第138話 チェンジ
氷国レイガンドに突如として出現した巨大な杭、そこより攻め込んで来た十権能リドワンを相手に、ケルヴィンは見事レイガンドを防衛してみせ、非公式ではあるが、リドワンを配下にまでしてしまった。十権能と別勢力となったルキルこそ取り逃がしたものの、防衛戦としてこの戦果は凄まじく、S級冒険者としての新たな功績として称えらえるに値する、大活躍だったといえるだろう。
しかし、実のところこの同日、レイガンドとは別の場所にも十権能を乗せた巨大な杭、聖杭は現れていた。一つは東大陸の大国である、神皇国デラミスに。もう一つは西大陸の秘境に存在する、ゴルディアの聖地に――― そう、リドワンが先代転生神であるメルフィーナを狙って来たように、地上の最強戦力であると判断された者達にも、十権能は刺客を送っていたのだ。狙われたのは守護者、先代勇者の称号を持つセルジュ・フロア。そして未だ仮ではあるが、現転生神として世界に慈愛を振り撒くS級冒険者、ゴルディアーナ・プリティアーナである。
「ふんふんふーん♪」
デラミスが所有する領土、その中でも特に僻地とされる人里離れた場所にて、一人の少女が鼻歌を歌っていた。少女の名はセルジュ・フロア、聖杭に追われる古の勇者、十権能が狙う地上最強の実力者の一人である。自身の戦闘着である白衣を纏った彼女は、愛剣であるウィルを携え、この何もない場所で十権能を待っていた。まるで愛しい恋人とのデートの待ち合わせをしているかのような、ご機嫌もご機嫌な様子で。
「遅いな~、まだかな~? ちょっと本気で走り過ぎたかも?」
自身の方へと向かって来る聖杭の姿を眺めながら、セルジュはその辺にあった切り株に腰掛ける。今の私はこの切り株の守護者! という、何とも言えない冗談を交える余裕振りだ。
「にしても、唐突にデラミスの真上にやって来るんだから~。真下の街が危なくて、下手に撃墜もできないじゃないか。まあでも、私を追ってここまで付いて来たのは、素直でちょっと可愛いかな? プリちゃんからの情報によれば、十権能の中には超絶可愛い女の子もいたっていうし、きっと私の下にやって来るのはその子達だよね! だって私、超幸運だし! 勇者だし!」
それは何のフラグ立てなのか、実にわざとらしい物言いをするセルジュ。フラグも立て過ぎれば因果が逆に働くと、そう考えての行動かもしれない。しかし、そんな安易な考えをする者に対し、現実は大抵良くない結果をもたらすものだ。
「君が偽神に作られた勇者、セルジュ・フロアだね? 初めまして、僕の名はバルドッグ・ゲティア。ご想像の通り、十権能の一人さ」
頭上の聖杭から舞い降りたのは、白翼の地にてゴルディアーナを猛追した十権能であった。演出なのか指で眼鏡を軽く上げ、知性的な雰囲気を作り出している。その趣味に合う者が見れば、知的な青年であると恋をする事もあるだろう。美しい目鼻立ちであると、大抵の者が思うほどの優れた容姿でもあった。 ……しかし、しかしだ。念の為、もう一度言っておこう。彼は知的な、男であったのだ……!
「チェンジで」
「は?」
セルジュの言葉に迷いはなかった。ついでに遠慮も配慮もなかった。お帰りはあちらですと不愛想に促す様子は、あからさまに不機嫌な時のそれとなっている。
「ハァ、私の幸運、マジで分かってないなぁ、マジでない……」
「何の話かな?」
「ああ、クソ、帰らないのか…… で、何で私の方に君が来るのさ。君ってさ、プリちゃんを取り逃がした例の眼鏡だよね? ならリベンジする為に、プリちゃんの方に行くべきでしょ? 代わりに軍服の可愛い子ちゃんを、私の方へ寄越すべきでしょ!」
「………」
一瞬、時が止まった。
「……やれやれ。君の話を聞いた時は耳を疑ったものだけど、どうやら情報に間違いはなかったようだ。確かに偽神には借りがある。けど、僕以上にあの偽神に興味を持つ十権能がいてね。あまりに固執するものだから、今回は彼に譲ってあげたんだよ。あと、君が関心を寄せているグロリアは、今回の討伐に興味を示さなかった。理由なんてその程度のものさ。これで満足かい?」
「そ、そんな…… グロリアたん……!」
「……なるほど」
セルジュについて事前に調べていたのか、バルドッグは彼女の言動に納得し、だが残念そうに首を横に振った。
「あの偽神といい、君のような者が警戒対象になるなんてね。ケルヴィムの言う通り、エルドの思考にエラーが発生しているとしか思えないな」
「もう、また興味のない野郎の名前を出すー。せめてそこはさ、私が興味を惹くような名前を出すべきじゃない? 可愛い女の子とか、美人な女性とかのさー。元から興味なかったけど、口説き方も絶望的ってどうなのさ? もっとこう、私に対する気遣いの心をさー。 ……つまらないから、もう帰っても良い? 私、これでも暇じゃないんだよね。ほら、孤児院の将来有望な女の子達を愛でないといけないし? あっ、でも安心して。ちゃんと節度を弁えて接しているから。じゃないと怒られるからねー」
「……本当に救い難いな。君は状況を理解しているのか? それとも、自分の力を過信しているが故の、その態度なのか?」
「うーん? 状況は理解しているし、自分の力がどの程度のものなのか、ハッキリ分かった上での態度かな? お前、私より弱そうだし」
セルジュが腰掛けていた切り株から立ち上がり、不敵な笑みと共に煽り言葉を投げつける。罵倒を受け取ったバルドッグが次に示した行動は――― その喧嘩、買ってやろうじゃないかという意志表明、殺意の発露であった。
「あははっ。おいおい、こんな安い挑発に乗るなよ、堕天使様? どれだけ器が狭くて浅いんだい? 度量のなさが窺えるなぁ」
漸く少しは面白くなったとばかりに、セルジュが聖剣ウィルを鞘から抜く。既に二人の周囲一帯は猛烈なプレッシャーで覆い尽されており、そこに存在する物体全てが悲鳴を上げ始めていた。先ほどまでセルジュが椅子代わりに使っていた切り株も、バキリと大きな亀裂が走り、形状を維持できない状態に陥っている。
「……聞き間違えかな? この僕を、かつて『鍛冶の神』、『創造の神』と謳われたこの僕を、何だって? 管理される側の一生命が、よくそんな事を吼えられたものだよ」
「鍛冶? 創造? 何それ、『創造者』のパチモンみたいなの? まあ、見た目は『統率者』にちょっと似てるかもだし、足して割れば今みたいな感じになるのかな? うん、じゃあやっぱりパチモンだね。あと、耳掃除くらいはした方が良いと思いまーす。この距離で聞き間違えるのは普通にやばいでーす」
―――ビキビキビキ。
その瞬間、派手な音と共に切り株が完全に両断される。最早、この亀裂を修復するのは不可能だろう。
「フッ、これだから教養のない奴は嫌いなんだよ。無知は罪、そして君のそれは、最早償える段階にない。僕自ら断罪させてもらいますよ。元より、そのように指示されていたんだ」
「えー、今度は『断罪者』の真似のつもり? 流石にそれは無理があるんじゃないかな? 彼女はお前ほど愚かじゃないし、とっても可愛いんだぞ? もう御託は良いから、さっさとやろう。一刻も早く、秘密の花園に帰りたいんだよ、私は」
「―――権能、顕現ッ!」
「あははっ! ウィル、ちょっとだけ遊んであげようか!」
セルジュとバルドッグの戦いの合図は、開幕からの全解放であった。




