第133話 強奪
聖杭の下へと駆けるルキルが見たものは、ケルヴィンに首を掴まれ、今にも力尽きてしまいそうなリドワンの姿であった。
(ケルヴィン、不壊の権能を持つリドワンを打ち倒しますか。メルフィーナ様の寵愛を受けるだけの事はある、と言ったところでしょうか。しかし、流石に万全ではない様子。申し訳ありませんが、リドワンは回収させて頂きますよ)
ルキルはその場で大きく振りかぶり、運んでいた神鳥を聖杭へとぶん投げる。高速で聖杭へと迫る神鳥という名のボール、このままでは正面から激突してしまうコースだ。しかし、聖杭はその寸前になって形状を変化させ、内部へと繋がる扉を作り出す。その際にゴォウンゴォウンという大きな開閉音を鳴らした為、ケルヴィンの視線と意識も一瞬だけそちらへと移っていた。
(リドワンの元々の目的は神鳥の討伐でした。しかし、聖杭にはとある目的を達成する為の、このような機能も備わっているのです。その為に用意されていた聖杭の運搬機能、精々有効活用させてもらいますよ、十権能の皆様方)
ルキルが聖杭に期待したのは、神鳥の運搬収納、そしてケルヴィンの注意を逸らす事だった。如何に戦闘中のケルヴィンと言えども、頭上にあった用途不明の巨大な杭が、どこからともなく現れた巨大で妙に強そうな鳥を飲み込もうとしていれば、嫌でもそちらに関心を寄せてしまうというもの。そこで生じた隙は極短いものだが、隠密状態にあるルキルにとっては、これ以上ない好機であった。
「おっ?」
目にも留まらぬ速度で接近したルキルは、この一瞬でボロボロな状態にあるリドワンを回収。但し、殆ど反射的に振るわれたケルヴィンの杖に掠り、隠密効果をもたらしていた魔法の効果が解かれてしまう。
(これは…… 天上の神剣、ですか。なるほど、これでリドワンを破ったのですね)
こうしてルキルはケルヴィンの目の前にて姿を晒す事となる。彼女は片腕で吊り下げる形で破損したリドワンを持ち、周囲に黒い火の粉を散らしていた。
「ああ、誰かと思えば…… アンタ、メルと戦うのかと思っていたら、いつの間にかどこかに消えていたっけな。メルも急いで追っていたみたいだけど、うーん…… その様子じゃ、まだ戦っていないのか?」
「……おかしな事を言いますね、ケルヴィン・セルシウス。私がここにいるという事は、つまりメルフィーナが倒されたのだと、普通はそう考えるものではありませんか?」
「いいや、思わないね。確かにアンタは俺の唾液腺が馬鹿になるくらいに魅力的だ。けど、メルのそれを超えるかと問われれば、正直それはない。万が一に不意打ちとかを成功させたとしても、メルはそんな綺麗な体でお前を帰すほど甘くはねぇよ。つまり、お前はあのでかい鳥を担いで、メルから逃げて来た可能性が高い。今も俺に不意打ちをかまして来たのが、その良い証拠だな。絶対に勝つっていう自信が感じられない。いいとこ俺とどっこいの実力、もしくはそれ以下ってところか?」
「………」
ケルヴィンからそう問われるが、ルキルは口を閉じ、押し黙ってしまう。どうやらケルヴィンの推測は当たりであるらしい。
(この一瞬のやり取りで、そこまで見抜いてしまいますか。私の知る情報以上の戦闘狂ですね、この人間は)
眼前のバトルジャンキーの並外れた分析力、そして尋常でない戦闘へと渇望に感嘆を通り越し、呆れの感情を抱くルキル。同時に、今ここで殺り合うべきではないと、そう確信する。
「恥ずかしながら、貴方の言う通りですよ、ケルヴィン・セルシウス。ですが、私の目的はこれで達成です。今回は大人しく退かせて頂きます」
ルキルが聖杭の下へと飛び立つ。帰還準備が既に終わっているのか、聖杭からは先ほど以上の轟音が鳴り響いていた。
「へえ、目的ねぇ。そのやけに神々しい鳥と、死に掛けのリドワンを回収するのがお前の目的か?」
「……そうですが、何か?」
「いや、それならお前の目的、半分しか達成していないと――― そう思ってさ!」
「ッ!?」
ケルヴィンが叫ぶと同時に、ルキルの手からリドワンを掴んでいた感触と重さがなくなる。視線を移すと、先ほどまで確かにそこにあった、強奪した筈のリドワンの姿が見当たらなくなっていた。霧となって消えたかの如く、一瞬で消失してしまったのだ。
(偽物を掴まされた? いえ、私やメルフィーナ様のように、幻影を作り出す術をケルヴィンは持っていなかった筈。仮にできたとしても、その魔法分野に長けたこの私が、幻影を見間違える筈がない。確かに私は、本物のリドワンを――― ッ! これは、もしや……!)
思わず舌打ちをしてしまいそうになるルキル。何とかそれを我慢し、代わりに彼女はケルヴィンを睨みつける事にしたようだ。
「貴方、もしやリドワンと『召喚術』の契約を?」
「ハハッ、察しが良いな。まさか、ひと目でそこまで見破るとは思っていなかったよ。恐ろしい奴だ」
「……どの口がその言葉を吐きますか。十権能と召喚契約を結ぶなど、不敬にもほどがありますよ?」
「そうか? 俺は初っ端から神様と契約している身なもんでね。不敬と言われても、正直よく分からないんだ。それに契約の条件を満たしちゃったんだから、外野から文句を言われる筋合いはないぜ?」
召喚術による契約とは、一般的に召喚士よりもレベルの低いモンスターを対象とし、HPをある程度まで減らす事で成功率を高める。しかし、言語を理解するほどに知能の高いモンスターが相手であれば、条件はその限りではない。召喚士が契約するに値する、或いは主に相応しい相手だと、納得させる必要があるのだ。このように奴隷の契約とは異なり、強制的に主従関係を結ぶ事はできない――― のだが、これにも実は例外が存在する。恐怖を抱かせ心を折り、屈服させる事。S級にまで至った召喚士のみ、この裏条件で契約を結ぶ事が可能なのだ。正直なところ、ケルヴィンはこの条件を知らなかったりするのだが、今回はたまたまリドワンの心が折れ、契約条件を満たしてしまったのである。
「タイミング的には危ないところだったよ。お前があと数秒でも早く来ていたら、契約は間に合わなかったかもしれない。まあ、その辺は幸運の女神が俺に微笑んだって事で」
「何を仰っているのですか? 勝手に女神様を独占しないで頂けますか? ぶち殺しますよ?」
「え? あ、うん、何かごめん……?」
殺気のボルテージが一気に突き抜けたルキルの豹変っぷりに、ケルヴィン、僅かに動揺。取り敢えず、彼女の何らかの地雷を踏み抜いた事だけは理解する。
「っと、メルも戻って来たみたいだな」
「ッ……!」
ルキルがやって来た方向より、強い気配が迫って来る。言うまでもなく、それはメルのものであった。
「どうする? リドワンは俺の魔力体になっちまったけど、取り返す為にこのまま二回戦、始めちゃうか? 万全とは言えない状態だけど、それでも俺は歓迎するぞ?」
「……いえ、遠慮しておきます。リドワンについては、今のところは預けておくという事で。それでは、また」
黒炎と共に姿を消すルキル。恐らくは聖杭へと移動したのだろうが、ケルヴィンはそれを追わなかった。流石のケルヴィンも、死闘を通して疲弊していたのだろうか? 聖杭が上空へと消えて行くのを、黙って見送っている。
(……ふほっ! あいつ、狂気と向上心の塊じゃん! 将来的に、もっともっと強くなりそうじゃん!? うーん、夢が広がるなぁ)
違った。バトルジャンキーがそんな保身で敵を帰す筈がなかった。ケルヴィンは利己的に、今は青いが遠くない未来に完熟になるんじゃないかと、そんな希望を抱いていた。




