第552話 悍ましきその姿
―――中央海域
ポッキリと折れてしまったエルピスから抜け出した俺達は、急いで周囲状況を確認した。真下からは巨大戦艦が海へ墜落した事による轟音が鳴り、その被害から逃れようと水燕の飛空艇らが全速力で退避を開始している。滑り出しのアクションが早かったのか、どの船も巻き添えは食らっていないようだ。ポツリポツリと全身鎧な天使や天使なモンスターの姿を見かけるも、無尽蔵にこいつらを放出していたエルピスがああなっては、圧倒的だった数の利もなくなったようなもの。今においてこれらが脅威となる事はないだろう。水燕組に任せて、俺らの視界からは捨て置く。
『あなた様』
『ああ、あそこに行こう』
ぐるりと辺りを見回して、それが一番の災厄であると一目で理解する。メルフィーナに連れられて向かった先には、エフィルにセラにジェラール――― 外の敵殲滅に携わっていた仲間達の中でも、最高戦力と呼べる者達が集っていた。
『ご主人様っ! ご無事だったのですね!』
『って、姫様ぁ!?』
『愛の力で復活しました。ぶいですねっ!』
『そんなボロボロな姿で何ピースサインしてるんだよ…… 色々話を交えたいところだけど、手短に済ませるぞ』
『その前に、その格好を何とかしなさいよ』
到着と同時に、歓喜&驚愕の歓迎で出迎えられ、ついでにメルに抱えられた状態を指摘される。無言でメルに解放してもらう俺。
さて、再会を喜んで仲間達を抱き締めてやりたいのは山々だが、それよりも今はやるべき事がある。エルピス内部で起こった出来事を念話で直接伝え、即行の情報共有を開始。同時に、セラ達からも情報を送ってもらう。機竜の打倒、ジルドラの復活、からのクロメル来襲、ジルドラまさかの瞬殺――― そして機竜となったジルドラの肉体を弄って、現在の状態に落ち着いたと。
『ジルドラの悲鳴が上がった瞬間、ミチミチってあの格好良いのが機竜に纏わり付いたの。それが何重にも重なって、ああなったって訳』
『黒い球体か……』
そこに浮かんでいたのは、どこまでも黒い球体だった。気色悪いでなく格好良いと表現するのはどうかと思うが、セラの言う通り球体の表面には、触手の片鱗らしきものが見受けられる。幾重にも触手で囲んだあの中に、クロメルと機竜がいるのは確かだ。
『誰か攻撃とかしてみたか?』
『ううん。何だかすっごく嫌な予感がしたから、今のところ静観中。アレもああなってから一向に動かないし、どうしようかって話し合ってたところよ』
『セラの勘が正解だ。あの触手、見た目以上に危険なんだよ』
『みたいですね。ご主人様から頂いた情報によれば、触れたものを弱体化させる能力があるようですし……』
しかし、どうしたもんかな? 触手との相性が良いクロトに任せてみるのも手だろうが、クロメルが今も神に匹敵する力を解放しているとすれば、メルフィーナでもない限りは攻撃が通じるとも思えない。保管内に溜め込んだクロトの魔力も、ついさっき使い果たしてしまった。俺自身が出たい気持ちも逸る、逸るが……! やはり、メルフィーナに頼るのが最善なんだろうか……!?
「おい、愚息。葛藤する暇があるなら、我にも分かるように説明せよ」
「あ、はい。アレに触れる行為自体が危険って事です。直接攻撃は止めた方が良いですね」
セラの隣にいた義父さんの言葉に、反射的に返答する。この場で念話ではなく、口頭で話した初めての瞬間だった。
「……あら? あなた様、漸くいらっしゃったのですね。同化に夢中になり過ぎてしまいまして、お声を耳にするまで気付きませんでしたよ。妻たる者として、あなた様を最も愛する者として戒めませんと」
「「「「「っ!」」」」」
声は球体の中より聞こえてきた。興奮したり疲労した様子はなく、緩やかながらもハッキリとした口調だった。次いで、纏わり付いていた触手達が徐々に解かれていく。俺を含め、この場にいた全員がクロメルを警戒。そして目にしたんだ、変貌したクロメルの姿を。
解かれた触手はギチギチと圧縮され、機竜のパーツとなって漆黒の体へと収められた。球体から別の形状へと変形したその姿は、エルピスに乗り込む前に俺も目にした、トリスタンの配下に酷似している。但しその色合いは全くの別物で、紛い物ながらに神々しさを放っていた青と白の装甲はすっかりと反転。黒一色に染め上げられていた。よくよく見れば細部は触手で形作られており、禍々しく蠢いているのが分かる。
意思疎通で得た、ジルドラ復活後の姿とも照らし合わせる。ジルドラが展開したという、背後の光の曼荼羅の変わりようも酷いものだ。光っているには光っているのだが、その輝きは血が固まった後のような、限りなく黒に近い赤色を放っていた。これでは邪教徒が崇める怪しげな権化、暗黒神とか邪神とか、そういう類の神そのものである。
「私が思っていた以上に、この肉体との親和性は高かったようです。かつてエレアリスが創造した、神柱を素材の一部にしている為でしょうか? ええ、ええ、素晴らしいです。これならば、ジルドラも浮かばれるというものでしょう」
黒き機竜の肉体には、頭部に当たる首から上がなかった。クロメル襲来の際に、竜の首が千切り取られた為だ。代わりにその位置には、クロメルが座していた。いや、座すという表現は少し異なるか。刈り取られた首の断面に下半身を埋め、その境目を例の触手で補強していたのだ。人魚であれば下半身は魚のそれだが、この場合は下半身に竜王の首から下が生えていると言える。メルフィーナとの殴り合いで破損した軽鎧も、更に忌まわしく一新される気合いの入れようだ。
「……頗る良いッ!」
「あなた様、心の声が実際に出てます。口の端っこも感情が出ちゃってます」
クロメルが黒き翼を広げたところで俺の体と心は耐え切れず、ついつい場の空気を読まずに本心を語ってしまう。だってこんなサプライズ、想定していなかったんだもの。誰だってにやける。俺だってにやける。
「最後の最後まで平常通りですね、あなた様。どこまでも愛らしいです。ですが、それもここまで。最後の手段に望みを託すのは些か心細いものでしたが、これがなかなかどうして。転生神メルフィーナ、今の私とタイマンを張る勇気はありますか?」
「………」
優勢になった途端に調子に乗るのは、如何にもメルの側面らしい。だが、姿を晒して力を見せ付けるクロメルの底の知れなさは、本来の力を取り戻したメルフィーナに冷や汗を流させるほどのもの。初めてクロメルの威圧を直に受けたエフィル達も、その力の前に萎縮してしまっている。俺だってそうだったし、今のクロメルはあの時以上の存在となっているんだ。そうなってしまうのも、ある種当然の反応だろう。 ……力に差があり過ぎる。
『メル、ぶっちゃけた話さ、どんなもんだ?』
『正直に話せば、かなり不味い展開ですね。先の戦いで私が疲弊しているのに対し、あの姿となったクロメルは一切の疲れを見せていません。強がりなどではなく、実際にそうなのでしょう』
『朗報にして悲報だな。純粋な強さについてはどうだ?』
『明らかに強くなっています。転生神としての、私の力を上回るほどに。飛空艇から脱した際、何かしらの手段を講じるとは思っていましたが、まさかここまでとは…… 私の判断ミス、いえ、あなた様を救出するのは最善の選択でした。そこにおいて後悔はありませんが―――』
『―――このままでは勝てないのも、また事実か……』
クロメルの目的は俺を楽しませる事。十分に作戦を練らせ、俺の持つ力、俺の仲間との絆、転生神メルフィーナの力を運用させ、その上で全てを挫き、最高の戦いを堪能させる事。念話の行うこの刹那の時間も、クロメルにとっては知覚可能な範疇だろうが、恐らくクロメルから手を出してくる事はない。ただ、ジッと待っている。俺が最後の号令を出す、その瞬間を。
『……辞めるしか、ありませんね』
『は? 止めるって、この戦いをか?』
『フフッ、違いますよ。代償を支払い、転生神としてあなた様に最後の加護を与えます。問答は無用、どう転んでも、もうこれしかありませんからね』
『お、おいっ!』
俺の制止も聞かず、メルフィーナは最後の加護とやらを、無理矢理に差し出してきた。