第100話 待てが長いのも考えもの
「やはり貴方は、この状況を理解されていないようです。分かりました、見せしめに一人ほど――― ッ!」
ドロシーが宙に浮いた書物に手を伸ばそうとした直後、彼女の直ぐ目の前に敵意を伴った何かが迫った。それを察知するや否や、その物静かそうな容姿からは想像もつかない、不自然なほどの機敏さで、ドロシーがその場から大きく跳躍。その後、舞台の逆側に舞い降りた彼女は、先ほどまで自分が立っていた場所に、死神の大鎌が振り下ろされていたのを目にする。
「お、余裕で避けたか」
舞台に深々と突き刺さる大鎌の刃先。瞬間的に修復されるこの舞台の特性上、下手に舞台に得物を突き刺しては、刃が抜けなくなるのが普通だ(そもそも普通は突き刺す事もできない硬さなのだが)。しかしケルヴィンはそのまま弧を描くようにして、造作もなく刃を舞台から抜き取っていた。全く力を篭めている様子はないのに、あれだけ頑強だった舞台が粘土を傷付けるが如く、三日月形に切り裂かれている。
「ああっと、ケルヴィンさんもドロシーさんも、勝手に試合を始めてしまったー! これはこれは、一体どうすれば良いんだぁーーー!? 私としてはこのまま実況を始めたいのですが、隣のミルキー教官目が怖いぃーーー! ……えと、どうします?」
実況のランが恐る恐るミルキーに尋ねる。ミルキーはいつもの笑顔を崩してはいないが、大分ピキピキ来ているようで、お怒りマークが顔中に張り巡らされていた。自分の寮の生徒、それも特別に可愛がっていたクロメルの行方が分からない、しかも最終決戦の大事な役目まで取って代わられたと来れば、ミルキーの怒りも当然だろう。これからの事の次第によっては、学園の面子が潰される可能性だってあるのだ。そんな彼女の隣にいながら、触りだけでもノリノリの実況をかましたランは、なかなかに度胸がある。
「良いんじゃないかな? もうこの展開が元々予定していたサプライズで、ドロシー君が本当のメンバーでしたって事にしよう。それで最低限の面子は守られる」
「うわえええっ!?」
唐突にランルルとミルキーに声を掛けたのは、いつの間にか彼女らの背後に立っていたアートであった。予期せぬ金ぴかの登場に、ランルルの心臓はバックバクだ。ブチ切れ寸前状態のミルキーといい、今日だけで彼女の胃には結構な負担がかかっている。
ただ、実況の放送に彼女の驚きの声が乗る事はなかった。アートが声を掛けるのと同時に、放送のスイッチを切っていたのだ。
「アート学院長、本気ですか? その馬鹿みたいな格好と同じく、頭まで馬鹿になった訳ではないですよね? 愚かなのはボイル教官だけで十分ですよ?」
「ハッハッハ、ミルキー教官はいつも以上に毒舌だな。相当に怒っていると見える。あまりボイル教官を虐めてやらないでくれよ? 尊大ではあるが、彼だって彼なりに学園に尽くしてくれているんだ。それに、私だって本気だ。これが我々の意図せぬトラブルだと知れ渡れば、我がルミエストの信頼は落ちに落ちてしまう。今問題を起こしているドロシー君も、大いに責任を問われる事になるだろう。現段階では彼女がどんな理由で舞台に上がっているのか、まだ分かっていないんだ。もし彼女が何者かに洗脳でもされていたら、それこそ彼女が可哀想だろう? だから、穏便に済ますにはそれが一番良い」
「……冒険者ギルドの総長さんと裏で何やら動いていたようですが、その件も関連しているという事ですか?」
「まあ、そうだと言っておこうか。今のところはまだ何とも言えないが、怪し気な人物を複数人シンが捕縛している。本件と関係ない事はないだろう。ああ、そうだ。クロメル君の事も安心してくれて良い。つい先ほど、リオン君とラミ君が彼女を発見してくれた。クロメル君の命に別状はないそうだよ。まあ、他の別状はあったのだが……」
「他の別状?」
「いや、こっちの話だ。今は気にしないでくれ」
アートは露骨に視線を逸らしていた。そんな彼を見て、ミルキーが大きく溜息を漏らす。
「なるほど、そういう事でしたら。ですが、対抗戦に出られなかったクロメルさんに、後で何かしらの補償をお願いしますね?」
「もちろんだとも。何なら、来年の対抗戦大将の座を今から確定――― っと、お客様達がお待ちだ。ミルキー教官、ランルル君、そういう事だから、今から私自ら説明をしよう」
放送スイッチをオンにするアート。いつの間にやらマイクも持参していたようで、彼の手には黄金色のそれが握られていた。
「あ、あー、マイクテス、マイクテス…… どうも、学院長のアートです。突然実況解説を止めてしまって申し訳ありませんでした。そして最終試合、その予期せぬ展開に戸惑う方も多いのではないでしょうか? ですが、ご安心ください。実はこれ、私自らが仕掛けた盛大なサプライズでして―――」
学院長自らの状況説明を受け、会場が落ち着きを取り戻していく。それは学園外のキャラバンも同様のようで、マジックアイテムの映像を前に熱中していた見物人達から、多くの安堵する声が上がっていた。
「なんだ、やはりあの小さな女の子は代表メンバーではなかったのか」
「そりゃそうだろう。あの年齢で入学している事自体凄い事だが、流石に対抗戦に選ばれるほどの力はないだろう。まあ、私は最初から見抜いていたけどね」
「も、もちろん私だってそう思っていたぞ! 大体、最後の試合が親子対決になるなんて不自然だからな! ルミエストへの入学ができた事自体、何か不正があったんじゃないかと怪しんでいたところだ! 大方、S級冒険者の娘が我が儘を言って無理に入学を決めたとか、そんなオチだろうさ」
但し、その中には安堵からの緩みからか、つい口を滑らせてしまう者もいたようで。
「あ、あ、ああっ……!」
「ん? おい、どうした? そんな悪魔でも見てしまったような顔をして?」
「う、うううっ、後ろ! 後ろぉぉぉ!」
「は? 後ろ? 後ろが何だっていぅぅぅぅんだおおぉぉっ!?」
振り返るなり直面する、本物の悪魔と悪魔鎧。彼の不躾な言葉は、同じキャラバンの端っこにて廃人になりかけていた馬鹿二人を、瞬間全快で蘇らせてしまったようだ。その後、彼がどうなったかは不明である。
一方で、正式に最終試合の相手が決まったケルヴィンはというと?
「ハハハッ、良い反応じゃないか! パウル君やシンジール達じゃ、まず躱せない速度で攻撃してるってのに、よく避ける! 見た目や得物は魔導師っぽいが、体の動かし方は素人のそれじゃない! おっ、その本は勝手に追従してくれるのか!? 便利だなっ!」
「戦いの最中なのに、饒舌ですね。前菜はもう要らなかったのでは?」
「ああ、悪い! お預けの時間が長かったから、思ってた以上に腹が減ってたみたいだ!」
―――アートの説明なんて関係なしに、とっくに戦いを始めてしまっていた。大鎌を振り回し、接近戦重視で攻撃を仕掛けまくっている。
「けどさ、こうして戦っていると、ちょっと違和感があるんだよな。お前の速度、緩急が急過ぎじゃないか? おかしいなぁ、どうしてだろうなぁ?」
「………」
ケルヴィンが感じた違和感、それはドロシーが攻撃を回避する際のスピードに関連していた。危険を察知する能力、攻撃を躱す身体能力、ドロシーの力はどれも申し分ない。しかし、戦いにおいて百戦錬磨を誇るケルヴィンの目には、彼女がまるで早送りをして進んだかのように、時折不自然な進み方をしているように見えていた。自らも風神脚などの緑魔法を愛用している為、尚の事その類の加速でない事はよく分かるようだ。
「なあ、避けてばかりじゃなくて、そろそろその力を見せてくれよ? それとも、さっきやろうとしたみたいに、その本に手を伸ばすか? 俺はどっちでも歓迎するぞ? なあ、なあ、なあっ!?」
今日も死神は絶好調であった。




