第110話 桃色逃避行
ゴルディアーナのウインクを躱したバルドッグとグロリア。次はこちらの番、二人はそう言わんばかりの闘志を瞳に宿らせていた。背中から抜いたバルドッグの得物が肥大化し、グロリアの拳に篭められた魔力が光へと転化される。
(そう、今のを躱す事は分かっていたわぁ。ジェラールのおじさまと違って私がタイプじゃないってぇ、ついさっき貴方達全員が教えてくれたものねぇ。ウインクを躱すぅ、かつ私に近づく最短経路は―――)
―――バサッ!
「「ッ!?」」
突如としてゴルディアーナの背に顕現する、桃色の巨大な天使の翼。それは転生神の証であると示すかのように、圧倒的な存在感を放っていた。翼の持ち主を視界に入れさえしなければ、それは大変に神々しい様でもある。バルドッグとグロリアが凄まじく不快感満載な顔になっているのは、まあ、本体と合わせて視界に入ってしまったからだろう。
「―――限られるものよん(はぁと)。蝶愛撫! ふぅーーーん!」
そして、巨大な天使の翼が勢いよく羽ばたく。その様は繊細でも優しくもなく、真逆に力強いものだった。それもその筈、天使の翼とは一見柔らかそうなものだが、ゴルディアーナの翼は筋肉の延長、つまるところマッスル&マッスルで構成されているのだ。そんな強大無比な翼が衝突すると、一体どうなってしまうだろうか?
「ぐうっ!」
「小癪……!」
答えは単純、翼の形をした脚で蹴り飛ばされるのと同義だ。左右それぞれの翼で薙ぎ払われた二人は、大きく後方へと吹き飛ばされてしまう。おまけにその動作で巻き起こった突風が、二人を更に遠くへと追いやった。
「ダイナミックに揺れ動く女心のようにぃ、思いっ切り飛ばされちゃってぇ。それじゃ、そろそろ私は失礼するわん」
顕現した翼を大きく広げ、更なるスピードアップを図ろうとするゴルディアーナ。ここまでやれば、最早追いつく事は不可能。そう確信したゴルディアーナは、今後どうするべきかに思考を回し始めるのが―――
「「―――権能、顕現」」
背後から再度迫る、有無を言わさぬ圧倒的なプレッシャー。これを受けたゴルディアーナは、その発生源を警戒しない訳にはいかなかった。
遠くに見えるは、堕天使の象徴たる漆黒の輪と翼の片鱗。先ほど吹き飛ばしたバルドッグとグロリアが、その真の姿を現そうとしているところだった。メルフィーナの天使としての真の姿、クロメルの堕天使としての真の姿を知るゴルディアーナは、瞬時にその事を理解する。但し、ゴルディアーナが知るそれら変化とは、少しばかり様子が異なっているようでもあった。何よりも顕現しようとしている形状が、あまりにも既知のものから外れていたのだ。
(やだん! 私の『第六感』もビンビンに警報を鳴らしているわん! 変身中に何かするのはマナー違反だけどぉ、こいつぁ細かい事を言ってる場合じゃないわねぇ! 長居は無用ってやつよぉ!)
危機を察知したゴルディアーナは、直ぐ様に自力での脱出に見切りをつけ、次なる策へと打って出る。その豊満な胸元に手を突っ込み、何かを取り出そうとしているようだ。
「出番よぉ、クロトちゃ~ん!」
何と、ゴルディアーナの手にはクロトが乗っていた。分身体らしくサイズは小さいが、ポヨンポヨンという体の独自の揺れと肌触りが、それが嘘偽りなくクロトであると教えてくれる。
「援軍か……!」
「けど、そんな最弱モンスターが加わったところで、戦況は何も変わらないよ」
ゴルディアーナが持つクロトは分身体、それも戦闘特化のそれとは異なり、強さに比重を置いていないタイプである。バルドッグが最弱のモンスターと称したのも、ある種仕方のない事だった。しかし、クロトを呼んだのは戦闘に加勢してもらう為ではなく、ゴルディアーナの思惑は別のところにあった。
「な~にか勘違いしているみたいだけどぉ、時間もないし勝手に進ませてもらうわねん。クロトちゃん、お願~い(はぁと)」
美しくも野太い、そんなゴルディアーナの言葉に呼応するように、分身体クロトが保管からポンと何を取り出した。
「それは……!」
「うふん、非常口よん」
クロトが取り出したのは、携帯用の小型転移門であった。かつてケルヴィンが奈落の地で入手した、超希少品のマジックアイテムである。既に転移門はクロトの保管内で魔力の注入を終えており、いつでも起動できる状態となっている。その証拠に、小型転移門の扉はガチャリと音を立てて開き始めていた。
「貴様、本当に逃げるつもりか」
「忠告しよう。どこに行こうとも、僕からは逃れられないよ?」
「やだん、怖いん! 貴方、どこまでも私を追いかけて来るつもりねぇ! でもぉ、そんな強気な姿勢ぇ、正直嫌いじゃないわんっ! オーケー、そこまで言うのならぁ、私を捕まえて、振り向かせてごらんなさいっ!」
バルドッグを指差し、そんな凶悪な言葉と共に熱い視線を向ける今代の転生神。その破壊力はウインクどころの話ではなく、瞬時に空気が凍るほどの威力であった。
「僕からは逃げられない…… ハッ! バ、バルドッグ、貴様、まさか……」
「君、何がまさかなのかな!? ひょっとしなくても馬鹿なのかな!?」
挑発のつもりが、とんだカウンターを返される形となってしまったようだ。顕現化の最中に必死の釈明に追われる事となるバルドッグ。当然ながら、それら行動は彼らの隙へと繋がった。真の姿への変化が一時的にストップし、一瞬とはいえ、ゴルディアーナから視線を切ってしまったのだ。
「それじゃ、ば~い(はぁと)」
「あ、待てっ!」
その隙を突いたゴルディアーナの姿が、小型転移門の中へと消えていく。後に残るは宙に浮かぶ転移門と、別れ際に放った熱烈な投げキッスだけ。そして転移門も分身体クロトが保管にしまい、更には自らの体までもを全て収納してしまう。導かれる答えは逃走完了、宙を漂う投げキッスだけを残して、ゴルディアーナ達は目的を達成していた。
「「………」」
信じ難い光景を前にして、二人は力の解放を取り止め、元の姿へと戻る。同じくして、バルドッグの得物が元のサイズに、グロリアが纏っていた神々しいまでの拳の光も消え去っていた。
「……ここまでの屈辱は、神々との戦い以来の事ですよ。グロリアさん、奴は僕が殺ります。異論はないですね?」
「あ、ああ、そういう事なら、仕方がないのかもしれんな。しかし、なるほど、そういう意味での僕がやります、か。すまないな、どうやら私は勘違いしていたようだ。まあその、何だ…… 色々と立場の問題はあると思うが、少なくとも応援はしてやる。精々合理的に頑張れ」
「待ってください。貴女、やっぱり勘違いしてしますよね? ちょっと、視線を逸らさないでくださいよ!? 何勝手に引いているんですか!?」
ゴルディアーナが消え去った後も、そんなバルドッグの弁解が暫くその場で続いていた。しかしながら、忘れてはいないだろうか。今もゆっくりと宙を進み続ける、投げキッスの存在を。そう、バルドッグはすっかりと忘れてしまっていたのだ。それがこの後に、とある悲劇を巻き起こす事になるのだが、詳細は一切不明だ。所謂それはまた別の話、というやつである。




