第522話 灼眼
―――戦艦エルピス
血色の大槍はベルごとリオルドを貫かんと、何の躊躇もなくそのまま放たれてしまう。
「ふふぅん、一石二鳥ってやつかしらぁ?」
「この馬鹿女っ!」
犬猿の仲は相変わらず。リオルドは苦笑しながら、ベルを盾とするように彼女の陰へと移動。ベルがこれを黙って受け入れる筈がないと、これまでの2人を予想しての行動だった。そしてやはりと言うべきか、ベルはそんな攻撃を受け入れる筈もなく、脚甲から風を吹かせて片足でリオルドに追加攻撃を行いつつ、もう片方の足でエストリアの血槍を弾くのであった。
―――ギギィーン!
片や長剣で迎え撃ち、その際の衝撃を利用して地上へ。片や血槍を弾かれて、面白くなさそうな顔をあらわにする。誰のせいだと、ベルの形相も怒りに満ちていた。不意打ちが不発に終わり、全員が床へと降り立つ。
「ちょっと、何やってんのよ馬鹿女? 少しは改心したのかと期待してみれば、中身はやっぱり馬鹿なままだった訳? いくら胸に栄養が偏って脳細胞が極小だからといっても、敵と味方の区別くらいはついてほしいものなんだけど?」
「あらあらぁ? 私、バアルちゃんの味方になった覚えはないわよぉ? ただ、おじさまの心臓と一緒にバアルちゃんの心臓も射止められるかなぁって、アンジェちゃんに協力しただけぇ。おつむが弱ぁいのは、どっちなのかしらねぇ?」
「ちょ、ちょっと、2人とも!?」
リオルドに構わず、勝手に喧嘩をし始めるベルとエストリア。これには流石のアンジェも、2人の間に入って止めない訳にはいかなかった。
「私とアンジェ君もそうだが、君達も相変わらずのようだね。殆どの使徒が健在であった頃が、昨日のように思い起こされるよ」
「……まあ、そんな昔の話でもないからね。この乳馬鹿女と仲良くなるなんて、未来永劫あり得ないし」
「そればっかりは同意しちゃうわぁ。ああ、でもざーんねーん。変わらない関係もあればぁ、変わっちゃう関係だってもちろんあるのよねぇ。私には素敵な殿方ができちゃったしぃ、アンジェちゃんだってそー。あら? もしかして、余ったのってバアルちゃんだけぇ~? やだぁ、かわいそ~」
「百万回死んでみる……!? それにアンタの場合、ただのストーカーじゃない!」
「ふぅ、これだから生娘は。ストーカーから始まる愛だってぇ、世の中には腐るほどあるのよぉ?」
「やっぱ殺す」
「2人ともっ!?」
ビキビキと青筋を浮かばせるほどベルを怒らせる、エストリアの嘲笑。しかしながら、ダハクが聞けば泣いて喜ぶ話でもあった。
「こんなところにまで足を運んで、喧嘩をしに来ただけかい? 私としては、このまま戦わずに済んでくれれば僥倖ではあるのだが…… 違うだろう?」
「……当然よ。喩えクロメルとかいう天使が約束通り私の故郷を残そうとも、それ以外の世界が滅ぶ事なんて望んでなんかいないもの。何よりも、セラ姉様が悲しむのは頂けないわ。あ、吸血鬼の城がなくなるのは大歓迎よ」
「また珍しく、最後の言葉以外は意見が合ったわねぇ。私もそんなナンセンスな事は望んでないしぃ、ジェラールのおじさまとの新婚旅行が控えているからには、運命の人と出会った後についても欲張っちゃうわよねぇ? その行先がバアルちゃんの故郷だけってぇ、絶望以外の何物でもないじゃなぁい?」
真面目な話をするこの間も、ドシゲシと肘打ち膝蹴りの応酬をするベルとエストリア。ノリとしては嫌がらせの範疇だが、とても力加減をしているようには見えない。
「もう、この2人は…… でも、主張としては私も同じ考えです。ギルド長、貴方の願いだってそうなんじゃないですか? 今からでも、私達と一緒にクロメルを倒す事はできないんですか? その…… ミストさんも、ギルド長の帰りを待っていると思いますよ?」
「………」
片眼鏡を軽く上げ、リオルドは大きく溜息をついた。
「私が何と答えるのか分かった上で、敢えてそれを聞いているのであれば、アンジェ君は相当に狸だね。いやはや、流石は私の自慢の弟子だ」
「あ、やっぱりミストさんとは何かあったんですか? 鎌をかけただけだったんですけどね~」
心配するような素振りから一転して、舌を出しながらダガーナイフを持ち替えるアンジェ。
「私は私の願いの為に動いている。今更、そんな甘言に惑わされる訳がないだろう?」
「これでも自慢の弟子なんです。分かってますよ。昔、ケルヴィン君を虐めていた、ちょっとしたお返しみたいなものです」
「まったく、恐ろしい弟子を持ったものだよ」
「「………」」
そんな2人のやり取りを黙って見届ける悪魔と吸血鬼。喧嘩はするが空気は読めるようで、この時ばかりは肘打ちも膝蹴りもしていなかった。
「ヒソヒソ……(ちょっとー、あの2人一体何の話をしてるのよぉ? ミストって誰よ!?)」
「ヒソヒソ……(私が知る訳ないでしょうが。大方、解析者の恋人か何かじゃないの?)」
「ヒソッ!? ヒソヒソヒソッ!?(ハァ!? どこの泥棒猫よっ!?)」
「ヒソヒソ……(アンタ、気と未練があり過ぎでしょ……)」
密談終了。各々、個人的なボルテージが上昇したところで、戦いは本格的なものへと移行する。
「再三の忠告だけどぉ、こんな不利な状況で私達に勝てる気ぃ? 如何に第5柱とはいえ、元第6柱から第8柱を一気に相手するのは無謀だと思うわよぉ?」
「確かに私はそれほど戦闘力が優れているとは言えない。純粋な戦闘力だけで比較すれば、セルジュ君に大きく劣っている事は明白だろう。だがそれでも、私は勝てない戦いの場には現れない主義でね。外で遊んでいるトリスタンよりは、勝算が大いにあると考えているよ。君らが相手なら、ね」
「へぇ……」
「ふぅん……」
「なら、試してみましょうか?」
最初にアンジェとリオルドが対峙した時の何倍もの空気の軋みが、まるで耳に聞こえてくるようにビリビリギリギリと、空間全体に広がり渡る。
最初に動いたのはリオルドだった。瞬きの後に右眼に生じた変化は、第一に瞳の変色だった。元々の瞳の色であった薄墨が、怒り狂った悪魔の如く緋色に染まる。第二にもたらしたのは、その緋色の視界に入った環境の変化だ。彼の視界の色と同調するように、目に入る全てに炎が生じ、悉くを発火させる。次の瞬間には3人の立っていた床にまで、炎の波は押し寄せていた。
「ほんっと、便利な目ねっ!」
3人は三者三様の行動にて対応する。アンジェは自身の透過能力で炎を抜け出して前へ、ベルは蒼き風の壁、蒼風堅護壁を生成する事でこれを防いでいた。最後のエストリアは体を何匹もの蝙蝠に変化させて回避、ではなく―――
「―――せえいっ!」
自身が炎に包まれるのを覚悟の上で、血槍をリオルドへと全力で投げ飛ばす。リオルドの炎で溶け始めているのか、血槍は血飛沫に似た紅い液体を放出させながら、一直線にリオルドへと向かっていく。リオルドに近づけば近づくほど、炎はより強力に、より高温となって血槍を迎撃するのだが、それでも放たれた血槍が朽ちる事はなかった。
「ほうらぁ! 私が体と胸を張っているんだからぁ、少しは活かしなさいよぉ!」
「うっさいわね、胸は余計でしょ胸はっ!」
(うう、真面目なのに微妙に耳が痛い。いや、胸が痛い……!?)
胸に秘めるものは兎も角として、使徒の中でも随一のスピードを誇るアンジェとベルであれば、エストリアが放った血槍に追い付くのは造作もない事である。2人は一面に拡がった炎の海を躱し、槍を追い抜き、左右に分かれてリオルドの死角へと迫った。