第54話 森林浴は気持ちいい
ボイルが人数を数える為に指差した先には、カトリーヌとその取り巻きの生徒の他、その他何人ものシエロ寮の生徒達が転がっていた。その中にはボイルが特に目をかけていたルミエストの現生徒会長メリッサや、彼女の下で働く書記の姿まで。新入生のカトリーヌは兎も角として、上級生の中でもトップクラスの実力を誇るメリッサが、他の生徒達と一緒になって目を回しているというこの事実に、ボイルは困惑を隠し切れない。
「首席卒業を目指す、メリッサ君までもが……! ベ、ベル君、改めて問おう。この惨状は一体何なのかね?」
「惨状ですか? 怪我の類は一切させていませんし、皆さんは静かにお昼寝をしているだけで、惨状というほどのものではないと思いますが」
「ベル君!」
「ボイル寮長、顔が近いです」
「そんな事はどうでも良い! 一刻も早く、事態の説明をだね!」
「顔が近いっつってるでしょ?」
「あ、はい……」
笑顔から真顔に急変したベルの圧を受けて、ボイルが三歩ほど下がる。頗る素直であった。
「コホン。それでは、改めて説明させて頂きますね。事の発端はこちらのカトリーヌさんでした。入学式での私の挨拶が御気に召さなかったのか、軽くちょっかいを出して来られまして。私としては極力揉め事を起こしたくなかったので、暫くは距離を置こうとしたのですが…… どうやらそんな態度も意向に沿わなかったようで、最終的に決闘を申し込まれる形になりました。はい、これがその時に投げられた白手袋です」
そう言って、一切汚れのないカトリーヌの白手袋をかざして見せるベル。一方、持ち主のカトリーヌが人間ベンチの一番下で土塗れになっているのは、何らかの皮肉だろうか。
「そ、それで決闘を受け、倒した訳かね?」
「決闘を受けただなんて、とんでもありません。その後によ~くお話ししたら、この通り立場を弁えてくれたようでして。私はただ、カトリーヌさん達と仲良く森林浴をしていただけ。そして彼女らはあまりの気持ち良さに、こうしてお昼寝に洒落込んだ。そうよね、カトリーヌさん?」
「で、ですわー……」
「ほら、本人もこう言っていますし」
「それ、うわ言を言っているだけじゃないかね!?」
「きっと気のせいでしょう、ええ」
ボイル、至極当然のツッコミ。しかし、ベルはそんな言い訳で押し通す気でいるようで、再び目の眩むような笑顔を顔に貼り付け始めていた。
「で、では、他の生徒達に関しては? ワシの目が腐っていなければ、そこには生徒会長のメリッサ君もいるように見えるのだが?」
「なるほど、ボイル寮長の目は腐っておいでのようで」
「遂に笑顔のまま毒を吐きおったな、ベル君!?」
「フフッ、ほんの悪魔式ジョークですよ。お気になさらず」
ちなみに本気の悪魔ジョークには、これに蹴りが加わるらしい。
「メリッサ生徒会長については、少し私も対応に困ってしまいまして」
「……と、言うと?」
「カトリーヌさん達とこうして仲良く森林浴をしようとしたら、生徒会長から声を掛けて頂きまして。その事実にいたく感動したのですが、その、同時に緊張してしまいまして。上手く話す事ができなかったのです」
「な、なるほど」
要は無視を決め込んだのだなと、ボイルはそう理解した。
「しかしそれでも、生徒会長は熱心に話を続けてくださいました。確か、生徒会に入って共に組織を運営したいだとか、未来の生徒会長候補として、今のうちに生徒会の見習いとして努めるべきだとか、そんな事を仰っていましたね」
「ほ、ほう、メリッサ君から直々にスカウトされるとは、それこそ心の底から感動する場面だと思うのだがね。それで、そんな美談がなぜにこのような光景に繋がるのかね?」
「ボイル寮長、確かルミエストの生徒会とは学年が最低でも二年でなければ、正式に入る事はできないんですよね?」
「うむ、学園側から校則として、そのように決めておる。だからこそメリッサ君も、生徒会の見習いとして働く事を勧めたのであろう」
「でしたら、やはり無理です。私、飛び級での首席卒業を視野に入れていますから。メリッサ生徒会長と一緒に卒業したら、見習いとして働く意味もなくなるでしょう?」
「は、はいぃぃィィィ!?」
その後、ベルは今の話をメリッサにも言い、丁重に誘いを断ったらしい。メリッサが首席卒業を狙っているのを知ってか知らずか、首席卒業はまあ私だろうけど、共に卒業できる事は光栄に思うよ? などと、言葉の最後はそんな風に締めたんだそうだ。
「そうしたら、メリッサ会長が急に力試しをしようと仰いまして。今度はこちらの白手袋を頂いたんです。書記の方やメリッサ会長の取り巻きの方々も乱入しそうになって、それはもう大変でした」
最初に出したカトリーヌのものとは、また別に白手袋を取り出して見せるベル。確かにその白手袋には、手の甲に当たる場所にメリッサの家の紋章が描かれていた。どうやらベルは、立て続けに決闘を申し込まれていたようだ。ボイルは頭に手を当て、次の展開がどうなったのかを想像してしまう。
メリッサは容姿端麗文武両道、生徒会長であると同時に、このシエロ寮を代表するほどの実力を擁する生徒だ。出身も正に名家というに相応しい家柄で、それらの事からシエロ寮の内外問わずファンとなる生徒も多い。メリッサが倒され、後に書記と共にベルに挑んだ生徒達は、恐らくはそういった者だったのだろうとボイルは推測する。そしてその推測は、見事に的中していた。
「……だが、またよ~く話し合いをしたら、この場に倒れている全員が納得してくれたと? それから森林浴アンドお昼寝タイムに突入したと、そう言いたいのかね?」
「流石ですね、ボイル寮長。私が話そうとしていた事を、よくご理解されているようで。大変助かります」
「……助かってないよぉぉぉ!? ちょっと、おい、待って、何してくれてんのぉぉぉ!?」
ボイル、魂の叫び。
「ですから、お昼寝しているだけです」
「お昼寝で通る訳がなかろうがぁ! 入学初日に決闘十人斬りとか、規則以前に前例が―――」
「―――だから、問題ないと言っているでしょ? 少し黙りなさい、豚が」
「はひっ!?」
急に耳元でドスの利いた声で囁かれ、思わず跳ね上がってしまうボイル。ベルの声は周囲には聞こえない程度の大きさで話している為、この囁きはボイルにしか聞こえていないようだ。
「これは決闘なんかじゃなく、ただ仲良しこよしでじゃれ合っていただけなのよ。それで通した方が、貴方にとっても都合が良いでしょ?」
「だ、だが、ベル君に倒された生徒達はどうするのかね? そんなふざけた理由、誰も認めないぞ?」
「認めるわよ。というか、認めざるを得ないでしょ。たった一人の新入生に喧嘩を売っておいて、何もできずに一蹴されてしまった。そんな不名誉な情報、プライドの高い先輩達は広めたくないでしょう? それなら、私と交友を深めていたって嘘を真実にした方が、圧倒的にマシだと思う筈よ。幸い、目撃者はこの寮の生徒しかいないの。貴方は今日起こった事を、私が言った通りの事しかなかったと周知させ、寮生に他言しないよう徹底させなさい。じゃれ合いを見ていた奴らの顔は全員覚えているから、もしもの時は私が対応してあげるから」
「え、あ、ええっ…… ベル君、君は一体何を狙って―――」
「―――手っ取り早く天辺を取るなら、相手の弱みを握るのは定石でしょう?」
この日、ベルは入学初日にして、スクールカーストのトップに登り詰めてしまった。