第53話 決闘の噂
シエロ寮が騒めきに包まれる。ベルに突っ掛かった新入生達が、その勢いのまま彼女に決闘を申し込んだ。そんな噂が引っ越し準備を進める生徒に、或いは自室にいた上級生ら、はたまた寮を管理する寮長の耳へと、瞬く間に広がっていったのだ。いやはや、寮は城の如く広大であるというのに、噂が広まるのはいつの時代も早いものである。
「おい、聞いたか? 入学式で首席挨拶をしてたベルと、大貴族のカトリーナとその取り巻き達が決闘するってよ!」
「ええっ、入学初日に何やってんだよ。ま、見る分には面白そうだな! で、どこでやるって?」
「いやー、それが俺も又聞きしたもんだから、場所はさっぱり」
「おいおい…… つか、大貴族ってどこの大貴族なんだよ、そのカトリーナは?」
「知らん。これも聞いた情報だからな!」
「それで威張るなよ…… まあ、俺の国でも聞いた事ねぇけど」
「貴方達、ベルさんとカトリーナさんの決闘が見たいの? 寮の中庭でやるって聞いたけど?」
「うおっ、マジか! サンキュー! おい、行こうぜ!」
「ま、待てよ。緑魔法でスピードアップするなんて狡いぞ! 普通に走れ!」
「こらぁ! それ以前に廊下を走るなっ!」
「「げっ、ボイル寮長!?」」
とまあ、こんな風に噂が噂を呼び、シエロの寮生達は中庭へと足を向け始める。そしてここにも一人、決闘の噂を聞きつけた者がいた。
「ほう、決闘か。それもその中心にいるのは、あのベル・バアルと……」
白髪のハンサム少年、氷国レイガンドのエドガー・ラウザーである。廊下で騒いでいた先ほどの生徒達の話が、自室にて小休憩していた彼の耳にも入ったようだ。
「エドガー様、ベルって子に興味津々な感じッスか? その決闘、私達も見に行きます?」
「いや、止めておこう。彼女が本当に余より優れているのであれば、一生徒の相手など片腕で済ませてしまうだろうからな。噂が回って来てから向かったところで、決闘は既に終わっている。そうだろう、アクス?」
「流石はエドガー様、賢明なご判断かと……!」
「流石ッスー」
エドガーと同室となったアクスはそう言いつつも、せっせと二人分の引っ越し作業を進めるのであった。一方、女性ではあるが同じ配下という立場である筈のペロナは、アクスのベッドに寝転びながら娯楽本を読み漁っている。時たま、自分の作業はどうしたというアクスの視線を浴びせられるも、全く意に介していない様子だ。
「む、エドガー様、こちらの絵画はどちらに飾りましょうか? それにしても、素晴らしい品ですね」
「うむ、それは所在は不明だが、余のような物の価値を理解できる王族の間で有名な画家の作品でな。確か、名はライン・ハルトだったか。特にその絵は余の好みなのだ。ベッド近くに飾り付けてくれ」
「なるほど、道理で……! 承知しました!」
「うへー、私はどうも芸術ってのが分からないッスねぇ。 ……ん? 何か大きな足音がしないッスか?」
「足音?」
「……外からのようだな」
―――ドドドドドドドッ!
眉を顰めるエドガーが窓の外を覗くと、何やら音と共に土埃が舞っているのが見えた。何者かが外を猛スピードで駆け抜けているらしい。
「噂を聞き付け僕参上! ベルが決闘するって本当か~い!? ここは未来のフィアンセ候補として、僕が間に入らないとっていうか、中庭ってどこだい寮が違うと構造も違って実は迷子! あっ、それとは別に可愛い子を発見! お~茶~し~な~い~!?」
そして、それらの出所がシャルル・バッカニアである事を確認。エドガーはそっと窓から離れ、自身のベッドに腰掛ける。
「……シャルル・バッカニアは違う寮ではなかったか?」
「は、シャルル、ですか? 確かに、アーチェ教官が管理を務めるボルカーン寮だったと記憶しておりますが」
「そうか、うむ…… 馬鹿も極めれば侮れないものだな。行動力だけは見習うところがある」
「「?」」
アクスとペロナは顔を見合わせ、揃って首を傾げるのであった。
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決闘の場になったという噂の渦中にある中庭の外周には、下級生から上級生まで、既に多くの生徒達が集まっていた。中には自らの引っ越し作業をほっぽり出してまで、見学しに来た者もいるようだ。
整備の行き届いた芝や木々、華やかな花壇が並ぶこの場所は、本来生徒達の憩いの場として活用される、煌びやかながらもどこか長閑な雰囲気が漂う公園のようなところだ。しかし、今の中庭の雰囲気はいつものそれとは真逆。絶えず生徒達の騒ぎ声が聞こえ、中庭の中心に彼ら彼女らの視線が集まっている。
「これは何の騒ぎかね!」
「げっ、ボイル寮長だ」
そんな喧騒渦巻く中庭にやって来たのは、シエロ寮を統括するボイル・ポトフだった。当然の事ながら、寮内で騒ぎを起こす事、許可なく催事を行う事は校則で禁じられている。生徒同士が決闘をするなどという噂が飛び交えば、寮の管理を任されているボイルがこの場にやって来るのは必然であった。
「げっ、とは何だね、げっとは! まったく、最近の若い者は態度というものが、って、今はそれどころではなかったか。ほら、そこを通しなさい! ワシは恰幅の良いのだから、余裕をもって道を開けなさい!」
「寮長が通るぞ! 道を開けるんだ!」
ボイルの存在に気付いたシエロの上級生が、すかさず声を張り上げる。
「うむ、流石は新入生の手本となるべき上級生だ。今やるべき事をよく分かっておる」
「下級生、轢かれたくなかったら、全力で道を開けろ! 倒れたら凄く重いぞ、最悪骨が折れる!」
「それはそれで凄く失礼じゃないかね!?」
とまあ、何だかんだ言われつつも、ボイルは中庭へと足を踏み入れる事に成功。人だかりで見えなかった中庭も、これで漸く見る事ができる。
「ふう、漸く抜け出せた…… っと、そうじゃないそうじゃない。ベル君、ベル君! 決闘だなんて馬鹿な真似は止め――― んんっ!?」
気を取り直し汗を拭い、さあ行くぞと前を向いたボイルを出迎えたのは、彼が名前を連呼するベルであった。それも入学式で首席挨拶をしていた際の、至極外面の良い笑顔を浮かべたベルである。
「あら、ボイル寮長ではありませんか。そのように汗をかかれて、如何されましたか? ああ、ご心配なく。物の移動などの作業はもう済んでいますから。今は緑溢れるこの場所で、こうして心を洗っていたところです。些か人の目も気になりますが、いずれは私も国のトップを担う身。今のうちに慣れておかねばなりませんからね」
「う、うむぅ?」
ベルは顔に貼り付けるべき笑顔だけでなく、絵に描いた優等生の如く受け答えも完璧だった。何も知らぬ者がこの場にいたら、ああ、そうだったのかと思わず納得してしまうくらいである。
「って、だからそうじゃないって! ワシ、しっかり! ボイル、ファイト!」
しかしボイル、気力で踏ん張る。
「ベル君、そのような建前はどうでも良い! 君が物理的に尻に敷いているその者達は何だね!?」
「で、ですわー……」
ボイルが指差す先には、折り重なるようにして地面に横たわる生徒達がいた。その中には渦中の人物、カトリーヌの姿も。ベルはその生徒達をベンチ代わりに使い、座っていたのだ。
「何だね、と申しますと?」
「決闘とやらを行い、暴力行為を働いたのか、と、ん、んんんー!? ……ひぃ、ふぅ、みぃ――― あの、ベル君? そこに転がってる人数、噂よりも随分と多くない?」
但し、ベルがベンチとして利用していた人数は、軽く十を超えていた。
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