き付けられた刈取鮮血海は、セラと同じ距離に至ったところで途端に勢いを失い、ただの赤い液体となってバシャバシャと地面に落ちていった。
「規模を広げれば当たるとでも思ったのか? それは少し短絡的――― ッ!」
グロリアの台詞を無視して、セラは既に次の行動へと移っていた。グロリアとの距離はそのままに、彼女の周りをグルグルと円を描くように走り出したのである。
(刈取鮮血海があいつの周りに散らばった事で、この不可思議能力の効果範囲が見えた! ズバリ、面ではなくて円球での範囲能力! 刈取鮮血海がただの血水に戻ったら、それらは効果範囲から外れた。そこから察するに、私自身と攻撃のみを分類して、その効果の対象としているってところかしらね。そしてその能力は、あいつの周りに展開された円球の範囲から出ようとすると、対象をその範囲に押し戻すというもの。けど、それは逆説的に言えば、その円球の範囲内であれば、自由に移動が可能である事を示す! その読み通り、距離を保てば実際に移動もできた! よっし、取り敢えず限定的ではあるけど、移動手段をゲット!)
先ほどのセラの攻撃は検証の一つ、グロリアの能力を見極める為のものだった。見事正解を引き当てたセラは、かなりドヤッた表情になっているように見える。
「ふん。多少動けるようになったからと言って、先ほどと状況は何ら変わらん。貴様の攻撃は一切届かず、一方的に私の攻撃を食らう事になるのだからな!」
高速で移動をし続けるセラであるが、グロリアの黒十字の目はその姿を正確に捉えている。よって、能力は尚も継続中だ。そしてどんなに移動速度をアップさせたとしても、ゼロ距離で攻撃をされては完全に回避する事は不可能である。グロリアは再び左手をセラに向け、黒十字でセラを貫こうとした。
「黒十字杭改! 幸運はそう何度も――― ッ!?」
が、グロリアの台詞がまたしても中断される。
「悪いわね。さっき私の頬を切り裂いた、あの洒落た黒十字、ちょっと借りるから」
たった今放った黒十字の一撃が、別の黒十字が盾になる事で防がれていたのだ。黒十字は耐久性に優れているのか、同種の攻撃を受けても一切破壊されていない。それどころか、グロリアの周囲を駆け巡るセラに追従するように、その後もセラを覆い隠す遮蔽物としての行動を続けていた。
(アレは、最初に黒十字杭改を放った時の……!)
盾役となった黒十字には、セラの血がしっかりと付着していた。『血染』によってセラの支配下に置かれた――― つまるところ、乗っ取られたのだ。
「フフッ! 一瞬で到達する攻撃も、その間に遮蔽物があると意味を成さないみたいね! 防御手段、有り難くゲットさせてもらったわ!」
「こ、のッ……!」
グロリアが焦燥感に駆られる。グロリアの権能は強力だが、視認した対象との距離しか操作をする事ができない。つまり、人の姿を丸っと覆い隠す事ができる黒十字が盾となっては、その後ろにいるセラにまで攻撃を到達させる事ができないのだ。
また、グロリアが焦る理由は他にもあった。それがグロリアの権能の弱点の二つ目、いや、これは十権能が持つ権能全ての弱点と言えるだろうか。その弱点とは、権能の行使に限度が設けられている事だ。
義体を使って現世に顕現している十権能達には、隠しスキルとして『神の束縛』が備わっている。彼らの義体に付与されたのは白翼の地外での活動制限、権能顕現状態でないと権能を行使できない、また行使するにしても更に制限がある等々、ステータスこそ弱体化してはいないが、束縛が多岐に渡っているのだ。
(本当であれば最初の一撃で屠り、奴を贄に捧げるつもりだった。しかし、これ以上の乱発は……!)
その後にも黒十字杭改を何度か放つも、セラに支配された黒十字の盾によって全て弾き返されている。このままでは攻撃される事はないだろうが、セラを倒す事もまたできないだろう。いや、権能の行使に限度がある為、これ以上戦闘が長引いて不利になるのは、むしろグロリアの方だ。『間隙』の権能が解除されて接近されれば、『血染』を全身に纏っているセラが圧倒的に有利なのは、誰が見ても明らかである。もちろん、グロリア本人もその事は自覚していた。
「……クッ! 高天原の軍勢!」
「っと!」
権能を行使せず、白魔法にてセラを焙り出す策に出たグロリアは、セラが周回する円周に天使を模した光り輝く兵士達を出現させた。僅かにでも黒十字の盾からセラが姿を現せば、と、そのような考えに至ったのだろう。
(黒魔法の『黄泉の軍勢』と違って、媒体としての死体が必要ないの? ふーん、便利なものね。けど―――)
進路に立ち塞がる兵士達を一瞥したセラは、ほんの一瞬だけ目を閉じた。そして、彼女がカッと目を見開いた次の瞬間、纏っていた無邪気たる血戦妃の紅きオーラが一気に広がり、獲物を発見した肉食獣の如く兵士達に群がり始める。
「―――そのデザインは、ちょっとどうかと思うわ! 私のセンスで手直しして、これも借りてあげる!」
「なっ!?」
紅きオーラに包み込まれた兵士達は、やがて輝きを失い、代わりにその身を真っ赤に染めていった。女帝の支配下に置かれた血塗れの天使、セラ命名『高天原の血染軍勢』の誕生である。
「どう? 部屋に飾っておきたい格好良さでしょ!」
「この、なんて悪趣味な……!」
「フフン、そうでしょうそうでしょう、もっと褒めなさい! じゃ、そろそろ閉幕の時間ね。どこまで耐えられるか、陰ながら見守っているわね~」
盾の裏にてセラは、先ほど支配下に置いたばかりの高天原の血染軍勢、更には辺りに散らばった血を混ぜた全ての液体、血が触れた全ての物体に命令を下した。グロリアに向かって全力で突貫せよ、と。




