第524話 魔眼の怪物
―――戦艦エルピス
それからの戦いは苛烈を極めた。戦艦エルピスの心臓部である大型機材が立ち並んだ空間は、その殆どが原型を留めていていない状態に。床や壁には血糊がべったりと貼り付き、大型の化け物が引き裂いたように巨大な傷痕が残され、今も出鱈目なエネルギー同士が衝突して鎬を削っている。
が、それもいよいよ終わりのようだ。鳴り響いていた剣戟や爆発音が止まり、広大なこの空間から聞こえてくるのは、切羽詰まるような息遣いだけとなっていた。
「……悲しいな。かつての同胞と命を懸けて戦うのは、実に悲しい。ましてや、その命を自らの手で終わらせるとなれば、尚更に悲しい。君達もそう思うだろう?」
機材から炎が燃え盛り、そこらかしこで粉塵が舞い上がるこの場所にて、ただ唯一無事な状態で立っていたのはリオルドのみであった。
無骨な長剣をブンと振るった手の甲には魔眼があり、そこから肩に上っていくまでにも異様なる瞳が無数に存在している。それらは死角を潰すように周囲を注視し、その瞳に敵対する彼女らの姿を映し出していた。ある者は血塗れで床に膝を付き、またある者は得物を地面に突き刺す事で何とか立ち上がり、中には左腕を失っている者までいる。
「ハァ、ハァ…… うーん、これはいよいよ不味いかなぁ? うん、不味いよねぇ……」
「ッチ! 泣き言は死んだ後にしてなさいよ、アンジェ。言っとくけど、私はまだ死ぬつもりじゃないからね……!」
「それにしたってぇ、これは辛いものがあるわよぉ。ねぇ、おじさま? 本当は使徒の中で貴方が最強~、なんてオチじゃあ、ないわよねぇ?」
突き立てていた血槍を構え直し、矛先をリオルドに向けながらエストリアが問い質す。それを見て負けじと思ったんだろう。膝に両手を当てながらベルが立ち上がり、壁に背を預けながら片腕を失ったアンジェも何とか這い上がった。
人数の差もあって、押していたと思われた序盤の戦況。だがしかし、リオルドがこの姿になってからは、その戦況が逆転してしまったと言わざるを得ない。
彼の体から瞼を開けた無数の瞳は、全てが異なる能力を、或いは同種の能力を使う場合もあり、その際はより強力な効果を発揮させてアンジェ達を苦しめた。その光景は2種の魔眼を同時に扱う複合魔眼どころの話ではなく、最早魔眼という言葉で何もかもを片付けてしまう反則的且つ圧倒的な力と化し、彼女らの知るリオルドとは全くの別物だった。
遠ざかれば火炎や光線が飛び交い攻撃する隙はなく、接近戦を挑もうとも『予知眼』、『読心眼』、『眼力眼』などといった合わせ技で封殺され、ベルが苦渋の策で用いたケルヴィンお得意の風神脚も、補助効果を全てキャンセルする『破魔眼』によって取り除かれてしまう。背中など体中に目がある為に死角はなく、物陰に隠れようとも透視される始末。運良く魔眼の1つを潰せた事もあったのだが、それも傷が癒えてしまえば再び復活してしまった。
自分達がやれる事、戦いの最中に思い付いた事は全て試した。眼球の弱点であろう、閃光弾や粉塵による目潰しだってそうだ。その上で、その全てが通じない。世界最強クラスの3人が集おうとも、対リオルドへの突破口は全く見える兆しがないのだ。
「何度も言っているが、私の力なんて大したものではないよ。後に控えるサキエル――― いや、失礼。選定者である舞桜君や、その彼を従えるクロメルの方が遥かに化け物と呼ぶに相応しい。セルジュ君は、まあ、そうだな…… この姿でやり合えば、もしかすれば互角に戦えたかもしれないね」
リオルドの体中にある瞳が見開かれると、3人は木の葉のように吹き飛ばされ、鋼鉄の壁へと叩き付けられた。壁との衝突の後にも謎の圧力は続き、ビキビキとアンジェ達の体に負荷が掛かっていく。
「ぐ、う……」
「しかし、そんな彼女はどうやらこの場所には来なかったようだ。ケルヴィン君もそうなのかな? 君達を信頼しての人選だったんだろうが、少々目算が甘かったようだね。残念な事だ」
「なっ、めんなぁ……! 蒼削、突風……!」
ベルの脚甲から蒼き突風が吹き荒れ、空間一帯に広がっていく。この風自体に攻撃性はないようで、リオルドが触れようとも負傷する様子はない。しかしながら、その拡散力はずば抜けていた。蒼き風が辺りに満ち始めると、3人を壁に追いやっていた圧力が急激に薄れ始め、この部屋に完全に満たされると同時に、リオルドの攻撃が無効化されるに至ったのだ。
「ほう、ベル君の能力でこの魔眼の効力を薄められてしまったか。これは困ったな。何か別の魔眼を選別しなければ」
「この、クッソ……!」
ベルの『色調侵犯』で1つの魔眼を完全に封じたところで、リオルドは無限に等しい数の魔眼を有している。こんなものは一時凌ぎに過ぎないと、そんな事はベル自身が一番分かっていた。
「……ふぅ、やっぱり駄目そうねぇ。2人ともぉ、もう諦めない? 如何に不死に近いからってぇ、こんな調子じゃ私だっていつか死ぬのよぉ?」
「エストリア、アンタ諦めるつもりっ!?」
「も~、そんなに頭に血を上らせないでぇ、少しは冷静になりなさいよぉ」
額から夥しい量の血を流しながらも、ベルが再び立ち上がる。
「全く、こんな時にまで喧嘩かい? 少しはアンジェ君を見習ったらどうだ? 彼女は今も勝つ為の方策を考えているようだよ?」
「あらあらぁ、おじさまにまで勘違いされるなんてぇ、私ったら罪な女ねぇ」
「「?」」
リオルドとベルが頭に疑問符を浮かべる。リオルドは読心眼という、対象の心を読み取る魔眼を有しているのだが、3人は魅了系能力の対策として女神の指輪を装備していた為、『こうしたい!』という曖昧な意思でしか読み解く事ができないでいた。今のエストリアに使ったとしても、『戦いを諦めていない』程度にしか分からない。
「私はおじさまに勝つ事、全然諦めてないわよぉ? 諦めるのはぁ、今のスタイルのままで勝利する事ぉ。ここからは、私らしく行かせてもらうわぁ」
「大した自信じゃないか、エストリア君。確かに今まで、君は得意とする白魔法は使っていなかったようだが、その事を言っているのかい? そうだったとしても、もう君にはギフトの力はないし、死者を蘇らせるなんて大それた事もできない。一体何をしようと言うんだ、ね……?」
リオルドが元々あった両目を細め、エストリアを凝視した。戦いの途中途中でも、彼女はどこからか血槍を補充してはそれを扱い、取り換え取り換え使っていた。この事から、血槍は吸血鬼である彼女の血から生成している。もしくは保管能力を持つ何かから取り出していると推測していた。
そして、今になってエストリアが取り出した得物は――― 戦士が好んで使うであろう大剣、バスタードソード。それも一気に2本を取り出して、左右それぞれの手で持ったのだ。
「槍を使う君の姿も新鮮なものだったが、バスタードソードの2本持ちは更に目新しい気分にさせられる。だが、それがどうした?」
「―――あらあら、まあまあ。随分な言葉を投げ掛けるものね、リオルド?」
「っ!?」
巨大な得物を持つ彼女の姿と口調は、もう既にエストリアのものではない。彼女はミスト、現在のパーズギルド支部のギルド長であり、リオルドがかつてパーティを組んでいた冒険者仲間の姿であった。