第119話 始動
何はともあれ、その後の念話でルキルの容姿や戦闘力については知る事ができた。女神相応の美人、天使の中でもトップクラスの戦闘力と、所謂完璧超人、いや、完璧天使であるらしい。しかし、それほどまでに完璧な天使が、果たして一人だけ行方不明になるだろうか? 皆が逃げる為の囮になったとかで、自己犠牲的な行為をしていたのなら、まあ分かる話ではあるのだが…… ラファエロさんに聞く限りでは、そのような事もなかったという。これといった目撃情報もなく、皆が避難を始めた時には既に姿はなかった。纏めるとそういう事になる。
「ゴルディアーナが避難指示を出すよりも前に捕らえられたか、或いは――― 兎も角、分かりました。ルキルは私達が捜索しましょう」
「おお、何と有り難いお言葉……! メル様、感謝致しますッ!」
「頭を上げてください、ラファエロ。それよりも、貴方達が白翼の地を離れる際、浮遊大陸がどの方角に飛んで行ったか、覚えていますか?」
「はい、しかとこの目で。西大陸北方より北西に進んで行った事を覚えております。白翼の地の行き先は完全にランダムですから、十権能らもそれを操作する事はできないかと」
頭の中で世界地図を思い浮かべる。確かその先は、ずっと海が続いていた筈だ。途中で舵を切らない限りは、大陸にぶち当たる事もないが…… いや、安易にそう考えるのは早計か。相手は邪神の復活を願い、堕天使として規格外の力を有する連中だ。予想もしない汚い手を使って来るかもしれないし、相手が女子供でも容赦する事はないだろう。つまり、些細な事でも一大事になる。さて、どうしたもんかな。
「ルキルはもちろん心配ですが、白翼の地に残った長達の安否も気になりますな。長達は『叡智の間』から動く事ができませんし、やはり、もう……」
そう言って目を伏せるラファエロさん。ああ、そうか。ラファエロさん達は叡智の間での出来事も知らずに、着の身着の侭で避難して来たんだっけ。
『メル、これは伝えるべきかな? 天使の長達の体が、十権能に義体として利用されているかもしれないって』
天使の長となる者は、叡智の間に設置された特殊な装置に入る事で、永遠に近い命を手に入れる事ができる。しかし、その代償として彼らは感情や自我を失い、道徳的・合理的に物事を判断する為の機械になり果ててしまうんだそうだ。そうする事で、白翼の地に住まう天使達に常に正しい判断を下し、転生神を選定する際にも大きな役割を果たすんだとか。
俺からすればSFチックと言うか、まあ何とも言い難いシステムなんだが…… 少なくとも、地上でよくある王族貴族の腐敗のような事は防がれているらしい。何かしらのトラブルが起きない限り、半永久的にその座を交代する必要もないからな。長の人数はキッチリ十名、ストック(この場合、そう表現するべきではないんだろうが)としての数も十分で、理論上は完璧なシステムなんだろう。まあ、そのトラブルが正に今起こっている訳だけど。
で、そんな状態にある長達なのだが、ゴルディアーナ曰く、叡智の間を訪れた際に、既にその姿は機械の中から消えていたんだそうだ。そう、殺されたのではなく、綺麗さっぱりと姿を消していたんだ。まるで全ての長達が、十権能にそのまま置き換わったかのように。要はクロメルがエレアリスの肉体を義体として活用していたように、十権能も長の肉体を義体として活用しているのではないかと、俺達は怪しんでいる。
『……今は憶測の域を出ませんし、真実を確認するまでは言うべきではないかと』
『まあ、不安を余計に煽るだけだしな。了解、ルキルさんと同じく、こっちも救出する体で話を進めておこう』
という事でルキルさんと長達を捜索し、安否を確認する事をラファエロさんと約束する。メルの言う通り、今はこれがベストだろう。
「メル様には助けられてばかりですね。我々も何か助力できる事があれば良いのですが……」
「数百年振りに故郷を出たのです。今はこの環境に慣れる事を優先してください」
「十権能の狙いはラファエロさん達ではないようですが、用心をするに越した事はありません。俺の魔法で更なる要塞化を施しておきますね。ロザリア、ムド、手伝ってくれ」
「承知致しました。母様にも負けぬ、最高の仕立てをお見せしましょう」
「良い感じに狙撃できる場所を作りたい。ワクワク」
「お、おお……! メル様方が私の為に、いえ、私達の為にこれほどまでの力添えをしてくださっている! もう、もう死んでも良いッ!」
「いや、死なないでくださいよ……」
一先ず、天使達の安全は確認できた。避難所を一通り強化して、次はレイガンドの首都にでも行ってみるか。パウル君の件もあるし――― って、塔を登り切ってから、パウル君がやけに静かだな? 何だ何だ、借りて来た猫みたいになる質でもないだろうに?
「スゥ、ハァ~~~…… スゥ、ハァ~~~……」
……めっちゃ静かに深呼吸してる。あ、ああ、黙っていたのは、回復に努めていたからか。流石にちょっと無理をさせ過ぎたかな?
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白翼の地、叡智の間。元々この地に住んでいた天使達がいなくなった事で、この場所に存在するのは堕天使、十権能のみとなった。彼らは天使の長が収められていた機械を椅子代わりに使い、何やら言葉を交わしている。
「多少の時間を掛ければ力が馴染むと思っていたが…… ふむ、やはり義体では出力が落ちるか」
自らの手を眺めながら、十権能のリーダーたるエルドがそう呟く。
「カカカッ、天使共の長を使ったとはいえ、所詮は下界の贋作共よ。ワシらの力全てを引き出すには、器が小さ過ぎるわい」
「権能を顕現させた状態であれば、全盛期の力を一時的に取り戻す事ができる。あの転生神を追いかけた際に、それは確認できた。ただ、極短い時間ではあるがな。それ以上は義体が壊れてしまうだろう」
「顕現するタイミングも難しいですね。真の姿に至るまでに、数秒ほどの時間を要します。まったく、不自由な肉体ですよ」
ここ数日間、十権能は天使の長を使った義体に、力を馴染ませる事に努めていた。しかし、彼らが思い描く段階にまで到達する事はできなかったようで、どこかそれら言葉には落胆の色があった。
「ぐすっ……」
「レムよ、いい加減に愚図るのはよせ。かれこれ三日間は泣き続けているぞ」
「カカッ! 幾千の時が経とうとも、中身は変わっとらんようじゃな。力は劣化したが、逆にその辺りは安心じゃて」
涙を流すレムの姿を見て、ハザマが楽し気に笑い始めた。そんな光景に十権能の一人が大きく溜息を吐き、苦言を呈する。
「しかし、いつまでもこうしている訳にもいくまい。エルド、貴様は曲がりなりにも我々を統括する立場にいるのだ。次なる手は考えているんだろうな?」
エルドの隣の機械に座るは、前髪が右目を隠すほどに長い黒髪の男。彼はエルドに対して、どこか攻撃的な口調であった。
「地上で行動を起こした紛い物の堕天使共は、その殆どが劣勢、もしくは既に制圧されつつある。これ以上アレらに期待するのは酷だろう。まあ、最初から期待なんてものは欠片もしていなかったがな」
「そう言うな、ケルヴィム。少なくとも、彼らのお蔭で我らが狙うべき敵と居場所は把握する事ができた。使い捨ての駒にしては、よくやってくれている方だ」
「ふんっ…… で、肝心の次の手は?」
「そんなものは決まっている。ルキル、こちらに」
―――この地に住んでいた天使達はいなくなった。しかし、何事にも例外は存在する。未だこの浮遊大陸に立つ住民が、ここに一人いたのだ。




