第144話 瓜二つ
謎の大男が口にしたのは、意外な言葉であった。手合わせ、そう、手合わせである。転生神であるゴルディアーナは狙って聖地へやって来た事は、ある程度予想できていた。が、まさかのこの言葉にゴルディアーナも少し意表を突かれる。
「手合わせと、そう言ったのかしらん? うちの看板を狙った道場破りのつもりん?」
「どう受け取ってもらっても構わない。俺はただ、お前と拳を交えたいと思っているだけだ。白翼の地にてグロリア、そしてバルドッグから逃げおおせた貴殿の力、俺から見ても見事なものだったぞ」
「うふっ、お褒めの言葉、ありがとねぇ」
ゴルディアーナは叡智の間で遭遇した十権能、その面々の顔を思い出す。あの僅かな間に十権能の顔や特徴を覚えていた彼女であったが、三人だけ顔が見えていなかった者達がいた。一人は鉄仮面を被っていたリドワン・マハド、一人はローブを纏う異形の老人、そして最後のもう一人が眼前にいるフードの大男だ。
「バルドッグは貴殿に恨みを持っていたようだが、俺の興味を優先させてもらった。彼奴一人を行かせたところで、勝ち目がない事は分かっていたからな」
「あらあらあらぁ、立て続けに私を評価してくれるのねぇ、嬉しいわん。で・もぉ、私と一戦交えたいのなら、お顔くらいは見せてくれたって良いんじゃなぁい?」
「む、それは失礼したな。何分、顔を晒すのは慣れていないのだ」
大男がフードに手を掛け、バサリとそれを外す。そこから現れたのは、髭面の強面。熊を想起させる髭と同じく、無造作に伸ばされた髪は灰色で染められている。年齢はゴルディアーナと同じか、それよりも上ほどだろうか。鋭い眼光がゴルディアーナを捉え、まるで獲物を見るかのように注視し続けていた。
「顔を晒したついでに、自己紹介させてもらおう。十権能の一人、ハオ・マーだ」
顔を晒したハオの言葉は、まるで物理的な重みを帯びているかのようであった。彼の存在感がそうさせているのか、信じられないほどに空気が重くなっている。常人であれば、この場に居合わせた時点を気を失っていただろう。
「やだ、やけにワイルドなおじ様が出て来たものねぇ。お姉様、ここは協力して――― お姉様?」
真っ先にゴルディアーナの異変を感じ取ったのは、妹弟子であるグロスティーナであった。いつだろうと、相手が何者であろうと、屈せぬ闘気を纏いながら立ち向かう。それがゴルディアーナであった筈だ。しかし、今の彼女は震えていた。まるで信じられないものを目にしたかのように、心と体が震えていたのだ。
「う、そ…… 何で、何で師匠がここに……!?」
震える口でゴルディアーナが何とか捻り出した言葉。しかし、その内容はあり得ないものだった。
「お、おい、プリティアちゃん、何言ってんだ? プリティアちゃんのお師匠さんは、とっくの昔に死んじまったんだろ? 墓掃除だって、たった今したばっかじゃねぇか!」
「そう、その筈、なのよ。けど、けど…… 忘れもしないの。間違える筈がないの。彼の顔は、師匠と瓜二つなのよぉ……!」
「な、なんだってぇ!?」
「お姉様、それマジなのぉ!?」
叫びに叫びが重なり、彼方に声が飛んで行く。
(って、俺まで動揺してどうすんだよ! プリティアちゃんがこんな時でこそ、俺がしっかりしねぇと!)
幸い、今のところ隙を突いてハオから仕掛けて来る気配はなさそうだ。気を取り直し、気合いを入れ直すダハク。動揺するゴルディアーナの代わりに、ブルジョワ―ナと共に彼女の前に出る。
「てめぇ、本当にプリティアちゃんのお師匠さんなのか?」
「……予め言っておくが、何の事だか分からんな。先ほども言ったが、俺は今も昔も十権能の一員だ。貴殿の知る人物とは生きていた時代が異なる。単なる勘違いか、その者と俺が似ているだけの話だろう。偽神よ、そんな事で動揺してもらっては困る。拳が鈍るぞ?」
ゴルディアーナを睨み、その場で腕を組み始めるハオ。どうやら彼は、万全な状態にあるゴルディアーナとの戦いを欲しているようだ。
「へっ! 邪神なんかの復活を願っている連中の癖に、やけに親切な忠告をしてくれるじゃねぇか?」
「親切心からの忠告ではない。そこの偽神は俺が認めし強き者、ならば人事を尽くさせ、その上で勝利をもぎ取るのが筋であろう」
「ッチ、スカしやがって!」
何を言っても不動を貫くハオに対し、ダハクは苛立ちを覚えていた。
(こいつ、生意気にもケルヴィンの兄貴と似たような思考回路をしていやがる! 許せねぇ! イケメンだからって、完全に調子に乗っていやがるぜ! それにどう見ても、どう考えてもプリティアちゃんを誑かしていやがる! マジで許せねぇ! たまたまお師匠さんに似ていたっていう、ミラクルを起こしただけだってのによぉ!)
この通り、それはもうイライラしていた。尊敬するケルヴィンの模倣行為、愛するゴルディアーナに対する軟派な態度――― どれもこれもが言いがかりでしかないのだが、ダハクはもうキレる寸前なのである。
「お姉様、行けそうかしらん?」
「……ええ、もう大丈夫よぉ。私が武を極める切っ掛けになった事だったから、少し動揺しちゃったのん」
一呼吸置いたゴルディアーナは、いつもの桃鬼、そして転生神としての自分を取り戻していた。
「ハオちゃんと言ったかしらぁ? 手合わせの件、受けさせてもらうわよん」
「……良し、その状態の貴殿であれば、俺も本気を出す必要が出て来そうだ。感謝するぞ」
「フフッ、敵さんに感謝されちゃうなんて、私も良い女が過ぎるわねぇ。それで、どするのぉ? 早速始めちゃう?」
「いや、ここはちと狭いな。それに俺と貴殿がやり合えば、ここがただでは済むまい。場所を変えよう」
「ふぅん? なら、私が場所を指定しても良い? 丁度良い所を知っているのぉ」
「貴殿に任せよう」
「うふっ、良い返事ねぇ! 付いて来なさぁい!」
そう言って、ゴルディアーナは岩山の頂から跳躍、真下へと落下して行った。
「ふん」
更に続いて、ハオも岩山から飛び降りる。通常の落下速度とは比較にならないスピードで移動する二人は、あっという間にダハクの視界から消えてしまった。
「……ハッ! お、おい、俺達も追いかけるぞ! 早く追い付いて、プリティアちゃんを援護しねぇと!」
「うう~ん、追いかけるのには賛成だけどぉ、お姉様の戦いに参加するのは反対かしらねぇ」
「ああっ!? 何でだよっ!?」
「ダハクちゃん、落ち着きなさぁい? お姉様はね、あのおじ様と本気で戦うつもりなのよん。下手に私達が介入しようとすれば、邪魔になる可能性があるわん。というか、十中八九邪魔になるわねぇ」
「だから、何でだっての!?」
「ケルヴィンちゃんに置きかえて考えてみなさいな。実力伯仲の二人が運命に導かれ、本気の死闘をやり合おうとしているのよぉ? 二人の世界を邪魔してまで、ダハクちゃんに介入する余地があると思う?」
「そ、それは……」
確かに、ケルヴィンなら拮抗した極上のバトルを望むだろう。ダハクもその点は理解している。しているが、今グロスティーナが言った、『二人の世界』という単語がダハクの思考の邪魔をしていた。ゴルディアーナの邪魔はしたくない。だけれども、二人っきりにもしたくはない。二つの思いが交わり、ダハク、現在とっても葛藤中である。
「……ああ~~~! 兎に角、兎に角だ、まずは追いかける! そっから先の事は、追いついた俺が考える! よし、基本方針はこれで決定な! 行くぞ、グロスぅぅ!」
「うん、とってもフレッシュで素敵ぃ」
結論を後回しに、ダハクらは後を追うのであった。