第79話 十刀竜
立ち上がった炎の柱は頭上に展開されていた障壁を容易に貫き、尚もその猛烈な勢いが止まる様子はない。間近にいたグラハムはもちろんの事、周囲の観客席にまで熱風が届く。
「こここ、これはどうした事でしょうかぁ!? あちちちのちですぅー!」
「障壁に手を出すなと言ったのに…… これは減点対象ですね」
「あ、ミルキー教官狡い! 自分だけ結界張ってる!」
バッケの炎は直接的な被害は出さないものの、会場全体を一時的にサウナ状態にする程度にまで熱していた。適温から常夏を超えた温度に様変わりし、観客達は一様に汗がダラダラになってしまう。特に北方の氷国レイガントの者達は暑さに弱いらしく、酷く消耗しているようだった。
「攻撃のつもりではない…… 威嚇? 否、これが竜への変身でござるか!」
「ご名答」
次の瞬間、あれほどまでに苛烈だった炎の柱が、一瞬にして四散し消え去っていく。そして炎が発生した中心部には、グラハムが言うところの変身を終えたバッケの姿があった。 ……但し変身後の彼女の姿形は、グラハムが予想していたものとは、かなり異なっていた。以前バトルラリー中に開催されたガウンの獣王特別祭、その時にバッケが披露した巨大な火竜の姿とは、また別のものだったのだ。
「……人型の竜、でござるか?」
「ああ、だから言ったろ。これを公にすんの、今回が初めてだって」
バッケの背丈は殆ど変化がなく、また姿自体も人に近しい。が、決定的に異なっている点は幾つかある。雄々しい角がある事、舞台を叩き付ける逞しい尾がある事、そして体表面が赤き竜鱗で覆われている事だってそうだ。変身前まで装備していた軽鎧なんて、まるで彼女の肉体と一体化しているかのように、鱗の中に埋もれてしまっていた。これら特徴だけでも、彼女が人間とは一線を画す存在であると、一目で分かってしまうだろう。
しかし、今のバッケはそれ以上に目につく、更なる異形の特徴を有していた。彼女の背には竜の翼こそはないが、その代わりに強烈な印象を抱かせる鉤爪があったのだ。名剣をそのまま指に取り付けたかのような、長く鋭い圧倒的な存在感。片手に五本、両手で十本にも及ぶそれら凶器は、女性がするネイルにしては形状が凶悪過ぎた。お洒落の為にするものなどではなく、明確に他者を害する為のもの。そしてグラハムは、それら凶悪なる爪に見覚えがあった。
「もしや、その爪は先ほどの……」
「察しが良いね。そうさ、爪はさっきアタシが取り出した十本の剣だ。どうだい、なかなかイカしているだろう?」
「面妖にして奇怪、でござるな。しかし、なるほど。だから十刀竜であると。まさか、武器や防具を自らの体に取り込む竜が存在していたとは……!」
「んー、ちょいと語弊があるかもね。取り込むも何も、元々武具はアタシの体の一部だったのさ。竜になった時にてめぇで鱗やら爪やらを剥いで、それを素材にして抱き込んだ鍛冶師に作らせた。お蔭で人の姿の時も、手に馴染むように武具を扱う事ができたって寸法よ。まっ、剣として振るうよりも、こうして一体化させた方が尚更使いやすいんだけど、ねぇ!」
バッケは足元の舞台に向かって、右手の爪を軽く振るってみせた。一瞬、バシュッと赤い水が舞ったかと思うと、そこには真っ赤に染まった巨大な爪痕が残っていた。あれほどまでに頑丈であった舞台が、瞬く間に熔解したのだ。それでも舞台の修復機能は働き始めるが、通常のダメージよりも修復に苦戦しているのか、傷痕の直りがかなり遅く感じられる。
「へえ、熔かしても直っちまうのか。大した舞台だねぇ。でも、アンタ自身やその大鎧はどうかな、色男? アタシのこの『灼熱竜爪』、受け切れるかい?」
「……拙者、これでもいずれは姉さん方のように、竜王の加護を頂くつもりじゃけい。こんなところで躓くつもりは、一切ないで候」
「ハッ、竜王だぁ? おいおい、あんな称号に胡坐かいてる連中なんかと比べないでおくれよ。アタシは竜人であって、竜共が躍起になって欲しがる位なんて願い下げなんだ。そんなもんなくたって、火竜王――― ああ、今となっちゃあ、あいつは先代か。まあ、何だ。そこらの竜の王なんかより、アタシの方が強いって教えてあげるよ。タダじゃあないけどねぇ」
「~~~!」
「うん?」
バッケの台詞を受けて、たまたま近場にいた竜王様がお怒りの様子だ。しかし、試合中故に手を出す事も稲妻を走らせる事もできず、その場でバリバリゴロゴロと蓄電するのみに止まる。電気仲間のリオンが落ち着かせているので、まあ大丈夫だろう。
「それは楽しみでござるな。では、そろそろ―――」
「ああ、長話が過ぎたね。じゃ、そろそろ―――」
「―――竜退治、やらせてもらおうぞ!」
「―――男漁りに洒落込もうかねぇ!」
個性豊かな前口上と共に、戦いが静から動へと移り変わる。互いに前へと突き進むバッケとグラハムは、間合いに入るなり初撃を抉り込むようにして放った。
―――ガガギギィィン!
刃を真っ赤に染めるバッケの灼熱竜爪と、グラハムがトラージのツバキより賜った国宝『荒夜叉』がぶつかり合う。金属音が鳴り火花が散り、だが二人が引く事はない。次いで二の太刀、三の太刀を恐ろしき剣速でグラハムが放ったかと思うと、バッケは宙を蹴りながらこれを見事に回避。リーチはあろうが手数はこちらだとばかりに、グラハムの懐へと入り込もうとしたのだ。
「巌窟拳骨」
「ッ!」
バッケがグラハムの甲冑を剥ぎ取ろうとしたその時、彼女の真下にあった舞台の一部が隆起して、真上へと突き上がった。衝突する寸前のところで、バッケは身を翻してこれを回避。結果として両者とも攻撃を掠られる事もなかったが、舞台上には巨大な拳の形状をした石像が残っていた。
(舞台と同じ材質の拳…… なるほど、緑魔法の類かい。剣の腕もS級のそれだが、魔法に関しても同等に使えると考えた方が良さそうだ。フフッ、ますます良い男だねぇ。よーく熟成してる!)
(空中だろうと関係なく加速し、自由に駆け回る身軽さ。そして完全な死角であった足下からの強襲にも、軽々と対応可能な勘の鋭さでごわすか。なるほど、確かにこれは姉さん方に引けを取らない……!)
二人は距離を取った際、初見での印象を瞬間的に精査した。双方とも評価は上々、よって次なる手がより厳しいものになるのは、至極当然の事であった。
「滅火飛爪」
渾身の跳躍で見上げるほど高くにまで飛翔したバッケが繰り出したのは、灼熱を帯びた無数の斬撃だった。彼女が両腕を振るう度、灼熱竜爪から十の斬撃が地上へと放たれる。彼女はそれを超高速で何度も何度も、自身の飽きが来るまで繰り返した。結果出来上がったのは、途切れる事のない斬撃の豪雨――― 隙間のない赤壁とも呼べる代物が、キッチリ舞台上全範囲に限定して降り注いだのだ。
「巌窟観音」
対するグラハムが詠唱したのは、S級緑魔法【巌窟観音】だった。先ほどの巌窟拳骨と同様に、彼のオリジナル魔法であるそれは舞台を再び隆起させ、とあるゴーレムを作り上げる。バッケの斬撃に対抗するが如く無数の腕を持ち合わせ、全てを見通すが如く優し気な表情を浮かべるは、大巨人の上半身。舞台と融合するかのように現れた神々しい巨大ゴーレムは、空に居るバッケへと視線を移し――― 無数の拳骨による殴打を開始した。
炎の斬撃と大岩の拳、それらが洒落にならない数で衝突し合った時、遂に悲劇が起こってしまう。 ……そう、主に舞台にとっての悲劇が。